「当時、『気まぐれ本格派』というドラマに出ていたんですが、それが終わった頃に母親から「主役の話が来ている」と言われまして、それでやってみることにしたんです」(『俺はあばれはっちゃく』DVDBOX2付属ブックレットインタビューより)
吉田友紀さんは『俺はあばれはっちゃく』のDVDBOX2のブックレットに収録されているインタビューの中で長太郎を演じるきっかけをそう答えています。「気まぐれ本格派」の撮影が終わったのが7月末だったようです。(これは、「気まぐれ本格派」のファンの方が、当時、撮影されていた神楽坂に行ったものの、既に7月末で撮影が終わってしまっていた事を同じく「気まぐれ本格派」のファンの方のブログにコメントされていたのを見て知りました。ちなみに「気まぐれ本格派」の放送は9月までありました)それを知ると、吉田さんが主演の話が来ているというのを聞いたのは、恐らく1978年の7月の終わりか8月の始め頃だったのかな?と考える事が出来ます。(「気まぐれ本格派」のカラーブックレットを読み直して見ると各話の説明ごとにある「堀井のこぼれ話」は制作担当の堀井健一さんが当時、毎話の制作記録をノートに記していた記録ノートに基づいて本人の記憶をまとめたものという説明があって、その記録が昭和52年9月18日月曜日から昭和53年7月25日火曜日までとあり、これから「気まぐれ本格派」の撮影は7月25日火曜日に終わっていた事が分かりました。8月3日追記)
私には初代長太郎の誕生日が(ドラマの中で明確に出てはいないけれど)夏なんじゃないかなというイメージがあります。それは、以前にも書きましたが、父ちゃんが長太郎の誕生日に贈ったのが手製のヨットという夏を連想させるものだったというのと、演じた吉田友紀さんの誕生日が8月4日だったというのが、その理由なのですが、長太郎が吉田友紀さんの所へやってきたのが夏ごろだったのを知った時に、ますますその思いが強くなりました。
新ちゃんを演じ終えた夏に吉田さんの所へやってきた長太郎。吉田さんは長太郎を演じるにあたって
「山中先生の本を読んで自分なりに勉強しました」(『俺はあばれはっちゃく』DVDBOX2付属ブックレットインタビューより)
と答えています。恐らく、話を聞いた夏。丁度、夏休みの時期、当時、小学6年生だった吉田友紀さんはその夏から『俺はあばれはっちゃく』の撮影が始まる1978年の暮れまでの間に山中先生の「あばれはっちゃく」を読んでいたんだろうなと思います。1978年の夏に初めて吉田さんは桜間長太郎と出会ったんだろうなと思うのです。吉田さんは長太郎の人物像を
「義理人情でしょうね。一見、粗暴に見えるけどかなり繊細で…」(『俺はあばれはっちゃく』DVDBOX2付属ブックレットインタビューより)
と答えていて、原作を読んでそのように長太郎を受け取った吉田さんと原作の長太郎が出会った時に『俺はあばれはっちゃく』の長太郎が生まれたのだと思うのです。そう思うと夏という季節が『俺はあばれはっちゃく』の長太郎が生まれた季節に感じます。今から33年前の夏に『あばれはっちゃく』の本を手に取り、その一ページを吉田さんが開いた瞬間から、吉田さんと長太郎の長い付き合いが始まったのかと思うと感慨深いです。
(あくまで推測なのでもしかしたら違うかもしれないけれど)
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