柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

『あばれはっちゃく』に登場したポケットベル(ドラマを見て分かる設定133)

ポケベル

今から5年前の2019年9月末で終了したポケベル。私がポケベルの存在を知ったのは高校生の頃の1990年代。当時は携帯電話もまだまだ一般的ではなく、スマホも存在していなかった時代。そんな時代に登場した文字入力ではなくて、数字でメッセージを伝えるポケベル。このポケベルの歴史を調べてみると、NTTのサイトで1958年にアメリカでサービスが始まり、その10年後の1968年に日本でサービスがあったと紹介されていました。

それを知って私が思っていたよりも、ポケベルの歴史は古かったんだと驚きました。なぜ、今になってポケベルの歴史を調べてみたかというと、『痛快あばれはっちゃく』を見ていた時に7話でポケベルが登場してきたからです。『痛快あばれはっちゃく』7話の放送日は1983年5月14日。高校時代にポケベルの存在を認識した私には、こんな古い時代からポケベルってあったっけ?と驚いて調べてみたわけです。すると、私が思っていたよりも、ずっと歴史が古いことが分かりました。

調べてみると、ドラマで登場したポケベルは1972年に発売されたポケベルA型であることが分かりました。4代目『痛快あばれはっちゃく』の長太郎達は1972年度生まれですから、下記引用画像で長太郎が持っているポケベルは長太郎と同い年になるんですね。(ただし、4代目長太郎は4月1日の早生まれですから、厳密にいえば1歳年下になりますが)

このポケベルはマヤのお父さんの持ち物。配達の仕事でマヤのお母さんからの連絡用に使われていました。今なら、スマホで簡単に連絡が取れる時代なので、40代以下の人達には不思議な場面に見えると思いますが、高校生になってからポケベルの存在を知った私はこんな昔からポケベルがあったんだと驚きました。当時、リアルタイムで視聴していたのですが、自分自身の生活空間に存在しない小道具に関しては特に大きな印象として残らなかったんでしょうね。だから、DVDで見返して驚いてしまいました。

『痛快あばれはっちゃく』7話より

セリフはないけど名前がわかるモブの女の子

『痛快あばれはっちゃく』7話を見ていて気付いたことは、セリフがなくちょっと出てきただけの女の子だけど、名前が分かる女の子がいたこと。長太郎がマヤのお父さんと配達をしていた時に公園でちょっと長太郎が公園にいる子達と遊ぶ場面があるのですが、そこに自転車があって、その自転車に女の子の名前がかいてあるんです。それで、その場面にいる女の子が一人だけなので、必然的に自転車に書いてあるのは、その女の子の名前じゃないかなって推測することが出来ました。でも、あくまでも推測なんですけどね。もしかしたら、男の子の誰かの名前という可能性もあるかも。

『痛快あばれはっちゃく』7話より

7話で登場した伏線

それから7話を見ていて気付いた伏線。それが長太郎との交流をきっかけとして、マヤの両親がもう一人子どもが欲しい、今度は男の子が欲しいねって話しているんです。これ、その時はそんなに気にならない会話なんですが、『痛快あばれはっちゃく』を2年見ていくと、58話(1984年5月14日放送)でマヤのお母さんの妊娠が分かって、83話(1984年12月8日放送)でマヤの弟のシンタロウ君を出産しているんですよね。マヤの弟が誕生する伏線がこの7話で登場していて、ちゃんと最終回までに回収されていたんです。いやあ、びっくり。

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桜間家の父ちゃんは2代目以降男兄弟になってからは、「女の子がいればなあって」よく言っていたし、長太郎も妹が欲しいと言ってはいたんですが(姉がいる初代の長太郎も)桜間家には新しい家族は増えなかったですね。

2話に登場した週刊少年マガジン

最後は7話の話題から外れますが、同じく『痛快あばれはっちゃく』からの話題です。今回の話は2話。この2話で一平さんが会社で読んでいる漫画雑誌(会社で漫画を読んでいていいの)が『釣りキチ三平』が表紙の『週刊少年マガジン』1980年45号です。画像の中に説明を書きましたが、2話の放送日が1983年4月9日なので、放送の3年前の『週刊少年マガジン』が小道具として使われていたことになります。

週刊少年マガジン』は私の亡父が創刊号から愛読していた雑誌なので幼少時代から馴染みがあり、とても懐かしい少年誌です。

『痛快あばれはっちゃく』2話より

 

『あばれはっちゃく』に出演した・していた戦隊ヒーロー

戦隊ヒーロー

以前、コメントで万江仁士さんが教えてくれましたが、『男!あばれはっちゃく』84話に『バトルフィーバーJ』(1979年2月3日〜1980年1月26日)でバトルフランスを演じた倉地雄平さんが出演していました。『あばれはっちゃく』を見ていくと気づくと思うのですが、東映の戦隊ヒーローだけでなく、『ウルトラマン』シリーズの科特隊やZAT、MATの隊員や関係者を演じた人達も『あばれはっちゃく』には多数出演しています。

それから戦隊ヒーローでも敵幹部とか、ちゃんと調べていくと『仮面ライダー』シリーズに出演した人達もいるかもしれない……。それは、まあ、追々、暇になって気づいた時に紹介するかもしれません。

ウルトラマン』シリーズの方だけ私が把握している限りで先に紹介しておくと、ZATの荒垣副隊長を演じた東野英心さん、二谷副隊長を演じた三谷昇さん、北島隊員を演じた津村隆さん、MATの岸田隊員を演じた西田健さん、科特隊のハヤタ隊員を演じた黒部進さん、『帰ってきたウルトラマン』(1971年4月2日~1972年3月31日・TBS)で坂田健さんを演じた岸田森さん、『ウルトラマンダイナ』(1997年9月6日~1998年8月29日・TBS)39話(1998年6月6日放送)でTPC警備局直属秘密部隊ブラックバスター隊員フドウケンジを演じた吉田友紀さんと多数存在しています。

戦隊ヒーローに話を戻すと、教えてもらった倉持さん以外にも『あばれはっちゃく』に出演していた戦隊ヒーローがいて、まだ調査中なんですが、今回は現時点(2024年2月4日)で私が把握している『あばれはっちゃく』シリーズに出演した戦隊ヒーローのメンバーとその仲間の人達を紹介します。

バトルフランス

まず、最初に紹介するのは教えてもらった『バトルフィーバーJ』(1979年2月3日〜1980年1月26日)でバトルフランス志田京介を演じた倉持雄平さん。

倉持さんは『男!あばれはっちゃく』84話に出演し、長谷川建設大臣の秘書役、スダススム役を演じました。倉持さんの役名は長谷川大臣の孫のヒロシと長谷川大臣が倉持さんの役を呼ぶ時に聞き取ったものなので、不明確かもしれませんが、私には「スダさん」「ススム」と聞き取れたので、スダススム役だと判断しました。もしも、それが間違いでしたら、コメント欄で指摘してくださると嬉しいです。

ちなみに余談ですが『バトルフィーバーJ』も『俺はあばれはっちゃく』と同じ1979年2月3日に放送が始まりました。昨年からYouTubeで公式の無料配信がされています。

『男!あばれはっちゃく』84話より

ダイナイエロー

続いて紹介するのは、『科学戦隊ダイナマン』(1983年2月5日~1984年1月28日)でダイナイエロー南郷耕作を演じた時田優さん。時田さんは『男!あばれはっちゃく』82話に酒屋の田中イチロウ役で出演。『男!あばれはっちゃく』82話は1981年10月31日放送で、『ダイナマン』は1983年2月5日放送開始なので、時田さんが『あばれはっちゃく』に出演したのは、ダイナイエローを演じるより前になりますね。

『男!あばれはっちゃく』82話より

嵐山長官

変身はしないけれども、この人は外せない。『太陽戦隊サンバルカン』(1981年2月7日〜1982年1月30日・テレビ朝日)の嵐山長官を演じた岸田森さん。岸田さんは『俺はあばれはっちゃく』43話に登場した考古学者のカワグチを演じました。岸田さんは先に書きましたが、『帰ってきたウルトラマン』(1971年4月2日~1972年3月31日・TBS)で坂田さんを演じています。また、円谷プロ作品でもお馴染みで『怪奇大作戦』(1968年9月15日~1969年3月9日・TBS)の牧さん、他にも特撮作品以外の映画、舞台、ドラマ、ラジオドラマ、吹替でも活躍された名優でした。

『俺はあばれはっちゃく』43話より

ガオブラック

最後に忘れてはいけない『百獣戦隊ガオレンジャー』(2001年2月18日~2002年2月10日・テレビ朝日)でガオブラック牛込草太郎を演じた『逆転あばれはっちゃく』(1985年3月2日~9月21日・テレビ朝日)の主人公・桜間長太郎を演じた酒井一圭さん。これは、もう説明不要ではないでしょうか。

『逆転あばれはっちゃく』27話より

初代あばれはっちゃく放送開始から45周年

45周年

今日、2月3日は45年前に『俺はあばれはっちゃく』の放送が始まった日です。『俺はあばれはっちゃく』は毎週土曜日、夜7時半に放送されていました。45年後の今日は奇しくも曜日も45年前と同じ土曜日です。

45年前、45歳の人でも初代を見たことがない、知らない世代が当たり前になり、当時は私たちの生活と大差なかったドラマの日常も小道具も、ちょっとした時代劇の世界に見える人達も増えてきました。わらさんのコメントを読んで、そうか父兄の方でも知らない時代のドラマになっていたんだな、と、当たり前の事なのに、今更ながらびっくりしたりしています。

今、このドラマを見返してみたりすると、45年前にしては先進的だなって感じるところと、やはりその時代ならでは価値観、当時にとっては普通とされていた認識や表現があって、これは45歳以下の人達に受け入れてもらえるのだろうか、と考えたりします。でも、わらさんのコメントを見ると、案外と受け入れられてもらえる作品なんだと安心をしました。

今も何度も見ていて、当時には感じなかった事、新たな発見、子どもの頃に見た時の記憶や当時の出来事を思い出して懐かしかったり、新鮮な気持ちになったりして、『あばれはっちゃく』という作品は、私にとっては今も色あせないとても面白いドラマであり続けています。

ドラマの『あばれはっちゃく』は、山中恒先生の原作『あばれはっちゃく』と一番近いとされる初代『俺はあばれはっちゃく』でさえも、原作そのままという作品ではないのですが、作品の核になる芯の部分は、特に初代『俺はあばれはっちゃく』はしっかりと受け継いで、映像化されていると私は思います。

原作者の山中恒先生がどのようにドラマを捉えているのか分からないのですけれども、私はドラマを見て、原作を読んでそのように感じました。

文字だけの原作と映像作品は別メディアで、表現方法が違います。映像だからこそ出来る表現、文字では出来るけど映像では出来ない表現があって、それぞれの媒体で表現が変わっても、物語の芯の部分が変わらなければ、原作者の大事にしている部分を大切にした作品なら、表現が変わっていても別メディアになっても、抵抗はないんじゃないかなとか思ったりします。

ドラマから原作を読んだばかりの頃は、ドラマと原作の人物が名前は同じだけど、印象が違う人物もいて面喰いましたが、読んでいくうちに大切な部分はそんなに違わないなって思うようになり、ドラマとはちょっと違うけれども、この原作が原点なんだなって感じるようになりました。

また、ああ、ドラマは原作のこの話とこの話を組み合わせて再構成したり、放送日に合わせてこの話をアレンジしたんだなとか、この設定をこんな風にドラマに反映していたのかと分かってくると、元々2クールで終了予定だった割には、随分と原作を読み込んで作品を作っていたんだなって感じられて、ドラマ制作者の原作者、及び作品への強いリスペクトを感じました。

そして、このドラマは当時の私達子どもの為に大人達が真剣に本気で作り出してくれていたドラマだったんだなって思うようにもなりました。その思いは、父ちゃんを演じた東野英心さんの著書『クラブと恋と夢』の中で書かれていたこの以下の引用部分を読んだ時に、強い確信に変わりました。

 この作品をつくっている鍛冶昇プロデューサーは作家の人達が書いて来た脚本を何度も何度も訂正しながら、おとな中心ではなく、あくまでも子ども中心のドラマにつくり上げていっているのだ。(『クラブと恋と夢』民衆社 東野英心著 20ページ~21ページより引用)

それから、初代長太郎役の吉田友紀さんがDVDBOX2付属のブックレットにあるインタビューの中で次のように語っていて、ああ、出演していた子ども達も真剣に取り組んでいたんだなって分かりました。

----長太郎の人物像を、吉田さん御自身ではどう思われましたか?

吉田:義理人情でしょうね。一見、粗暴に見えるけどかなり繊細で…当時、明確に意識して演技していたわけではないのですが、山中先生の原作を読んで、自分なりに勉強しました。

さらに、原作者の山中恒先生が初代から最終作5代目の主題歌とエンディングの歌詞を書かれていたことも含めて、『あばれはっちゃく』は原作に書かれた精神を大事にしつつ、その時代の子ども達に目を向けて、大人と子役の子ども達が真剣に作り上げたドラマだったんだ。そのドラマが子どもの私は今も大好きで、このドラマに子どもの頃に出会えて良かったなと心から思っています。

この作品に関わった方は、この45年間の間にお亡くなりになってしまわれた方も大勢いて、それがとても寂しくもあるのですが、このドラマを見て共に育ってきた人達が大勢いて、まだ元気でいる原作やドラマを作り出してくれた人達がいて、当時は生まれていなかったり、物心がついてなかった人達が新たにファンになってくれている現実を知ると、なんだか安心して嬉しくなってしまいます。

山中恒先生の『あばれはっちゃく』は、1970年6月2日~1972年3月30日まで読売少年少女新聞に連載されていた作品で、1974年生まれの私はドラマ化されていなかったら、出会えなかった作品でした。だから、この作品をドラマ化してくれた、特に鍛冶昇さんにはとても感謝しています。

あばれはっちゃく』がいつまでも末永く、多くの人の心に残り続ける作品であることを心より祈っています。そして僭越ながら、私のブログが『あばれはっちゃく』を思い出すきっかけや知るきっかけになっていたら嬉しいです。

『男!あばれはっちゃく』81話「社長になれるぞ」感想

『男!あばれはっちゃく』81話より

 

1981年10月24日放送・脚本・三宅直子さん・川島啓志監督

問題の解決方法

長太郎の後先を考えずに人を助けるやり方と、克彦のように自分の安全性を確保してから人を助けるやり方が対比されていた話だと思いました。長太郎のように自らの危険を顧みずに人を条件反射で助けるやり方はとてもヒーロー的で格好よく、克彦のやり方は消極的で仕方がなく助けているように見えて、度胸がないように見えます。実際に川に落ちたビニールボールを取ってあげる長太郎と克彦のやり方は対照的で、長太郎の潔いやり方は、その場にいた克彦の祖母、家で話を聞いた克彦の姉の洋子さんから絶賛され、克彦のモタモタしたやり方は批判されてしまいました。

また、暴走バイクのせいで怪我をしたマリ子ちゃんの見舞いに対しての考え方も長太郎と克彦の考え方も対照的で、長太郎は千羽鶴を持ってお見舞いに行くことを提案し、みゆきちゃん達を含めたクラスメイトも賛成する中で、克彦だけはその考え方に反対して独自でお見舞いのカードを作って渡すと宣言して、怒った長太郎と喧嘩をしてしまいます。

一見、長太郎の方が情があって、克彦の方が情がないように思うのですが、お見舞いに何を持っていけばいいのかというみゆきちゃんの問いかけに最初はふざけて答えた長太郎に対して、克彦は「もっと心の籠った物がいいよ」と返していて、克彦は克彦なりに目の前で暴走バイクで怪我をしたマリ子ちゃんの事は心配していています。克彦は1週間の入院で千羽鶴は大袈裟で、自分がクラス委員の代表としてお見舞いに行ってお見舞いのカードを渡すと代替え案を出しています。それから、克彦はマリ子ちゃんを轢いたバイクのナンバーをメモしていて、克彦の中でその犯人を捕まえようと考えていました。

長太郎と考え方ややり方は違うのですが、克彦は克彦なりにマリ子ちゃんを心配しているし、マリ子ちゃんに怪我させた犯人に責任を取らせたいと考えているのに、長太郎と違う考えややり方をしているからといって、克彦を「冷血人間」という長太郎は流石に酷いなって、私は思いました。

人の為に自分を捨てる

長太郎のやり方や考え方は、克彦の祖母や洋子さんに絶賛されます。私は克彦の祖母のように、確かに人情が大事だと思いますが、克彦のいうようにそれだけではダメだな、とも思います。克彦の祖母に褒められた長太郎はご機嫌で家に帰ってきますが、父ちゃんから「人助けをするなら後先を考えてやれ」母ちゃんから「自分が危険な目にあったら、元も子もないんだよ」っと言われてしまいます。さらに長太郎が褒められたのは、克彦に活を入れる為と聞かされて、長太郎は怒って克彦の祖母へ文句を言いに行きます。

私は長太郎のやり方も克彦のやり方も、どちらも間違いはないと思うんですよね。自分の危険も顧みず、助けに行く長太郎。その勇気と人情は人の上に立ち、人を助けるものとしてはとても大事な精神です。けれども、母ちゃんのいうように自分が危険な目にあったら元も子もないのも事実で、克彦のように状況を見て、慎重に安全を確保して確実性を持って行動して助けるのも人の上に立つ者には必要な要素だと思います。

長太郎に冷血漢と言われて怒った克彦は、自分がマリ子ちゃんを轢いたバイクの人を探し出すといい、長太郎もそれを受けて自分も探すと言い出します。しかし、長太郎のやり方は非効率的で、なんとか閃きと行動力と運の良さでバイクの運転手である早川を見つけることが出来ましたが、バイクのナンバーを控えて探した克彦の方が確実で早く見つける事が出来ました。

克彦はビニールボールを落とした小さい子を見捨てることはなく、おっかなびっくりでもビニールボールを取ろうと頑張っていたし、マリ子ちゃんがバイクに轢かれそうになった時も咄嗟に「危ない!」と声を出して、素早くバイクのナンバーをメモしていて、自分に出来ることを出来る範囲でやっていて、人を助ける行動を起こしているんですよね。

だから、私は克彦を下に見て、長太郎を上に見るという克彦の祖母と洋子さんはちょっと克彦に厳しすぎるなって思ったし、そうかといって、克彦を必要以上に持ち上げる桜間家もどうかなって思ったりしました。そこで、双方の家族がそれぞれの息子、孫、弟を下にして、相手方を持ち上げることで、長太郎と克彦の人物評価のバランスをたもっているのかな、とも思いました。

現代では

この話の本放送から40年以上の月日が経って、価値観の変化が起きていて、当時は長太郎のやり方が格好良くて評価されていたかもしれないけれど、今では克彦のやり方の方が賢く評価されるかもしれないなって思いました。また、時代に関係なく、個人個人の考え方でも、評価が分かれるところだと思います。

今、元日に起きた能登半島地震で、すぐに現地に駆けつけてボランティアをしている人は長太郎タイプで、すぐに行っても道路を渋滞させたり、避難所の食料を減らしてしまったり、まだ何が必要か分からない状態で行っても、返って迷惑をかけてしまうから、直後に駆けつけるのではなく、募金をするとか出来ることから助けるべきだと考える人は克彦タイプなんじゃないかなって思いました。

私はどちらも根底には「人を助ける、人を助けたい」という思いがあって、どちらのやり方も一方の支持者から見たら、冷血漢だったり、考え無しだったりするんだろうけれども、人を助けたい、人の役に立ちたいという思いから生まれる行動を冷笑して否定するのだけは違うんじゃないかなって思います。

2人が組めば無敵

私は人の助け方や励まし方の考えややり方が違う長太郎と克彦だけども、人を助けたいという根底にある考え方や思いは同じなので、双方の考え方ややり方で足りないところや粗になってしまっているところが、それぞれのやり方でカバー出来るんじゃないかなって思いました。長太郎と克彦がバイクの運転手の早川と対峙した時に、2人が結果的に協力しあった事で、事件が解決したのを見て、長太郎だけでも、克彦だけでも事件は解決しなかっただろうなって思うんです。

最終的に何の打ち合わせがなくても、長太郎も克彦も早川に言った言葉は同じで、それが早川の心を動かした事実。思うに克彦の祖母は克彦のやり方や考え方に、長太郎の大胆さ、時には後先考えない即決断の力もつけて欲しいという気持ちがあったんじゃないかなって思うんですよね。時期を見誤ると取り返しのつかないことになることもありますから。

だから、長太郎と克彦が二人で一人になってタッグを組めば最強になるんじゃないかなって。将来、長太郎が克彦の家の会社に入社してという話に発展していきますが、長太郎が克彦の会社に入社して、3代目社長になって克彦を支える未来もあるのかもしれないなって、そんなことを思いました。また、克彦の会社には福岡に転勤した佐藤部長もいて邦彦ももしかしたら、入社してくる可能性もあるかもしれないので、3人でちとせ美工を大きな会社にしていく未来もあったりするかもしれないっていう妄想を膨らませました。

金より心

最後に早川が見舞いとして、マリ子ちゃんにお金を渡します。寺山先生は長太郎と克彦はその為に早川を探し出した訳じゃないと言って拒否を示しますが、早川は「自分の気持ちだから」と言います。

早川はちゃんとマリ子ちゃんの病室にきて謝っていて、自分がしたことをしっかりと反省しています。それだけでも、マリ子ちゃんも長太郎も克彦も寺山先生も嬉しく感じているのからこそ、早川の出した見舞金を断っているんですね。けれども、早川は自分の気持ちだからと見舞金を出しているんです。

お金で解決するという意味ではなくて、自分の力を過信して怖い思いをさせ、怪我をさせてしまったことに対する思いから生まれた自発的な申し訳ないという思いが形になったのが、早川の見舞金にあると思います。

お金だけなら、金の問題じゃないと突っぱねてしまいますが、そこに申し訳ないという思いが籠っていれば、謝罪の思いがあれば、お金が欲しいからやったのではないという言葉が自然と出てくるものです。

最近は、相手を傷つけても申し訳ないという思いを持たない人が多くなり、形だけの目に見える心の籠っていない「金」だけを出せばいいんだろう!という乱暴な謝罪になっていない謝罪をして、いや、謝罪すらしない人や組織が多くなってしまったように思えることが増えてしまって、日本人が持つ「人情」がなくなり、「薄情」になってしまったなって悲しくなります。

この話は、人の上に立つものが持つ、度胸と冷静さ、人を助け、救いたいという優しさの大切さと、過ちを犯した時に被害者に対してどのような心を持って謝罪するべきなのかという人の心の大切さを強く感じた話でした。薄情になりつつある(既になっている)現代で今一度、見て欲しい話です。

はっちゃくクイズ11解答編

遅くなりましたが、新年明けましておめでとうございます

新年、あけましておめでとうございます。とはいえ、いきなり元日に大きな地震が起きて、おめでたくもなんともないとんでもないお正月になりましたが、このブログを読んでいる皆様はご無事でしょうか。昨年中は、大変お世話になりました。昨年の後半は更新が滞り、また、思うことがあって非公開にした記事もあったりして、個人的な心中にいろいろと思うところがありました。

いろいろと思うことがあり、また悲しく傷ついた気持ちもありますが、好きなものに救われてきた事実は確かなもので、私の中に息づいているので、今後も好きな事を語っていきたいなって思います。『あばれはっちゃく』も宝塚歌劇団もそこに関わった人達の生み出した作品は全て私の大事な心の糧です。大切にしていきます。

さて、かなり遅くなりましたが、昨年の私の誕生日に出題したはっちゃくクイズ11の解答を発表します。問題編は下記リンク記事です。

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はっちゃくクイズ11解答

問1解答

朝日奈元之介

朝日奈すみよ

『俺はあばれはっちゃく』1話より

解説

元之助の名前は原作『あばれはっちゃく』、ドラマでも登場。朝日奈老婦人の名前は原作『あばれはっちゃく』(理論社)「マゴマゴ作戦」68ページに元之介が「こら!すみよ」と老婦人に声をかける場面が書かれています。

問2解答

児玉ルミ

『俺はあばれはっちゃく』6話より

解説

ドラマ6話に登場したてるほの憧れの美玉高校の高校生。ドラマではテニス部所属ですが、原作『あばれはっちゃく』では、ソフトボール部所属です。

問3解答

安部文太

『俺はあばれはっちゃく』16話より

問4解答

安部トシコ

『俺はあばれはっちゃく』16話より

問5解答

安部つね

『俺はあばれはっちゃく』16話より

問3から問5の解答についての解説

文太は原作、ドラマで登場する名前。文太の母の名前は原作には登場しませんが、ドラマで文太の祖母(姑)から「トシコさん」と呼ばれています。同じく、文太の祖母の名前も原作には登場しませんが、文太が長太郎を家に連れていく安部家の門に書かれている書道教室にある看板に「安部つね」と書かれた名前が読み取れるので、文太の祖母の名前だと判断しました。

「つ」は確実に看板から読み取れますが、その後の文字は「ね」「れ」「わ」のいずれかの文字になるかと思います。個人的に私の伯母の名前が「つね」なので、「ね」を採用しました。『俺はあばれはっちゃく』の16話の台本などをお持ちの方で、文太の祖母の名前が明確に分かる方、または画像からしっかりと読み取れる方の情報をお待ちしています。

『俺はあばれはっちゃく』16話より

『俺はあばれはっちゃく』16話より

問6解答

吉野タマエ

吉野圭司

『俺はあばれはっちゃく』17話より

解説

タマエはドラマでは大阪から来た転校生でしたが、原作『あばれはっちゃく』では、群馬県から来た転校生でした。原作『あばれはっちゃく理論社333ページには、正彦が調べたタマエの家族構成が次のように書かれています。

「吉野タマエ、群馬県前橋市生まれ。父保則四十五歳、母幸子(ゆきこ)四十二歳、兄圭司、美玉市立北中学三年、住所、美玉市北町二丁目六の四。それから、ええと好きなものは……」(山中恒著『あばれはっちゃく理論社 333ページより引用)

ドラマのタマエは長太郎にぞっこんになりますが、原作のタマエは長太郎と番長の座を張り合う程に長太郎をライバル視していました。次回作『男!あばれはっちゃく』2代目長太郎は群馬県から来た転校生になっていましたが、長太郎と番長(あばれはっちゃく)の座を競い合っていた女番長タマエが群馬県生まれだったことが影響していたのかもしれません。

微妙に違う原作とドラマ

解答編が年明けになり、随分と遅くなりましたが、はっちゃくクイズいかがでしたか。(というよりもこのブログを読んで、はっちゃくクイズをしている人がいるのだろうか……(´・ω・`))。文太の母親の名前については、限定で私のXで文太の祖母が名前を呼んでいる場面を動画で出そうかなって思っています。また、いろいろと読み返したり、見返してみて、これはクイズに出したいなっていうのも、出てきたので、次もめげずにはっちゃくクイズを作るつもりです。

さて、ドラマオリジナルではない原作の登場人物が登場する話は、比較的に原作に近い話(特にドラマ16話)が多いのですが、設定や話の構成、人物の性格や特徴などが原作と違っています。また、原作の複数の話のエピソードを再構成して、ドラマ独自の話に仕立ています。ところどころに、原作のあの話とこの話を使ってドラマの話を組み立てていたんだなというのが、『俺はあばれはっちゃく』約1年間の話を見ていて分かります。

そこから、ドラマが始まる前にプロデューサー、脚本家、監督の人達が原作を読み込んで、改めてドラマが放送される時期などを考慮にいれて、ドラマの話を制作されていたのだなって思いました。原作の話がそのままドラマになっているのはありませんが、作品の内容を汲み取り、文章から別メディアの映像で表現する中で、作品のテーマや核を大事にした丁寧で心の籠ったドラマ化だったんだなって、私は感じました。

ドラマの印象で、原作を読むと最初は違和感を覚える人もいるかと思いますが、違うけど核は同じだと分かれば、ドラマも原作もそれぞれに楽しめると思います。

それでは、大変、遅くなりましたが、今年も1年よろしくお願いします。

失望

宝塚歌劇団の会見

今年は私が長年好きなものに多く失望させられた年でした。私が勝手に理想を押し付けていたたけだったかもしれません。宝塚歌劇団の隠蔽体質は今に始まったことではなかったけど、もう少しでも人の心に寄り添い、人を死なせるまで追い詰めた罪の意識を持って、ご遺族の言葉に向き合って欲しかったです。

 

宝塚歌劇団は素直に謝らないとは思っていた私でさえ失望した会見で、HPの報告書も読んで週刊誌に書かれた発言がどのような経緯で発言されたかも分かりましたが、自殺された方の立場やそうせざる終えなかった心のうちを考えていない記述だと私は感じました。聞き取った伝聞を事実として淡々と書いたのでしょうが、何だか上級生寄りの報告書だなっていう印象を持ちました。それから、自殺された方の負担を増やした原因になる演出家、演出助手の聞き取りがないのも不満でした。

 

私はヘアアイロン事件の当事者による髪型や新人公演の役についての故人へのLINEでのアドバイスや気遣いの言葉は善意からの行為だと思います。ただヘアアイロンの件に関しては、故意であろうとそうでなくても、火傷させたら謝るのが普通でしょう。それなのに謝ってないのが許せません。気遣いの言葉をかけることが出来ていたのに、謝罪ができなくなってしまったのが理解出来ません。最近、これについて、軽く謝っていたという証言も出てきましたが、少しでも謝ったのなら、何故、報告書に書かれてないのか、ご遺族が謝ってないと言われるのか説明がつきません。

 

会見の後で何人かの宙組OGの証言が出てきて、それが劇団に都合の良いものだったり、ご遺族の発言を確かなものにするものだったりして、どちらが真実なのか分からない状態になってきて、ファンの中にも自分が信じたい証言を支持する様相を呈しています。

 

私は仲間が亡くなった事を悼み、悲しみ、追い詰めた自覚があれば謝罪して墓前に手を合わせて欲しいのです。もしも、人が亡くなって、取り返しがつかない事になって、どうしようって怯えて遺族に顔を合わす事が怖いと思って何も言う事が出来ず、劇団の指示に従っているだけなら、どうか勇気を出して欲しいのだけど、無理ですよね。

 

私のような遺族に謝罪を求める宝塚歌劇団ファンや遺族の方達は満足をして許しても、謝ったら罪を認める事になり、宝塚歌劇団に日頃関心がないけど、今回の事件で野次馬で注目して批判してる世間から非難の声が上がり、退団を余儀なくされ、もうすぐ掴めそうな夢を諦め、やっと手にしたものを手放してしまっても、許してくれたファンが一生の面倒をみるわけでも、諦めた夢や手放す立場を戻してくれる保証もないから。

 

だから人の心を手放して、死者の心の弱さのせいにして、悲しみに暮れる遺族の心を傷つけても、劇団の方針に従うのでしょうね。かつては、下級生として辛く理不尽な事を経験してきただろうに、今は上級生として加害者の立場になってしまいましたが、なんだかずっと被害者の立場にいるように感じます。

 

人の心をなくし、ファンの信頼をなくし、数年後に何事もなく退団しても、あの時の人とずっと言われても退団後は劇団は守ってくれない。今はネットで検索出来て、中々事件は風化しないから。宝塚歌劇団ファンより面白おかしく取り上げる野次馬の方が世間には多いから、そんな人達の標的になる人達はやはり被害者です。

 

取り返しのつかない事をした。普通の事、このくらいをそれぞれがやった結果を受けとめて謝るだけでも救われた命があった。今でも救える心がある事に気づいて欲しい。自身の心に向き合って何も拘りなく生きて欲しいって、私は加害者とされる上級生に思ってるけど、それは私の自己満足なんだろうな。生き方を決めるのは本人達だから、その成り行きを見守るしかない。

 

それが私の望みと違うなら、そういう生き方もあるんだって落ち込むけどそれだけ。悲しいけどそれだけの事なんだなって。無力だな。いろいろと。何だか、取り止めのない文章になってしまった。

もう一つの失望

今年は宝塚歌劇団だけでなく、他にも失望した事があって、それは『あばれはっちゃく』への思いを書き綴ってきたこのブログにとっては、特に初代『俺はあばれはっちゃく』ファンの私にとっては宝塚歌劇団の今回の会見と同じくらいの大きな失望。まだ、何がどうなってるのか、どのようになっていくのか不明で詳しく書けないけれど、昨日、大まかな内容を知った時は、本当に本当に残念で残念でとても悲しくて辛く切なかったです。

 

長年、好きだったものに失望させられるのって、それでも好きな気持ちが残ってしまうのは辛いですね。その辛さもこうしてブログに書いて酔いしれて楽しんでいるんですから、私もどうしようもない人間です。

なんとなく気づいたこと

あさみ

今日は現在宝塚歌劇団雪組2番手男役スターの朝美絢さん(95期生、愛称、あーさ)の誕生日です。朝美さんお誕生日おめでとうございます。朝美さんは次期雪組トップスターと目されています。まだ、正式の発表もありませんが、多くの宝塚ファンがそうではないかなって思っています。しかし、しっかりした正式発表があるまで分かりません。もしも、朝美さんが雪組トップスターに就任されたら、雪組は過去に麻実れいさん(56期生、愛称ターコ)、朝海ひかるさん(77期生、愛称コム)がトップスターになっているので、この2人に続いて3人目の雪組トップスターあさみさんの誕生になります。

これは人気宝塚ブログでも指摘されていたこと。そして、この3人の「あさみ」に共通するのは、3人共にこちらも同じ人気宝塚ブログで指摘されていましたが、組替えしてきた男役スターということです。麻実さんは星組から、朝海さんは花組宙組を経て、朝美さんは月組からきたスター。

ここまでは、私が好きで拝読している宝塚人気ブログの方が書かれていたことで、さすがに私でも気づくことは、年季の入ったファンの方は気づいていたかと思い、うんうんそうだよね、と大きく頷いていました。その前に、Xの方で呟いていたんですが、私、他にふとある符合の一致に気づいたのです。

これも、もしかしたら、私が目を通していない宝塚ファンブログで誰かが書いているかと思うんですけど、今、このブログを書いている時点(2023年11月6日22時)で、私は目にしていないので、ちょっと自分が気づいたことを書いてみようかなって思います。

前任者が入団首席で生え抜きトップスター

ここでは、麻実れいさんと朝美絢さんに限ります。もしも朝美さんが次期雪組トップスターになったら、その前任者は現在の雪組トップスター93期生の彩風咲奈さんです。彩風さんは93期生で首席入団者。そして、麻実れいさんの前任者は50期生の汀夏子さんでした。汀夏子さんも、また、50期生の首席入団者でした。前任者が首席入団者のトップスター。さらには、汀さんも彩風さんも雪組の生え抜き(御曹司)です。

前任者が雪組の御曹司で首席入団というのは、偶然の一致としては面白いなって。安蘭けいさん(77期生・元星組トップスター)以降は首席入団のトップスターは増えましたが、首席入団者で生え抜きのトップスターって、他には元花組トップスターの甲にしきさん(46期生)、現・星組トップスターの礼真琴さん(95期生)ぐらいしかいないんじゃないでしょうか。そういう意味でも、次期トップスターあさみさんの前任者が雪組生え抜きの首席入団者というのは、珍しい偶然の一致なんじゃないかなって思いました。ただ、それだけなんですけどね。

まだ分からないけれど

とはいえ、まだ次期雪組トップスターが誰になるか分かりませんし、彩風さんもまだまだ現役のトップスター。来年上演予定の『ベルサイユのばら フェルゼン編』も楽しみです。

今、宝塚歌劇団は大変な状態。なんとか、劇団で働く人たちにとって良い環境になって欲しいです。その為に、中で戦っている人達がいるんだろうと、様々に流れてくる情報から感じ取っています。女の集団からではなく、どこの集団でも組織でも、人間関係がある以上、問題はあるのが当然で、それでもその組織にいる人全てが「悪人」ではないということは、ちゃんと理解していないといけないなって思います。

何か悪い評判があると、全てを全否定するのではなくて、否定するべきこと、正すべきことを整理するのが大事なんだって思うんです。何よりも誕生から110年を迎える宝塚歌劇団が末永く存続することを願ってやみません。