柿の葉日記

主にドラマ『あばれはっちゃく』について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

大人に都合のいい子供

 新太は智之とも長太郎とも違う男の子だった。勉強が好きで本が好きで難しい言葉を使う。多分、長太郎だったら平気な事でも恥ずかしがるような男の子。

『すぐやる一家青春記』も『気まぐれ本格派』も『俺はあばれはっちゃく』も1970年代後半のホームドラマではあるけれど視聴対象者はそれぞれ違うんだろうなと思う。『俺はあばれはっちゃく』は児童ドラマで子供を対象にした作品だというのは明確だが、それでも親子でみる事の出来た作品だった。(うちの母も『あばれはっちゃく』は覚えていて一番印象に残っているのが初代だったという)

『すぐやる一家青春記』と『気まぐれ本格派』は大人の視聴者を対象にしたホームドラマだろう。さらに言うと『すぐやる一家青春記』は男性寄り、『気まぐれ本格派』は女性寄りの作品に見える。この2作品では『気まぐれ本格派』の方がドラマの中での新太の性格からより大人向けのような気がした。

『すぐやる一家青春記』の智之は相馬家の末っ子で悪戯も好きだし子供らしく我が儘も言う。『俺はあばれはっちゃく』の長太郎は自分の感情に正直で世間体を気にせず行動する。
だが、『気まぐれ本格派』の新太は頭が良くてとても物分かりがいい。最初の頃の新太は父親の事もあって叔父の一貫に心を開かないが、和解した後は大人にとって都合が良く(母親の再婚話に寛容で自分の気持ちより母の気持ちを尊重するし、一貫の失敗を自分のせいされても怒らない)、また重くなりがちになる話の中での息抜きやクッション見たいな役割を持っていく。

新太が自転車を買ってもらうのを諦める件があるが、この時、新太は周りの大人達の気持ちを物凄く気遣っている。ただ、諦めるだけでなく、相手の心を労わりながら諦めている。これは、大人にとって都合のいい子供に見える。
『すぐやる一家青春記』の智之もそうした側面はあるが、智之はまだ子供らしい我が儘を言うし、自分の意志を周りの大人達の都合より優先して行動する。家の中に子供がいてドラマを見ていたら少しは個人差はあると思うが、智之に共感できるところがあるかもしれない。

新太にも共感する子もいる、いたかもしれないが、智之や長太郎よりは少なかったのではないだろうか?あくまで推測に過ぎないが。