柿の葉日記

主にドラマ『あばれはっちゃく』について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

鼻つまみ

「鼻つまみ」というのは嫌われ者、厄介者という意味がある。要するにつまはじきという事。「俺はあばれはっちゃく」から「痛快あばれはっちゃく」まで使われた主題歌「タンゴむりすんな!」には「あばれはっちゃく鼻つまみ おいらは花の落ちこぼれ」という歌詞がある。

さらに「はっちゃくひとりうた」という歌があるが、これは長太郎の孤独な理解されない気持ちを歌った歌で聞いているととても切なくなる。私はこの歌を子供の頃にカセットで聞きながら、ドラマから受ける「あばれはっちゃく」とあまりにも対照的な印象を受けて、悲しい気持ちになっていたりした。

長太郎は「あばれはっちゃく」と呼ばれている事を誇りに思っていてかっこいいと思っている。だが、一方で大人のいいなりにならない自分は大人達から厄介な目で見られているという自覚を充分持っていたと思う。長太郎は自分の中で納得がいかないと大人相手でも食ってかかっていた。そうした自分は大人達には嫌われていると分かっていたと思う。

そんな大人たちの中で長太郎の理不尽なことに対して反発する心を良しとして長太郎の長所として認めてくれたのが、佐々木先生だった。第33話で佐々木先生が母親の面倒を見る為に故郷へ帰ってしまうかもしれない時、長太郎は涙を流しながら佐々木先生からもらった万年筆で佐々木先生の名前をずっと書いていく。

この第33話を予告で紹介する時長太郎は「俺の事を一番良く分かってくれた先生が辞めちまう」と言っている。長太郎は自分が大人に理解されない子供だと分かっているし、それを平気だと思っている強い子ではあったが、やはりそれでも、自分を理解してくれている大人(両親とは別に)がいてくれたというのは本当に嬉しかったのではないかと思う。佐々木先生のほかに朝比奈の爺さんも長太郎を気にいり認めた大人の一人だった。

前に弱いもの - 柿の葉日記でも書いたが、大勢から理解されないものがオアシス的な存在を見つけて安心するというのに私は弱いが、長太郎と佐々木先生の関係もそんなような気がする。

第11話で長太郎は仲のいい友人達から仲間はずれにされて強がるが、やはり寂しかったと思う。長太郎の強がりのたがが外れるのは一番大好きなヒトミちゃんに無視された時だった。例え大人達にとって「鼻つまみ」の嫌われ者でも、同い年の友人の間では自分の事を分かっていて欲しかったのではないかと思う。ましてや、それが大好きなヒトミちゃんなら尚更。

あばれはっちゃく」と呼ばれ「鼻つまみ」と大人達に嫌われ、それを平気だと思っていた長太郎。むしろそれを勲章にし、「花の落ちこぼれ」と自分を誇りにしていた長太郎だったが、「はっちゃくひとりうた」の歌詞のように、何処か自分が理解されていない事に対して諦めに似た寂しさを抱いていたのではないか…と今になって思う。