柿の葉日記

主にドラマ『あばれはっちゃく』について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

生きたい

最近、仕事で物凄く深く傷つき落ち込む事があって死んでしまいたいと思いました。この時期にそんな事を思ってしまうのは生きたかった人達に失礼だと思いながら、私は本当に死んでしまいたいと思ったのです。正直言えば私は出来るだけ長生きをしたいと思いません。あまり、いい事がないからです。いい事は待っているのではなくて自ら作っていくものだと思い頑張ってきましたが、その頑張りが足りないのか辛い事が多くて嫌になっていきます。隣の芝生は青く見えると言いますが、他の人だって苦しみや辛さはあり、それでも、懸命に生きている人が多いのに、私はこれまでの人生を振り返ってみても、これからの人生を考えてみても嫌な事が多いだろうなと思いました。それは、私が人から理解されず、いいように利用される事が多いから。人に大切にされた事がないからと気付きました。早く死にたいと思いながら、私は死が怖いので、本当は死にたくはないのです。

私が死にたいと思ったのは「もっと大切にされたい。必要とされたい。もっと理解されたい」という願望の裏返しだったのだと分かりました。酷く落ち込んだ時に私が職場の仲間にその辛さを話した時に、心配し声を掛け、話を聞いてくれた人がいました。私が厄介な事に巻き込まれた時に心配してくれた人もいました。妹も本気で怒ってくれて心配してくれました。中には私を理解せず心を傷つける人や、都合のいい時に利用する人もいますが、そうでない人もいる。それが分かっていても、心が傷ついた時はその傷口ばかりを見てしまい、その傷をつけた相手の事ばかりを考えてしまい、私は周囲の大切な人を見失ってしまいます。多分、私だけに限らず人は必要とされ、大事にされれば、死にたいとは考えないのではと思います。どんなに大変なことだって自分の事を必要とされたら頑張れます。でも、ないがしろにされたら空しいだけです。

「俺はあばれはっちゃく」第50話でてるほが「全く変な家族ですが、この騒々しくて陽気なメンバーのお陰で私は今まで一度も自殺とか登校拒否とか考えた事はありません」と家族を紹介した後に言いますが、てるほは陽気な家族の中にいて大切に思われて愛されているのが分かっているからこそ、自殺とか登校拒否を考えた事がなかったんだろうなと思います。また、長太郎は次回予告の中で「俺が死んだら、ヒトミちゃんが悲しむよ」と言った事があります。それを聞いた時、生きるという事が長太郎の中では楽しい事なんだろうなと思いました。「どうせ、私なんか死んだ方がいい」ではなく、自分が死んだら人が悲しむという発想が出来る事、一度も自殺を考えた事がないと言える事。それは私から見たら信じられない事です。私の頭の中には「どうせ私が死んだって誰も悲しまない」とう考えが常にあるからです。この発想は小さい時からではなく転校先で苛められてからずっとある考えです。

父ちゃんや母ちゃん、佐々木先生、公一、最初は冷たかったけど優しくなっていったヒトミちゃん達に囲まれ大切に思われてきた長太郎。でも、長太郎だっててるほだって全ての人が味方だった訳ではありませんでした。長太郎は「あばれはっちゃく」として鼻つまみにされていたし、てるほだって誤解されて酷い事を言われた事だってありました。でも、そんな嫌な事があっても、理解されずやっかむ人がいても、二人は自分を嫌い、死のうとは考えなかった。そんな考えが浮かばないほど、長太郎もてるほもそれを凌ぐ思いで大切にされ、本人達もそれを感じ取っていたのだと思います。そして、彼らにとって自分達を大切にしてくれる人たちがいて、大切にしたい大好きな人がいる人生は生きるのが楽しかったのだろうと思うのです。自分に対して好意的ではない人に腹を立てたり、泣いたりした事があっても、それにとらわれ過ぎずに自分を大切にしてくれる人を大切にしてきた長太郎やてるほのように私も大切な人達を見失わないようにしたいです。

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