柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

正彦登場

アバンタイトル

 それにしても、『俺はあばれはっちゃく』のクランクインが1978年12月なので、川に落ちるアバンタイトルはとても寒そうです。

本編

 この第2話で正彦が登場して、レギュラー子役が勢ぞろいします。
まだ、第2話なので第1話に続いて登場人物紹介の要素を多く占めています。
それでも、説明的ではなくて自然な流れになっていますね。
長太郎がテレビでピンクレディを見ながら踊っていて、曲が『カメレオンアーミー』洗濯物を取り込んできた母ちゃんを踊りに誘います。

「ピンクレディくらい踊れなきゃ時代に取り残される」

 この頃のピンクレディは人気のピークの最後の頃かなって思ったりもします。
私が最初に好きになった芸能人がピンクレディのケイちゃんで、1979年2月10日にこの第2話が放送されていた頃は、4歳で横浜に住んでいたのですが、私の記憶だと横浜にいた頃までは、ピンクレディの人気がすごく高かったと記憶しているんです。
なので、ピークの最後の方かなって思い出していました。
正確に調べてみると違うかもしれないですね。
今だったら、『逃げるは恥だが役に立つ』のエンディングの『恋ダンス』が踊れないと時代に取り残されてしまうのかな。

 日曜日なのに、長太郎が家にいることを怒っていますね、てるほ。
これで、日曜日には家にいることが珍しくて、長太郎がインドアではなくアウトドアだって分かりますね。
っていうか、もう第1話とアバンタイトルでも完全に外で遊ぶ派ってことは明確なんですが、ここで更に印象付けています。
てるほの言葉で長太郎と母ちゃんのダンスはお開き、長太郎は自室に戻って、そこへヒトミちゃんが訪ねてくる流れがスムーズで無駄がありません。
長太郎の部屋にあがって、そこでも長太郎の人間性をヒトミちゃんにも視聴者にも印象付けていますね。
ヒトミちゃんが目についた父ちゃんが去年の誕生日に作ってプレゼントしたヨットの模型が初登場しています。
このヨットの模型はドラマオリジナルですね。ここで、長太郎がヨットの説明をサッとしていますが、この軽くした説明が後の第18話「友情と引越しソバ」第21話「切手コレクション」の話で生かされているので、実は単なる小道具ではないのです。

 それにしても、長太郎が言う一張羅が着物だというのも、長太郎らしいですね。古風というか、粋な感じがします。
今回は恵子ちゃんの誕生日ということで、これは原作では別の人物の誕生日になっているのですが、(恵子ちゃんは原作にも登場する人物です)恵子ちゃんの誕生日にして、正彦を恵子ちゃんのまたいとこ(はとこ)と親戚関係にして(原作では恵子ちゃんと正彦は親戚ではありません)人間関係性を作り、一気に紹介していること、この誕生日会で正彦のユーモアやエレガントさ、会話の巧さを見せつけて、長太郎へのジョークのいたずらも入れて、いけ好かない感じをだしているのは、主人公のライバルの性格としていい感じにキャラクター性を与えていると思います。

 また、長太郎が仕事場の父ちゃんのところへ行って、正彦の父親と自分の父親の関係を見るのも、夕食の時にその悔しさを出すのも、大人の事情をさりげなく子どもの社会の中にもいれていて、子どもと大人の社会が繋がっていることも示唆しているのもいいです。
これが、『俺はあばれはっちゃく』を大人になっても、今度は父ちゃんや母ちゃん、先生達大人の立場になって見ることが出来る作品の強みだと思います。

 前半で長太郎が正彦を面白くないという感情を持つことに共感が出来る演出と話運びをしているので、学校で今度は勉強が出来るところも見せつけてダメ押しをして、長太郎が正彦に文句をいうところも長太郎の感情に気持ちがついていくことが出来ます。それにしても、長太郎はヒトミちゃんに弱いなあ。また、公一の少し冷めた冷静な言葉がいいが具合に刺さります。

 体育の時間、長太郎の挽回の時間でも、その上をいく跳び箱で旋回跳びをする正彦は、まさにスーパースター転校生です。長太郎も負けじと対抗して無残に惨敗。保健室へ直行。
佐々木先生が母ちゃんに電話をするも、母ちゃんは留守。
これも、前半の夕食の時の会話で自然に伏線があって、ちゃんと話の終わりで回収しているという、本当に話の巡らし方に無駄がないんですよね。

 正味25分で見せていくから、本当に無駄がなく、そして、自然の成り行き、当たり前の常識の判断での行動だから、見ているほうも抵抗なく流れるように見ることが出来て疑問を感じるところがないんです。
それにしても、長太郎を心配して保健室に来てくれたヒトミちゃんと正彦だけど、なんかいくら長太郎が寝たフリをしているとはいえ、結構酷いことを言っているなあ。
長太郎を校門でも待って一緒に帰る正彦、その正彦をなんとか逆転してギャフンと言わせようと企む長太郎。ところで、ヒトミちゃんは正彦と保健室を出た後に一緒に校門までは行ったと思うけど、その後で正彦が

「ぼくは長太郎君を待っているよ」

って言って、ヒトミちゃんと「さよなら」したのかなあ、なんて思ったりして。
待っていた正彦と長太郎の家に行くことにしたけれども、長太郎の企みは、家に着いた時点で正彦にバレバレ。
実は真相を知らないのは長太郎の方で、嵌めてやろうとした正彦を心配する長太郎の人の良さも出てきています。
こういう人情のあるところが、長太郎の暴れん坊だけではない、面倒見の良さのいいところだなって思います。
今回は、正彦のほうが一枚上手で、正彦のすごさが発揮された回でしたが、最後の最後で少しだけ長太郎の面目躍如が出来たかなって感じがします。
それも、正彦の女心を擽る欠点が出てきて、長太郎が正彦に文句を言っていた

「欠点のない人間は信用出来ない」

 ってことが、完全無欠に見えた正彦にも欠点があることが分かって、人間としての魅力というか、愛すべき信用するべき欠点のある人間だと判明しているところがいいですよね。
ところで、長太郎はどこで、正彦がカエル嫌いだと突きとめたのでしょうか?これは、謎ですね。
このカエル嫌いも第19話の「特ダネ記者だ」の話で生かされています。
主要登場人物が勢ぞろいして、紹介要素が多いものの、後の話に生かされていく設定や小道具も登場してきて、この第2話も内容が盛りだくさんで本当に面白かったです。

収録DVD紹介

俺はあばれはっちゃく DVD-BOX 1

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  • 発売日: 2005/03/25
  • メディア: DVD

38年前の今日から放送開始『俺はあばれはっちゃく』

1979年2月3日放送開始

 今日は節分。
そして、今から38年前の1979年2月3日に『俺はあばれはっちゃく』第1話の放送が始まった日です。
それで、改めて今日から第1話から再び見始めました。
なるべく、毎週1話ずつ見ては感想やら、気がついた点などを書いていこうかなって思っています。
内容は、過去記事と重複する部分もありますので、ご了承ください。

アバンタイトル

 久々の第1話。
オープニング主題歌の前に寸劇が入ります。
これを「アバンタイトル」、もしくは縮めて「アバン」と呼ぶそうです。
これは、DVDBOX2のブックレットで初代長太郎役の吉田友紀さんがそう話されています。
この、アバンタイトルは、他のドラマにもあって、本編の内容と繋がっている作品もあるのですが、『俺はあばれはっちゃく』の場合は、あまり本編の内容とは関係のないものになっていますね。
 これは、初代に限らず、後に続く、2代目、3代目、4代目も同じかな。
(5代目からはアバンタイトルがなくなります)
ただ、ここで2代目の途中まで続く、長太郎自身の自己紹介ナレーションが入っていて、特に初期は長太郎の破天荒で危険な遊びがメインの映像になっているので、初っ端から長太郎がお手製の車にのって、工事中の土の山に突撃してしまうのは、長太郎が説明する「あばれはっちゃく」の「手に負えない暴れ坊って意味さ」を分かりやすく映像で紹介していて視聴者に強く印象付けていて、うまいなあって思います。

本編

 この第1話の長太郎は朝ごはんの前にドンペイの散歩に出ているので、服装を見ても早起きだということが分かります。
さらに、てるほと長太郎の掛け合いから、ドンペイの犬種が長太郎の姉てるほの言葉から雑種だということが分かります。
(ちなみに実際のドンペイの犬種はゴールデンレトリバーラブラドルレトリバーです)
また、ドンペイが雑種と言ったてるほに長太郎が言い返した言葉からてるほが元でべそだということも分かります。

「だから、元でべそじゃないか」

 てるほが元でべそでということは、今は治って違うということも分かるのですが、でべそって治るものなのでしょうか?後に、かなり後の第43話で、母ちゃんがたぬきの置き物に銀環をガムで貼り付けて、てるほのでべそみたいというので、もしかすると、てるほのでべそは実は治っていないのかもしれません。
では、長太郎はどうして、上記の言葉を言ったのでしょうか。
おそらく、てるほが中学2年生になっていて、弟の長太郎と一緒にお風呂に入ったり、着替えをしていて裸やおへそを見る機会が減っていて、現在のてるほのへそがでべそであるかどうかの確認が出来ず、てるほの自己申告をそのまま受け入れているという可能性があります。
長太郎は、姉てるほを女性として見てはおらず、関心もなく、また女の子の裸を相手の了承なしに見るという恥ずかしい真似をするなんて、男の風下にも置けないという気概を持っていました。
長太郎の男としての気概は、この1話の話の流れで、ヒトミちゃん達が上級生の6年生にいじめられているのを、親友の公一からの報告を受けて助けに行った時の態度と言葉からも分かることですし、第26話で姉のてるほを釣竿でスカートめくりをした悪ガキ達を退治した行動からも明らかです。
とはいえ、ふざけて下校中にヒトミちゃんのスカートをを捲る場面も1回だけあったりはしたのですが……。

 登校する途中での担任の佐々木先生への態度や、ヒトミちゃんを見つけての喜びようなどを見ると、長太郎が誰に対して好意的で親しみを感じているかがすぐに自然の流れで分かるのもいいですね。
それに対して、佐々木先生やヒトミちゃんの長太郎に対しての反応も、それぞれに違っていて、佐々木先生と長太郎の関係、ヒトミちゃんと長太郎の関係、ヒトミちゃんに挨拶をした後で長太郎に声をかけてきた公一への長太郎の態度などでも長太郎と公一の関係も明確に分かるところも、途切れなく、日常の一コマの中に入っていて自然な流れで抵抗なく、すんなりと入ってきます。

 国語の授業での朗読をしているヒトミちゃんへの長太郎の眼差しも、また、それで集中力を欠いて先生に叱れて、放課後に罰としてトイレ掃除をすることになったところで、時間経過で放課後の時間に飛んで、ヒトミちゃん達が校庭でバレーボールで遊んでいる場面に切り替わるのも時間の短縮がされていても、唐突さがありません。
また、登校の時にヒトミちゃんがバレーボールを持って登校していた姿はしっかりと先にでているので、放課後に遊んでいたバレーボールがヒトミちゃん個人のバレーボールであるということもしっかり判明しています。

「返してください。私のボールよ」

 
 だから、6年生にバレーボールを取られた時に、強く返して欲しいことを伝えるのも、自然に感じます。
同時にヒトミちゃんの気の強さも分かる場面と言葉です。
国語の時間で放課後の長太郎がトイレ掃除をしていることは、判明しているので騒動を知った公一が長太郎のところへ走るのも、明確だし、長太郎がここで既に武器になるトイレブラシを持っているところもさりげなく見せているので、この先の展開もあのトイレブラシでどう戦うのだろうか?という興味と不安を煽ります。
3人の上級生の6年生に、5年生の長太郎がどう対峙するのか、トイレブラシを武器にしても、それは相手を怯ませる目くらましとして使い、頭突きと腕力で立ち向かうも、バレーボールを子ども達から恐れられている、朝比奈のじいさんの庭に放り込まれてしまうという、腕力だけではバレーボールを取り戻せないという状況になってしまいます。

 ここで、ヒトミちゃんはあのバレーボールが自分のものだということに加えて、この間デパートにきた三浦友和さんにサインをしてもらった大切なバレーボールだと明かします。
しかし、それにしてもサインをバレーボールに書いてもらうなんて、ヒトミちゃんって一体…?とドラマだけを見ると思ってしまうのですが、そこは、以前にも書きましたが、ここは原作の『あばれはっちゃく』を読むとその理由が分かります。
腕力だけでは、取り戻せなかったバレーボールを長太郎は、自分の考えと知恵を使って取り戻す計画を立てていきます。
そのために自分の部屋に篭るのですが、この時に邪魔をされないように「只今勉強中」の札をぶら下げています。
この「只今、勉強中」の「只今」は誤字になっていて、長太郎の学力を端的に示しているのです。
これも、後に正しい文字になっていきます。

ここで、てるほが中学から帰宅し、母ちゃんが今朝の父ちゃんの言葉に目覚めて、長太郎が勉強をする気になったんだと喜ぶのですが、この時にてるほが言う皮肉や母ちゃんの喜びの言葉を聞くと、もう1話の時点で、長太郎が勉強をすること自体が、ものすごく珍しいことだということも分かります。

この時の母ちゃんの言葉やドアにかかっている誤字の「只今勉強中」の札を見たてるほの言葉で、まだ、1話なのに、すでにもう見ているほうは、『俺はあばれはっちゃく』の世界における長太郎という人物が培ってきた性格やイメージの蓄積が出来あがるのです。

「大雨でも降るんじゃないかい」

「なに、この字。長太郎がまともに勉強なんかするはずないじゃない」

 ここまでで来るのに、もうドラマの前半パートが終わっていて、後半の冒頭になっています。
オープニングテーマなどがありますから、15分というよりは、正味10分くらいで、初めて私達の前に姿を見せた、ガキ大将あばれはっちゃく桜間長太郎という、勉強は嫌いだが弱いものいじめに対しては、自分よりも年上で人数が多い相手でも、果敢に向かっていく男気のあるのが長太郎なんだと見ている側に思わせているのです。

 バレーボールが投げ込まれた朝比奈のじいさんの庭にはシェパードのナポレオンがいて、威嚇して吼えてバレーボールを取りにきた長太郎を追い返してしまいます。このナポレオンをどうにかしないと、バレーボールは取り戻せません。
長太郎が最初に考えたのが麻酔銃、そこでデパートに睡眠薬を買いに行くのですが、そこが父ちゃんの職場。
なので、ここで父ちゃんと鉢合わせをして、父ちゃんがちゃんと話に自然に絡んでいて、それが話の最後の方の場面に繋がっています。
父ちゃんの職場も同時に紹介していて、これは次回の第2話への橋渡しにもなっています。

 この第1話は、長太郎の人間像、長太郎を取り巻く周りの人間関係、家族関係、家族それぞれの性格、立場、学校や職場での立ち位置などが分かるようになっているのです。
これだけの情報をギュッと凝縮していて、一つの行動の流れの中に二重、三重に他の人物を登場させることで、一つの情報だけでなく、二つ、三つの情報も同じ場面の中に一緒に入れて、同時に見せて紹介されているので、とても中身が濃く、短い時間の中でしっかりと必要な要素を伝えることが出来ているのだと思います。
睡眠薬を大量に小学生には売れないということで、長太郎は別の案を考えて実行をします。
この時に、公一に協力をしてもらっているので、それまでの流れを見ていると、ああいうことがあったのに、公一に協力を頼んでいること、公一がそれを承諾しているのを知ると、二人が互いに相手を必要とし、必要とされればちゃんと協力をする親友の関係であるということも同時に分かります。

 腕力と度胸だけでは、取り戻せなかったバレーボールを長太郎は、知恵とアイディアと閃きを使って取り戻しています。ここで、ガキ大将がただの腕力だけではない、頭も使うというこれまでになかった頭脳を使うという新しさが目立ちます。
また、これが勉強が嫌いな長太郎が今は頭を使うんだぜ、ということで面白さも出しているのです。
更に、長太郎の一度では諦めず、知恵を使って取り戻した姿を見て、朝比奈のじいさんが長太郎を認め、孫ほど年齢の離れた長太郎に友達になって欲しいと、対等な関係を結び、長太郎もそれに応えているところは、大人だからとか、子どもだからとかの区別なく、同じ人間として互いに対等に相手を認めていて、それがまたこの作品の魅力の大きさになっていると思います。

 日常の会話や生活、それまで過ごしてきて蓄積されてきた登場人物達には当たり前のことを口に出すことで、まだ1話でこの世界を知ったばかりの視聴者も同じだけの感情の蓄積を持たせたこと、腕力だけではない知恵も使っていくガキ大将、助けを求めれば飛んで来てくれて協力してくれる親友、相手の度胸を認めて子どもでも対等な人間として関係を築く大人、怖い頑固なじいさんだと思ってもちゃんと礼儀を持って来てくれた相手を認めてその申し出を快く受け入れる長太郎の気前の良さの爽やかさが、見終わった後の気持ちの良さと温かさををしっかりと残していきます。
 
 最初が肝心といいますが、『俺はあばれはっちゃく』は、もう既にこの1話で見る者の心をしっかりと掴むだけの魅力が詰まっていたのです。

収録DVD紹介

俺はあばれはっちゃく DVD-BOX 1

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  • 発売日: 2005/03/25
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遅くなりましたが明けましておめでとうございます

1月も後一週間になって、明けましてもへったくれもありませんが、とりあえず、まだ1月だからセーフという私の勝手な判断で、まだこのダイアリーでの新年のご挨拶をしてませんでしたので、遅ればせながら新年のご挨拶をさせて頂きました。
更新頻度が減って、あまり新規の情報もなく、伝える情報が訃報ばかりなるなか、コメントを残してくださったり、訪問してくださる皆様に感謝しています。

私は、口下手で余程、気心の知れた人間でないと喋ることが出来ません。ただ、相手が受け入れてくれると、歯止めがきかなくなり、普段、黙っている分喋りすぎて、相手から嫌われてしまいます。
どうも、加減ということが出来ないのです。
意識してコントロールしようとすると、不自然になり、話すことが怖くなります。
聞き上手になりたいなあ。

ここでは、私が感じたこと、思ったことを思いのまま気兼ねなく書き綴ることが出来ます。
それを読んで、不愉快に感じる方もいましたが、殆どの方は私の考えや思いを受け入れてくれて、私が一方的に投げたボールを受け止めて返してくれる。
私は、他人との会話のキャッチボールが苦手な人間なので、声のトーンや顔の表情を伝えることが出来ない、文字だけの言葉のやり取りはさらに神経を遣います。
私が親しみを込めて書いた文章でも、馴れ馴れしかったり、逆に責めているように感じてしまわないか?と思ったり、どんな言葉を選べば私の気持ちがこちらの感じたままに近い形で届くだろうか?と考えてしまいます。

それは、ドラマの感想や考察を書くときでもそうなのですが、それ以上にコメントの返信や時間、日にちを考えてしまうのです。
私が、他でコメントを残しても何も反応がない時の虚しさや悲しさを知っていて、また、返す側として実生活が忙しかったり、返信の言葉を考えすぎて返す時間がかかったり、いろいろと考えた末に短くなったりすることが分かっているけれども、待つ側の寂しさとか、相手に言葉を投げたことで反応がなかったりすると、変な言葉をかけてしまったかなって私が悩むので、私に言葉をかけて悩んだり、気に病んで欲しくないなって思って、私なりに言葉を選んでいます。

どんなに会話のキャッチボールが下手であろうと、明らかな暴言ではない限り、私は無視をされる辛さを実生活でもネットの世界でも体験しているので、せめてここへきて、私の文章をしっかりと受けとめてくれた方達には、少しでもホッとして欲しいのです。
更新頻度はまだ、以前のようになりませんが、今年も少しずつ更新をしていきます。
今年もよろしくお願いします。
ここまで、読んでくださりありがとうございました。
寒さが厳しくなっています。風邪をひかないように、体を大事にしてください。
では、また。

山際監督と田口成光さんのトークショー明日から

Yoshiroさんからコメント欄に頂いた情報です。山際監督と田口成光さんのトークショー。この組み合わせで、思い出したのが『ウルトラマンタロウ』でした。調べてみると、やはり『ウルトラマンタロウ』のイベントのようです。『ウルトラマンタロウ』には、『あばれはっちゃく』シリーズでお馴染みの父ちゃん役の東野英心さんも出演されていて、もしもご存命なら、東野さんもでていたのかなって思ったりもします。

ここのサイトに来てくださる皆様や私にとって、山際監督、田口さん、東野さんというと、『ウルトラマンタロウ』よりも、『俺はあばれはっちゃく』『男!あばれはっちゃく』を思い出してしまうのですが、初代と2代目だと、『ウルトラマンタロウ』も思い出す人もいるんでしょうね。実際にこれまでの書き込みで、両方を思い出して語ってくれた方々がいて、自分より少し年上のお姉さん、お兄さんは両方を知っているんだなって感じました。東野さんだと、『中学生日記』の先生役を思い出す方もいました。

田口さんと東野さんは、『あばれはっちゃく』シリーズの最後まで、関わっていましたが、山際監督は2代目の途中までなので、初代と2代目までと書きました。『あばれはっちゃく』ファンとしては、『あばれはっちゃく』に関しても、こんなイベントがあるといいなって思ったりします。

Yoshiroさん、教えてくださりありがとうございます。また、お礼が遅くなってすみませんでした。

シネマノヴェチェント 上映スケジュール | 映画-Movie Walker

残念です

女優の十勝花子さんがお亡くなりになりました。十勝さんは、『痛快あばれはっちゃく』で、長太郎の親友、清の母親役でレギュラー出演されていました。また、私はチューンソフトの『街』というゲームが好きで、その『街』にも、十勝さんは出演されていたので、馴染み深い女優の方の一人でした。

年数を考えれば、当然なことではありますが、『あばれはっちゃく』関連の情報で、こうした訃報をお伝えするのは、とても悲しく、残念です。十勝花子さんのご冥福を心よりお祈りします。

十勝花子さん大腸がんで死去「熱中時代」など出演 - おくやみ : 日刊スポーツ

吉田友紀さんの50歳の誕生日

今日は、初代はっちゃく『俺はあばれはっちゃく』の主演を務めた吉田友紀さんの50歳の誕生日です。
長太郎で吉田友紀さんを知った私からすると、なんだか、とても不思議な気がします。人間、生きていれば年齢を重ねるのですから、50歳になるのも当然なことなのですが、自分も4日後には42歳になるというのに、なんだか、本当にあの頃から見たら、遠い未来に来てしまったのだなって思ってしまうのです。

吉田友紀さんがDVDBOX2の解説書のインタビューで、ご自身と長太郎の共通点を述べていましたが、私が少しだけ伺い知ることが出来る吉田さんと長太郎の共通点は「気骨がある」ところだと思います。ただ、吉田友紀さんと長太郎が同一人物だとは思えないのですね。『俺はあばれはっちゃく』を見ていると、吉田さんと長太郎が引っ付いていて、同じ人間、素のままで演じている錯覚に陥るのですが、よくよく二人を見ていると、似ている部分はあっても(容姿以外ですよ)、違う人間だなってことを感じます。
それは、私が吉田さんが演じた長太郎以外の役を知ることができたから。

荒野の素浪人』の男の子役、(1972年〜1973年)
『飛び出せ青春!』の宇野トモヒロ君、(1972年日本テレビ
『鉄人タイガーセブン』の次郎君役(1973年〜1974年フジテレビ)
映画『教室205号』の明君、(1974年10月公開 監督:橘祐典)
木下恵介アワー最終作『わが子は他人』のあきら君、(1974年4月〜10月TBSテレビ)
ウルトラマンレオ』の桃太郎君、(1974年)
『破れ傘悪人狩り』の三吉役、(1974年〜1977年NET(現テレビ朝日))
『それ行け!カッチン』のキヨシ君役、(1975年TBSテレビ)
『すぐやる一家青春記』の智之役、(1977年TBSテレビ)
『気まぐれ本格派』の新太役、(1977年〜1978年日本テレビ
東映スパイダーマン』の良一君役、(1978年〜1979年)
火曜サスペンス劇場『蝶たちの殺意』の明君役、(1983年日本テレビ
『男!あばれはっちゃく』(1980年〜1982年テレビ朝日)『痛快!あばれはっちゃく』(1983年〜1985年テレビ朝日)の島津隼人役、
電脳警察サイバーコップ』の武田役、(1988年日本テレビ
刑事貴族2』の2話のゲスト役(1991年日本テレビ)、
映画『さまよう刃』の制服警官役、(2009年公開)

等々、当時テレビで、映画館で、DVDで、CSの放送で、吉田さんが演じてきた様々な役を見てきて、長太郎に近い役柄も演じているけれども、それぞれが別人として私には見えたから、吉田さんは長太郎を演じている時も、長太郎という自分と別人をしっかり演じていたのだな、ということが分かったからです。

それは、役者としては当たり前のことなのだと思いますが、吉田さんの場合、特に『俺はあばれはっちゃく』の長太郎は、素のままに見えてしまうと、見た人の殆どが錯覚してしまうほどなのです。これは、芝居が巧いというのを超えていて、もはや、皮膚感覚でそう思わせてしまうだけの、吉田さんの超越した役者としての力量がなせる業なのだと思います。

私は2年前に『俺はあばれはっちゃく』のメイン監督である山際永三監督とお会いして、お話をさせて頂きましたが、山際監督は、とても吉田さんのことを褒めてました。それは、決してリップサービスではなく、本当にこれだけの子はいない素晴らしいと褒めてました。そして、それだけ凄く功績を残しながらも、吉田さんが今でも謙虚であり、自分だけの力だけで『俺はあばれはっちゃく』を人気ドラマにしたと思ってはなく、周囲に対してとても感謝しているということも話されました。

私が聞いた限りでは、山際監督が手放しで褒め、手を合わせて感謝しているのは、ちゃこ姉ちゃんの四方晴美さんと、長太郎を演じた吉田友紀さん、それと、長太郎の親友公一を演じた妹尾潤さんでした。(『それ行け!カッチン』のDVDBOX2の解説書にあるインタビューで冨永美子さん(現:冨永みーなさん)と上野郁巳さんのことも褒めています。上野さんは、『俺はあばれはっちゃく』に山際監督の回の16話にゲスト出演しています)

私は、島田歌穂さんのてるほも好きなのですが、山際監督のお言葉を借りると、『俺はあばれはっちゃく』当時の島田さんは、まだまだお嬢様気質が抜けなくて、いまひとつという印象だったそうです。「それでも、今も活躍してるから、凄いよね」と言われていました。私には、てるほを演じていた時点で、島田さんにも充分な演技力があると思ったのですが、それだけ、山際監督の要求が高いということなのか、と思いました。

残念ながら、四方さんも妹尾さんも芸能界を既に引退され、それぞれに違う道で活躍されています。四方さんは、よくテレビで取り上げられているので、現在ユニクロで働いていることをご存知の方は多いと思いますが、妹尾潤さんは、ブリヂストンゴルフクラブで、ゴルフを教えるレッスンプロになられています。吉田友紀さんも、現在は芸能界から距離を置き、2009年公開の映画『さまよう刃』を最後に、所属されていた芸能事務所を辞めて、役者の仕事をされていません。それは、ファンとしては、正直、残念で悲しい気持ちがあります。

ただ、それは、吉田友紀さんがご自身で決めたことであり、ファンとはいえ、他人の私が口を出すことでもなく、また、私の我侭を押し付けて、役者復帰してくれ、と言えることではありません。吉田さんは平和に幸せに日々を送られていて、それが、私は一番嬉しい。私の感情を綺麗事のやせ我慢に見える人もいるかもしれませんが、私の本音は、吉田さんが日々、幸せにくらしてくれていることなのです。吉田友紀さんは、役者「吉田友紀」を演じ終えて、本来の「鴨志田友紀さん」に戻ったのかもしれません。それでも、吉田友紀さんが演じてきた役は、出演された作品は、私の中に大切な存在として、生き続けています。そして、そうした役のおかげで、今の私があります。だから、私は、今も役者吉田友紀さんのファンのままです。

吉田友紀さん、お誕生日おめでとうございます。どうか、いつまでも、お元気でいてください。あなたは、私の子どもの頃の、そして今も憧れの大切なヒーローです。今までも。これから先も、ずっと。

山際監督の誕生日

今日は、私が『俺はあばれはっちゃく』『男!あばれはっちゃく』で一番好きな監督、山際永三監督の誕生日です。2年前、縁あってお会いし、お話が出来たことが今では、夢の中の出来事だったように思います。初めてのインタビューで、初めてお会いして、聞きたかったこと、伝えたかったことの半分も出来なかった私ですが、2年前の私なりに思いを伝えることが出来たこと、別れ際に、山際監督から手を差し出して握手させて頂けたことは、私にとってかけがえのない経験でした。

私は、肝心なことを伝え忘れていました。「山際監督、『あばれはっちゃく』を私の子どもの頃につくってくれてありがとうございます。『あばれはっちゃく』のことをブログに細々と書いてきて、私のブログに来てくれた方々の交流で、私たちの中で『あばれはっちゃく』がとてもとても、大事な心の支えになっています。この作品があったからこそ、こうして頑張って生きています。ありがとうございます」ということを。

『心の支え』とか、そういうのなんか臭くて、ありきたりで使い古された言葉かもしれませんが、本当に私にとっては、『あばれはっちゃく』特に『俺はあばれはっちゃく』は、それがなければ、日々の仕事にへこたれて、生きていけなかったのは、本当のことなのです。他人が、「大げさ」「たかが児童ドラマだろ?」「は?道徳セミナーの番組じゃねぇよ!」「わぁ、臭い。馬鹿じゃないの?」「単に楽しいだけの番組だったろ?」「思い込み強すぎねぇ?」と思おうが、そういう言葉を投げつけてきても、私の中で、『俺はあばれはっちゃく』『あばれはっちゃく』シリーズが私の心の支えであるのに変わりはありません。子どもの時に楽しませてもらい、大人になって励まされる。こんな、作品は他にありません。

その思いは、このブログにコメントをくださった人達との交流で、その思いを抱いているのは、私だけではないのだと、多くの同じ思いを持った『あばれはっちゃく』が大好きな人達がいるのだと、私は確信しました。そして、その大事な大事な作品を作ってくれた、その筆頭に立ってくれた、初代の第1話を撮り、メイン監督として手腕を振るってくれた山際監督に対して「作品を作ってくれてありがとうございます」と伝えたいと思うのは自然なことだと思います。

でも、2年前、緊張しすぎて伝えられなかった。それが、心残りです。

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