柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

4代目・5代目「あばれはっちゃく」に出演した中原由視さん

『逆転あばれはっちゃく』14話より中原由視さん

1981年朝ドラ『本日も晴天なり』の影響力

ここ最近、この過疎ブログのアクセスが急激な異常アクセスになっていて、何事かと思ったら、下記の過去記事へのアクセスが伸びていました。

kakinoha.hatenadiary.com

4代目『痛快あばれはっちゃく』(1983年4月2日~1985年2月23日・テレビ朝日)5話(1983年4月30日放送)でゲスト出演、5代目『逆転あばれはっちゃく』(1985年3月2日~9月21日・テレビ朝日)でヒロインあかねちゃんのお父さん役で準レギュラーとして『逆転あばれはっちゃく』全27話の内、2話(1985年3月9日放送)、14話(1985年6月8日放送)、21話(1985年8月3日放送)に出演した中原由視さんと中原丈雄さんが同一人物かそうでないかを検証した記事ですね。

このリンク先の記事(異常にアクセスが伸びた記事)で、私は中原由視さんと中原丈雄さんは別人だと、それぞれのテレビドラマ、映画、テレビCM出演から結論づけました。それで、別人だと納得された方、そうじゃないと疑う方、いろいろな反応を見ました。

私は自分のブログ記事をTwitterで拡散されていたのを目にしたのですが、どうして拡散されたかを調べてみると、現在、NHKBSPとNHK4Kで『本日も晴天なり』(1981年10月5日~1982年4月3日・NHK総合)が放送されているのですね。

この1981年後期に放送されたNHKの朝ドラのある意味、再放送を視聴した方達が、出演している中原由視さんを見て、若い頃の中原丈雄さんではないか、中原丈雄さんが現在とは別名義で出演している、と思ってその真偽を知ろうとして、私のブログを見つけて、Twitterで拡散されたようです。

しかし、地上波での再放送ではないとはいえ、こんな素人の過疎ブログに影響を与えるなんて、全国で放送されるNHKテレビの放送と過去の人気朝ドラの影響力の強さを感じます。

中原由視さんと中原丈雄さんの共通点・劇団未来劇場

あまりにも、中原由視さんと中原丈雄さんについての過去記事のアクセスが伸びたため、改めて2人の経歴について調べ直してみたのですが、やはり私は過去記事で結論付けたように、お2人は別人だと考えます。

お2人を同一人物だとされる方達は、2人の声と顔が似ている、或いは同じだとされていますが、私は違うと思います。これは、私が2人を別人だと思っているから、その思い込みで違うと受けとめているとも思いますが、反対に2人を同一人物だと思っている人の目には同じに見えているとも言えます。

また、さらにややこしいのが、中原由視さんも中原丈雄さんも、水森亜土さんの劇団「劇団未来劇場」の舞台に出演されていることです。中原丈雄さんのファンの方達はご存じだと思いますが、駒澤大学を中退された中原丈雄さんは、劇団未来劇場の劇団員として、舞台に立たれ俳優としての活動を開始されています。

そこで劇団未来劇場のパンフレットから、中原由視さんが劇団来劇場の舞台に出演していたことを知って、中原丈雄さんの劇団未来劇場に所属していた頃からの芸名が「中原由視」だとする人もいました。

中原由視さんが劇団未来劇場の舞台に立ったのは1979年11月2日~10日まで、銀座8丁目博品館劇場で公演された「第37回劇団未来劇場公演 ロートレックの特別料理」がありました。

この年、1979年には、中原由視さんはテレビドラマ『3年B組金八先生(1作目)』(1979年10月26日~1980年3月28日・TBS)に出演しています。少なくとも、現在、記録に残る資料から素人の私が調べられる範囲で、中原由視さんが1979年には既に舞台でもテレビでも「中原由視」名義で活動されていたことが分かります。

www.hakuhinkan.co.jp

一方で、中原丈雄さんのテレビドラマデビュー作は、1982年のポーラテレビ小説『女・かけこみ寺』(1982年4月5日~10月1日・TBS)です。中原丈雄さんは、駒澤大学を1年の時に中退されて、劇団未来劇場に入団されているので、19歳か20歳の頃に入団されたと考えると、1951年生まれの中原丈雄さんは、1970年か1971年に劇団未来劇場に入団と思われます。

だから、既に1979年の舞台に立っていても、裏方として参加していても、おかしくはないんじゃないか、やはり1979年の舞台『ロートレックの特別料理』に出演している中原由視さんは中原丈雄さんではないかと考えることも出来ますが、私はそれぞれ別人で同じ時期に劇団未来劇場に中原由視さんと中原丈雄さんが同時に所属していたのだと考えます。または、中原由視さんは客演だったかもしれません。

そう考える根拠として、中原由視さんが出演していたポーラテレビ小説『女・かけこみ寺』(1982年4月5日~10月1日・TBS)が、中原丈雄さんのテレビドラマ(映像)のデビュー作となっていることです。私は同じ劇団、或いは同じ劇団で仕事をした関係で、中原由視さんが出演しているドラマのスタッフが劇団未来劇場の舞台を観劇して、中原丈雄さんを見つけ、ドラマ出演を依頼した、或いはドラマに出演していた同じ劇団の中原由視さんが中原丈雄さんにテレビドラマの現場に来るように誘った、こんな役をドラマのスタッフが探しているが出てみないかと声をかけたのではないか、と思うからです。

これは、私の1つの仮説です。ただ、テレビドラマの出演が小劇団を見たテレビドラマのスタッフがその劇団の人に声をかけたり、先にテレビドラマに出ていた劇団員のバーターで出演が決まったり、オーディションの話があることは、昔からテレビのトーク番組で、俳優や脚本家(例えば、三谷幸喜さん)からお話を聞きますから、中原由視さんと中原丈雄さんの間でも、ないとは言い切れないと思います。

また、中原丈雄さんのデビューのきっかけは、1981年の劇団未来劇場の舞台『ニューオリンズからマーマレードが届いたよ』での主演です。この舞台をテレビドラマのスタッフが見に来るきっかけが、中原由視さんも劇団未来劇場の舞台に出演していたからではないかと私は思うのですが、どうでしょうか。

あばれはっちゃくの出演をなかったことにしてるのは何故?

多くの人が、中原由視さんと中原丈雄さんを同一人物だと捉えています。しかし、そうすると、中原丈雄さんの過去の出演作に、4代目『痛快あばれはっちゃく』(1983年4月2日~1985年2月23日・テレビ朝日)と5代目『逆転あばれはっちゃく』(1985年3月2日~9月21日・テレビ朝日)に出演したことをなかったことにされているので、『あばれはっちゃく』シリーズファンの私としては、とても悲しいのです。

それに、今回の記事を書くきっかけになった朝ドラ『本日も晴天なり』(1981年10月5日~1982年4月3日・NHK総合)の出演も中原丈雄さんはなかったことにしていることになります。他の朝ドラは出演作として経歴にあるのに、『本日も晴天なり』(1981年10月5日~1982年4月3日・NHK総合)がないなんて変だと思いませんか?別名義での出演だったら、別名義の断りを入れていれると思います。中原由視さんと中原丈雄さんは、顔と声、劇団未来劇場の出演経歴、テレビドラマ出演歴がとてもよく似ているので、同一人物だとされる方達もいますが、やはり私は別人だと思うんです。

もしも、中原由視さんを中原丈雄さんだとすると、中原由視さんが『本日も晴天なり』(1981年10月5日~1982年4月3日・NHK総合)に工藤役で出演したのは、17週目(94話~99話)、1982年1月25日~30日に放送された話からなので、中原丈雄さんのテレビデビュー作とされているポーラテレビ小説『女・かけこみ寺』(1982年4月5日~10月1日・TBS)よりも早くなります。いくら、当時、TBSがNHKの朝ドラに対抗して放送していたポーラテレビ小説とはいえ、先に出演しているNHK朝ドラを差し置いて、『女・かけこみ寺』(1982年4月5日~10月1日・TBS)をデビュー作とされている理由が分かりません。

同一人物だと思われる方は、中原丈雄さんが中原由視として出演している作品を自分の出演作品に入れていない理由を教えてください。