柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

「だから、どうだっていうの、おじいさん」

ぼくがぼくであること

私が『あばれはっちゃく』の原作者である山中恒先生の作品で一番好きなのは、『ぼくがぼくであること』です。この作品は、過去にNHK少年ドラマシリーズでドラマ化され、俳優の柳葉敏郎さんが子どもの頃に好きなドラマであることでも有名な作品です。

この作品のヒロインは夏代という少女。彼女の父方の祖父は過去にした自分自身の行為について、孫である夏代に知られることを極端に恐れていました。過去の自分の行為を知れば夏代は自分を軽蔑し、自分の元を離れてしまう、自分の行為はとても許されることではないという罪の意識を抱いていました。夏代の祖父は強情な性格で、それは罪の意識に怯えている臆病な内面とは正反対の印象を受けます。

この祖父の過去は物語の後半に祖父の口から夏代が聞くことになり、祖父の過去にしたことを聞いた夏代が一言、言い放ったのが今回のブログ記事のタイトルの言葉です。

「だから、どうだっていうの、おじいさん」角川文庫『ぼくがぼくであること』302ページ1行目から引用。

夏代に過去のことを知られたら糾弾されると怯えていたおじいさんは戸惑います。この後、しばらくやり取りが続き、本作の主人公秀一もその会話に入ってきます。その後、夏代がおじいさんに対して、改めて言うのです。

「……、おじいさん、夏代には過去のことなんか、どうだっていいのよ。知りたいことだけ知ればいいのよ。まえにおじいさんは関東大震災朝鮮人が暴動を起こすといううわさだけで、町の人たちが朝鮮の人をころしたということだとか、そのときおじいさんが巡査のくせに朝鮮人の友だちをたすけられなくて、みごろしにしたといったわね。それはおじいさんにとっちゃたいへんな問題でも、夏代にとっちゃむかし話でしかないわ。おかあさんのことも、ころされた兵隊さんの話もみんなおなじよ。……おじいさんは自分のしたことが正しいと思って夏代をひきとったんでしょ?それから、そういうことをかくしておいたことも正しいと思ってやったんでしょ?」

「そ、そりゃそうだ」

「だったら、それでいいじゃないの」

「ええっ?」

老人はますますめんくらったような顔をした。

(角川文庫「ぼくがぼくであること」303ページ12行目から304ページ7行目までから引用)

過去にしたこと、その時に判断したことは、その時、その時でそれが正しいと思って人は行動を起こす。それが時を経て、それが過ちだと思い、あるいは気づいて後悔の念に苛まれていくようになることもある。過去を変えることは出来ず、その時に生まれていない未来の子どもにとっては関係のないこと。ただ、未来は過去の延長線上に存在していて、未来の子どもは過去に何があって、現在、自分が存在しているのかを知りたいだけの話。

自分のルーツを知り、自分がなぜここに「今」存在しているのかを確かめた上で、今の自分を生きるっていうことが、過去に囚われている老人(夏代の祖父)と社会の出来事なんて主婦の私には関係がないという主人公秀一の母親という大人たちと、自分達はなぜ、今、ここに存在していて生きているのかということに、向き合っている子どもの姿の対比を感じて私はこの作品がとても好きなのです。

かつては、夏代や秀一の側で大人を批判していた子どもの私が、今は批判される夏代の祖父や秀一の母の立場にいるというのは、とても辛い現実になりました。秀一の兄である良一が母親に言う言葉はとても辛辣です。

「だまって、ききなさい!おかあさんのように人を愛することもしないで、めさきのことだけで結婚し、ただ自分の気分のためだけ、子どもを勉強に追いやり、自分のめさきのちっぽけな安楽のためだけ、子どもを大学へやり、一流会社へいれて、なにごともなくぶじにすごしたいというおとなたちが、この不正でくさりきった社会をつくってしまったんだよ。その責任はおかあさんにもある!」

「ばかなこといわないで!わたしはただのまずしいサラリーマンの家庭の主婦です。そんな、社会をどうのなんて……」

「そう、そのとおり。社会に無関心だったおかあさんたちが、このどうしようもない社会をつくってしまったんだ。だから、あの連中がそれをこわしてつくりなおそうとみんなによびかけてるんだよ。それがわからないなら、おかあさんも敵だ!」

(角川文庫「ぼくがぼくであること」271ページ13行目~272ページ6行目までから引用)

私がこの作品が今でも通用すると思うのは、良一が指摘した社会が相変わらず変わらないまま現在に存在していると感じるからです。人それぞれに存在しいる立場や環境の違いから、いや、社会は変化したと思う人もいるかもしれませんが、私の環境ではそれを感じません。そして、それは、私自身が秀一の母親と同じ人間であることの証拠にもなるのです。だからこそ、私は良一の言葉が辛辣に胸に刺さり、夏代の毅然とした強さに心惹かれます。

正しく過去を捉え、今を生きることが大事だというメッセージを私はこの作品から強く感じます。私はこの作品からも「あばれはっちゃく」からも山中恒先生の作品からは、過去に捉えれ過ぎず過去を正しく知った上で、今を生きる大切さと、その先の未来をしっかり生きていく大切さを伝えいるように感じています。