柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

『男!あばれはっちゃく』60話「憶病神退治」感想

『男!あばれはっちゃく』60話より

1981年5月23日放送・脚本・安藤豊弘さん・川島啓志監督

根底にある相手への優しさ

今回の話で一番印象に残ったのは、父ちゃんの粋な優しさでした。今回は仕事の事故で怪我をしたことで、鳶職の章の父ちゃんが一時的に高い所が苦手になってしまい、それを長太郎がなんとかしようとする話。

基本的には章の父ちゃんの一時的な高所恐怖症を治すことが話の基本になっているのですが、それに派生して、章が自分の父親を思いやる気持ちやそんなことを知らないままに最終的には章の気持ちをフォローしてくれる父ちゃんの粋な優しさがありました。

さらには、長太郎が閃いた章の父ちゃんの高所恐怖症の荒療法についても、長太郎は父ちゃんから、いつものように滅茶滅茶怒られるんだけど、長太郎の思いをくみ取った章の父ちゃんが長太郎を庇う姿があって、それぞれの行き交う優しさをじんわりと感じた話でした。

父ちゃんの優しさが粋

章はお酒ばかり飲む父親を心配して父親がもらってきた極上の日本酒を流しに捨ててしまいます。しかし、その途中で父ちゃんが訪ねてきて、そのお酒を出すことになり、殆ど捨ててしまった酒瓶に章は水道水をいれて出してきます。父ちゃんはそれをご馳走になり、それがお酒でないことに気づくのですが、章の父ちゃんにはそのことも文句も一言も言わずに、お酒を褒めます。

この時、章の父ちゃんはお酒を飲んでいないので、中身が水道水に入れ替わっているのを知りません。全ての事件が解決した後で、章の家でもう一度、お酒を頂くことになり、そこで章の父ちゃんは初めてお酒が水道水に入れ替わっていることを知り、父ちゃんに謝るのです。

この時、父ちゃんは章の父ちゃんよりも先にお酒を飲みほしていて、一緒にきていた長太郎にこの酒がとても良い酒であると長太郎に教えます。それは、父ちゃんが最初にお酒を飲んだ時に章の父ちゃんに教えてもらった時と同じように。

父ちゃんはお酒がお水になっていることを知った上で相手を立てていて、さらには、なぜお酒が水に入れ替わったのか、その理由を知った後で、父親を思う章の気持ちを汲み取って、やっぱりこのお酒は名酒だというのです。

私はこの父ちゃんの粋な計らい、思いやりが今回のそれぞれが見せた思いやりと優しさの中で一番、スマートでカッコいいなって思いました。優しさや思いやりに順番なんてつけるなんてなって思うんですけど、なんか特に父ちゃんの計らいが一番、印象に残ったんですよね。

悪意に見える相手の善意を見抜く

章のしたこと、長太郎が章の父親の高所恐怖症を治すために起こした騒動って、一見、とんでもない酷いいたずらに見えてしまうけれども、なぜ、そんな行動を起こしたのかという動機の部分に目を向ければ、そこには、相手を思う善意の優しさが動機になっていて、そこに気づいた時に、相手を許すことが出来る、章の行為を最終的に褒めた父ちゃんにしても、父ちゃんから長太郎を庇った章の父ちゃんにしても、そうした人を見抜く目というか、許すことの出来る寛容さがあるように思いました。

これは、いたずらをしても、騒動を起こしても、基本的には心根は優しい子である自分達の息子の事を父ちゃん達が信じているから出来ることで、また、長太郎達の日ごろの行いの成果です。怒ったり、情けなく思っても、最後の最後のとこで、息子やその友人を信じている信頼関係があるんだなって思いました。結果、丸く収まったからいいようなものの、そうならない時もあるわけで、そんな時は長太郎達は反省をしているんですよね。

一見、悪意に見える行為の根底にある相手への優しさとは反対に悪意が隠された善意の行為に嵌められてしまう現実があって、それが信頼していた相手にされた時に感じたことは、人の上っ面だけを見て、相手と交流していたのかって、自分自身の見る目のなさと、相手に大切にされていない自分自身の存在の小ささに絶望を感じたりするので、心の奥底で信頼しあい、相手を思いやる関係を『あばれはっちゃく』の話で、何度も見返すと、ああ、いいなって思うし、なんだか懐かしく感じたりするんです。

上っ面の親切の優しさで相手を信頼したら梯子を外されることが多いんですけれどね。

現代に毒された

そういえば、長太郎がわざと危険な高いところに昇って、章の父ちゃんを呼びに行こうと降りかけた時に、降りることが出来なくなって呼びに行けなくなってしまった時に、ああ、スマホで電話をすればいいのにって思ってから、この時代にスマホなんてないじゃんって我に返り、ああ、どうやって章の父ちゃん達を呼びに行けばいいんだって、見ていて少しパニックになりました。

なんというか、子どもの時に見ていた時は、スマホで呼べばいいのになんて思いもしなかったのに、今、DVDで見返すとそんなことを思うようになってしまって、ああ、現代に自分は毒されているなって思いました。1981年に生きていた人間がこんなことを思うのですから、生まれた時から携帯電話、ガラケーどころか、スマホが当たり前にある若い人達はどうなんだろう?

年齢的にまだスマホを所持できていない子なら、何の疑問も感じずに、どうやって報せに行くのかなって、次の展開を固唾をのんで見守るのかしら。携帯電話もスマホもない時代に連絡を取る手段に、ああ、この手があったかと久しぶりに思い出させてくれた話でもありました。