柿の葉日記

主にドラマ『あばれはっちゃく』について語る個人ブログです。

佐々木先生が教えてくれたこと


人を噂や伝聞、周囲からの印象で、「あいつは、最低、どうしようもないやつ」と馬鹿にし、見下す人がいる。『あばれはっちゃく』の長太郎も、同級生の父兄からは、そう思われていた。だが、ちゃんと、長太郎を見て、言動を見ていた佐々木先生は、周囲の評価で、長太郎を判断はせず、長太郎を褒め、いけない時にはちゃんと叱っていた。

佐々木先生は、第33話で校長先生から長太郎を批判されたとき、反論した。

「校長先生、今のようなおっしゃりかただといいますと、桜間長太郎が、まるで問題児のあるように聞こえますが」

「そうじゃないのかね」

「冗談じゃありません。私は担任として、生徒達の素晴らしい個性はどんどん、伸ばしていっているんです」

佐々木先生は、長太郎が悪い子ではない、問題のある子ではないと、言い切った。自分よりも立場が上の相手にだ。佐々木先生は、周囲の評判に惑わされることなく、長太郎という人物を自分の目で見て、その人間性を評価していた。周囲が長太郎を悪く言っても、それで長太郎の人間性を否定することはなかった。しかし、長太郎が悪いことをした時は、しっかりと叱った。校長先生は、佐々木先生は生徒に甘い、と批判したが、むやみに、長太郎をはじめ、生徒達を甘やかしていたわけではなかった。

自分と親しい間柄、上の立場の人からの言葉で人の評価を下げない。あくまでも、自分の目でみて、良いところを認め、悪いところを正す。それは、まさに理想の先生だった。人を、周りの評価で判断するのではなく、自分の目で見て、自分の評価で判断し、相手を拒絶しないということを、私は『俺はあばれはっちゃく』の佐々木先生から教わった。親しい相手、よくしている部下、上司からの評価で、それまで、評価していて、付き合っていた交流のあった人間の関係性を絶つということは、人間、生きていればあるのかもしれない。

しかし、自分で相手を見て、判断するのが筋ではないか。それを、『俺はあばれはっちゃく』を通して、当時、作品を作り出していた人達は伝えてきたのではないか、と思う。ドラマの中の理想の作り事だったかもしれない。でも、そこに、メッセージや信念はあったのだろうと、私は思う。それが、理想でも、的外れでも、人を風評だけで、評価する、付き合いをやめるということを、私はしたくない。それとも、これは、単なる綺麗ごとの理想論に過ぎないのだろうか。

この話では、母ちゃんが佐々木先生が唯一、長太郎を褒めた先生だと、家族に話している。それを聞いた、てるほは「長太郎を褒めた?」と驚いていたが、母ちゃんは嬉しそうに「うちの長太郎は気骨のある良い子だって」と話していた。そして、父ちゃんは「あれだけの先生はな、鐘や太鼓を叩いたって、そうはみつかるもんじゃねぇ」と言っていた。ちゃんと、自分を見て、評価している人を大事にし、そして、人を噂や周囲の印象だけで、人間性を決め付ける人間にだけは、なりたくないものだ。

きっと、この作品を作り出した人達は、決して、周囲の意見で人の見方を変えるような人達はいないと、私は思いたい。ドラマと現実は違うと言われても。メッセージは本物だと思うから。

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