柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

大人に認めてもらいたかった子供達

小説の『教室205号』を読んだ人の感想を読んだ。言われてみればそうかなとおもうけれど。あの4人の少年達は大人に認めて欲しいと思っていた少年達だったから、大人の理想に自分達を当て嵌めていったように思う。自分達ではない大人が見る自分達に。4人が抱える問題はそれぞれに違うように見えて実は同じだったと思う。

4人とも親にもっと自分に関心を持って欲しかったのではないか?親にもっと自分の心に寄り添って傍にいて欲しかったように思う。だからこそ、振り向いてもらえるような行動をしたのではないか。
洋太の反発心もそこにあるように思う。

洋太が教室のから文句を本当の目標にしようとしたのは彼の反発心からだと思う。父親の再婚でひねくれた態度をとっていた時の洋太は天邪鬼だった。出来やしないと言われる事をしてやる、出来ると思われる事は出来てもしてやらない。

それが、彼の父親に対する反抗だったように思う。親は親で子供の事を考えているけれど、それは少しずれていて、子供から見たらちゃんと自分という人間を見てくれていない。

愛されていないと感じていたのではないか?友一にしても、母親は友一の将来の事を考えて私立中学受験を考えていたけれど、それが、いつしか友一の為から、私立中学へ行く事が目的になってしまったように思う。

健治がひねくれた見方しかしない洋太に言う。

「滝はひねくれているよ!」

当事者以外から見たら、新しいお母さんも優しいお母さんで恵まれているように見える。

「二人で頑張っていこう」

父親は洋太にそう言った。
だから実の母親の事を思うと新しいお母さんにすぐ心を開くのは死んだ母親に対する裏切りに思えて、洋太の中では許さなかったのではないかと思う。洋太はそうした心に嘘をついたり、誤魔化したりする事が許せない人間だったように思う。

洋太と友一は二人で205号に家出をするが、友一は途中で怖くなって家に帰ろうとする。だが、洋太に引き留められる。友一は親に心配をかけさせるのが嫌な子で、そうした大胆な事、家出をすることに後ろめたさがあったのではないか。

洋太も自分も怖かったと言っていたから、強がっていても彼もまた親(特に父親)に心配させるのに抵抗があったと思う。友一と洋太の事で親達やクラスメートに詰問されて、どうしようもない気持ちになった健治を見ても、彼らの中では親(大人)に反発してやろうというという気持ちよりも、認めて欲しいという気持ちの方が強かったように思う。

だから、彼らの目指したのが大人が認める子供だったのではないかと思う。友一が跳び箱を5段跳べるようになった後の彼らの目標が明君の算数のテストの点を上げる事だった。明君は40点の算数のテストを出して、明君は言った。

「こんな点数を取ったら、ママ、がっかりするんだ」

明君もまた母親にがっかりして欲しくなくて友一達に算数を教わって勉強をして、頑張って100点を取った。でも、明君のママはそれを喜ばなかった。明君はママに喜んでもらう為だけに頑張っていた。それは、やっぱり親に振り向いて欲しかったからだと私は思う。

「明の親は明が100点を取る事なんて、どうでも良かったんだろうな、明はいつも寂しがっていたよ。明に関心がなかったんだろうな」

洋太が確かそんな事を言っていたと思う。明君以外の3人の場合は親は子供が期待するような関心の持ち方ではなかったが、子供に関心があったように思う。しかし、それが子供が思うのと少しずれていた。

ただ、明君の場合はそうではなく、親が既に明君に関心がなかったのが違うように感じる。だから、明君は死んでしまったのではないか?ただ、思うのは明君があの年齢(8歳)まで生きてこれたのは、やはり、親の愛情があったからだと思う。いつからか、明君の両親は物(家)を買う事の方が重要になり、明君から関心がなくなってしまったのではないかと思う。

明君の両親がどんなに働いてお金を稼いでも決して買う事の出来ない一人息子の明君を亡くした時、彼らは自分達の過ちに気付くのだろうか?それとも、やっかいな子供が減って安心したのか、新しく子供を作ればいいと考えたのか……?それは分からないけれど、もし、そんな考えを持ったとしたら、明君があまりに可哀想過ぎると思った。

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