柿の葉日記

主にドラマ『あばれはっちゃく』について語る個人ブログです。

38年前の今日から放送開始『俺はあばれはっちゃく』

1979年2月3日放送開始

今日は、節分。そして、今から38年前の1979年2月3日に『俺はあばれはっちゃく』第1話の放送が始まった日です。それで、改めて今日から第1話から再び見始めました。なるべく、毎週1話ずつ見ては感想やら、気がついた点などを書いていこうかなって思っています。内容は、過去記事と重複する部分もありますので、ご了承ください。

アバンタイトル

久々の第1話。オープニング主題歌の前に寸劇が入ります。これを「アバンタイトル」、もしくは縮めて「アバン」と呼ぶそうです。これは、DVDBOX2の解説書で初代長太郎役の吉田友紀さんがそう話されています。
この、アバンタイトルは、他のドラマにもあって、本編の内容と繋がっている作品もあるのですが、『俺はあばれはっちゃく』の場合は、あまり本編の内容とは関係のないものになっていますね。
これは、初代に限らず、後に続く、2代目、3代目、4代目、5代目も同じかな。
ただ、ここで2代目の途中まで続く、長太郎自身の自己紹介ナレーションが入っていて、特に初期は長太郎の破天荒で危険な遊びがメインの映像になっているので、初っ端から長太郎がお手製の車にのって、工事中の土の山に突撃してしまうというのは、長太郎のいう自分の呼び名である『あばれはっちゃく』の説明にある「手に負えない暴れ坊って意味さ」を分かりやすく紹介を映像で視聴者に強く印象付けていて、うまいなあって思います。

本編

この第1話の長太郎は朝ごはんの前にドンペイの散歩に出ているので、服装を見ても早起きだということが分かります。また、てるほと長太郎の掛け合いから、ドンペイの犬種、このドラマで長太郎の姉、てるほの言葉から雑種だということが分かります。(ちなみに実際のドンペイの犬種はゴールデンレトリバーです)また、これは原作に準じているのですが、てるほが元でべそであることと今は治って違うということも分かるのですが、でべそって治るものなのでしょうか?後に、かなり後の第43話で、母ちゃんがたぬきの置き物に銀環をガムで貼り付けて、てるほのでべそみたいというので、もしかすると、てるほのでべそは実は治っていないのかもしれません。

では、長太郎はどうしてこの時に、

「だから、元でべそじゃないか」

と言ったのか?おそらく、てるほが中学2年生になっていて、弟の長太郎と一緒にお風呂に入ったり、着替えをしていて裸やおへそを見る機会が減っていて、現在のてるほのへそがでべそであるかどうかの確認が出来ず、てるほの自己申告をそのまま受け入れているという可能性があります。長太郎は、姉てるほを女性として見てはおらず、関心もなく、また女の子の裸を相手の了承なしに見るという恥ずかしい真似をするなんて、男の風下にも置けないという気概を持っているのだと思います。
それは、この1話の話の流れで、ヒトミちゃん達が上級生の6年生にいじめられているのを、親友の公一からの報告を受けて助けに行った時の態度と言葉からも分かることですし、26話で姉のてるほを釣竿でスカートめくりをした悪ガキ達を退治した行動からも明らかです。とはいえ、ふざけて下校中にヒトミちゃんのスカートをを捲る場面も1回だけあったりはしたのですが……。

また、登校する途中での担任の佐々木先生への態度や、ヒトミちゃんを見つけての喜びようなどを見ると、長太郎が誰に対して好意的で親しみを感じているかがすぐに自然の流れで分かるのもいいですね。それに対して、佐々木先生やヒトミちゃんの長太郎に対しての反応も、それぞれに違っていて、佐々木先生と長太郎の関係、ヒトミちゃんと長太郎の関係、ヒトミちゃんに挨拶をした後で長太郎に声をかけてきた公一への長太郎の態度などでも長太郎と公一の関係も明確に分かるところも、途切れなく、日常の一コマの中に入っていて自然な流れで抵抗なく、すんなりと入ってきます。

国語の授業での朗読をしているヒトミちゃんへの長太郎の眼差しも、また、それで集中力を欠いて先生に叱れて、放課後に罰としてトイレ掃除をすることになったところで、時間経過で放課後の時間に飛んで、ヒトミちゃん達が校庭でバレーボールで遊んでいる場面に切り替わるのも時間の短縮がされていても、唐突さがありません。また、登校の時にヒトミちゃんがバレーボールを持って登校していた姿はしっかりと先にでているので、放課後に遊んでいたバレーボールがヒトミちゃん個人のバレーボールであるということもしっかり判明していて、だから、上級生にバレーボールを取られた時に、強くヒトミちゃんが

「返してください。私のボールよ」

とムキになるのも、当たり前だなって感じます。また、前の国語の時間で放課後の長太郎がトイレ掃除をしていることは、判明しているので騒動を知った公一が長太郎のところへ走るのも、明確だし、長太郎がここで既に武器になるトイレブラシを持っているところもさりげなく見せているので、この先の展開もあのトイレブラシでどう戦うのだろうか?という興味と不安を煽ります。
3人の上級生の6年生に、5年生の長太郎がどう対峙するのか、トイレブラシを武器にしても、それは相手を怯ませる目くらましとして使い、頭突きと腕力で立ち向かうも、バレーボールを子ども達から恐れられている、朝比奈のじいさんの庭に放り込まれてしまうという、腕力だけではバレーボールを取り戻せないという状況になってしまいます。

ここで、ヒトミちゃんはあのバレーボールが自分のものだということに加えて、この間デパートにきた三浦友和さんにサインをしてもらった大切なバレーボールだと明かします。しかし、それにしてもサインをバレーボールに書いてもらうなんて、ヒトミちゃんって一体…?とドラマだけを見ると思ってしまうのですが、そこは、以前にも書きましたが、ここは原作の『あばれはっちゃく』を読むとその理由が分かります。
腕力だけでは、取り戻せなかったバレーボールを長太郎は、自分の考えと知恵を使って取り戻す計画を立てていきます。
そのために自分の部屋に篭るのですが、この時に邪魔をされないように「只今勉強中」の札をぶら下げています。
この「只今、勉強中」の「只今」は誤字になっていて、長太郎の学力を端的に示しているのです。これも、後に正しい文字になっていきます。

ここで、てるほが中学から帰宅し、母ちゃんが今朝の父ちゃんの言葉に目覚めて、長太郎が勉強をする気になったんだと喜ぶのですが、この時に
長太郎が勉強をしたら、

「大雨が降る」


とか、

「やっとその気になってくれた」

と言っているので、もう1話の時点で、長太郎が勉強をすること自体が、ものすごく珍しいことだということも分かります。まだ、1話なのに、すでにもう見ているほうは、『俺はあばれはっちゃく』の世界における長太郎という人物が培ってきた性格やイメージの蓄積が出来あがっているのです。ここまでで来るのに、もうドラマの前半パートが終わっていて、後半の冒頭になっています。オープニングテーマなどがありますから、15分というよりは、正味10分くらいで、初めて私達の前に姿を見せた、ガキ大将あばれはっちゃく桜間長太郎という、勉強は嫌いだが弱いものいじめに対しては、自分よりも年上で人数が多い相手でも、果敢に向かっていく男気のあるのが長太郎なんだと見ている側に思わせているのです。

バレーボールが投げ込まれた朝比奈のじいさんの庭にはシェパードのナポレオンがいて、威嚇して吼えてバレーボールを取りにきた長太郎を追い返してしまいます。このナポレオンをどうにかしないと、バレーボールは取り戻せません。長太郎が最初に考えたのが麻酔銃、そこでデパートに睡眠薬を買いに行くのですが、そこが父ちゃんの職場。なので、ここで父ちゃんと鉢合わせをして、父ちゃんがちゃんと話に自然に絡んでいて、それが話の最後の方の場面に繋がっています。父ちゃんの職場も同時に紹介していて、これは次回の第2話への橋渡しにもなっています。
この第1話は、長太郎の人間像、長太郎を取り巻く周りの人間関係、家族関係、家族それぞれの性格、立場、学校や職場での立ち位置などが分かるようになっているのです。

これだけの情報をギュッと凝縮していて、一つの行動の流れの中に二重、三重に他の人物を登場させることで、一つの情報だけでなく、二つ、三つの情報も同じ場面の中に一緒に入れて、同時に見せて紹介されているので、とても中身が濃く、短い時間の中でしっかりと必要な要素を伝えることが出来ているのだと思います。
睡眠薬を大量に小学生には売れないということで、長太郎は別の案を考えて実行をします。この時に、公一に協力をしてもらっているので、それまでの流れを見ていると、ああいうことがあったのに、公一に協力を頼んでいること、公一がそれを承諾しているのを知ると、二人が互いに相手を必要とし、必要とされればちゃんと協力をする親友の関係であるということも同時に分かるのです。

腕力と度胸だけでは、取り戻せなかったバレーボールを長太郎は、知恵とアイディアと閃きを使って取り戻しています。ここで、ガキ大将がただの腕力だけではない、頭も使うというこれまでになかった頭脳を使うという新しさが目立ちます。また、これが勉強が嫌いな長太郎が今は頭を使うんだぜ、ということで面白さも出しているのです。
更に、長太郎の一度では諦めず、知恵を使って取り戻した姿を見て、朝比奈のじいさんが長太郎を認め、孫ほど年齢の離れた長太郎に友達になって欲しいと、対等な関係を結び、長太郎もそれに応えているところは、大人だからとか、子どもだからとかの区別なく、同じ人間として互いに対等に相手を認めていて、それがまたこの作品の魅力の大きさになっていると思います。

日常の会話や生活、それまで過ごしてきて蓄積されてきた登場人物達には当たり前のことを口に出すことで、まだ1話でこの世界を知ったばかりの視聴者も同じだけの感情の蓄積を持たせたこと、腕力だけではない知恵も使っていくガキ大将、助けを求めれば飛んで来てくれて協力してくれる親友、相手の度胸を認めて子どもでも対等な人間として関係を築く大人、怖い頑固なじいさんだと思ってもちゃんと礼儀を持って来てくれた相手を認めてその申し出を快く受け入れる長太郎の気前の良さの爽やかさが、見終わった後の気持ちの良さと温かさををしっかりと残していきます。
最初が肝心といいますが、『俺はあばれはっちゃく』は、もう既にこの1話で見る者の心をしっかりと掴むだけの魅力が詰まっていたのです。