柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

『男!あばれはっちゃく』55話「賞状あつめだ」感想

『男!あばれはっちゃく』55話より

1981年4月18日放送・脚本・田口成光さん・磯見忠彦監督

どんな風にリンクするのかな

長太郎が賞状を集めるこの話は、長太郎が誰かに認められたいという気持ちが強くあったように思いました。克彦の絵が評価されたこと、家族の中で長太郎だけが何も賞状などの評価をもらっていないことが原因で、なんとか讃えられることを探して認められたいという長太郎の思い。

一方でその長太郎と並列するように、みゆきちゃんのパパの研究が評価されることを喜ぶみゆきちゃんのママの姿があって、以前にもみゆきちゃんのママがみゆきのパパに期待してがっかりした話が、1年目に同じ田口成光さんの話であったので、多分、今回もみゆきちゃんのママの期待は外れるんじゃないかなって思って見ていました。

実際に話の序盤から、みゆきちゃんのママとみゆきちゃんのパパとの温度差はあって、この大島家の問題がどのように長太郎の問題とリンクしていくのかなって思いながらみていました。

長太郎の頑張りは、克彦に鼻で笑われて、大食いにチャレンジした長太郎は父ちゃんからこっぴどく叱れて、同じ時にみゆきちゃんのパパもみゆきちゃんのママに叱れました。奇しくも長太郎とみゆきちゃんのパパはお互いに家を追い出される形になってしまったのです。

賞状が欲しくて頑張った長太郎と、賞状は関係ないというみゆきちゃんのパパ。本音の部分では賞状というか、目に見える評価が欲しいという2人が、それでも、それぞれに反対の意見を持って、家を追い出された者同士、ホテルで過ごすことになりました。

みゆきちゃんのパパの考え

みゆきちゃんのパパは長太郎の質問に、自分自身の考えを話します。一人だけの偉業ではない見えない人達の努力によって支えられていることを、自動車レースに例えて長太郎に話します。

思うに一人だけの手柄とか、自分が認められるには、様々な人達の支えがあって成り立っていることをみゆきちゃんのパパはとても感謝していて、謙虚に周囲からの支えや恩を有難く思っているのですね。

それはとても素敵な考えで、話の最後にはみゆきちゃんのパパはその先輩教授にとても感謝されるのですが、いい話だなって思う一方で、みゆきちゃんのパパは損な生き方をしていると思ってしまったりもするんですね。

けれども、みゆきちゃんのパパは自分の名誉の為ではなくて、人々の役に立つために研究をしていて、また、その研究が誰かの力になっていればいいと考えている人で、こういう人こそが本当に忖度なく、人の為に尽くすことに対して何の疑念も持つことなく、自然に人の為に動くことの出来る人なんだなって私は思うんです。

そういう人って、そうそういないと思います。

みゆきちゃんのママ

みゆきちゃんのママはみゆきちゃんのパパに比べると、とても俗物に見えるんですが、私は自分の事は後回しにして、人の為に人の為にと動くみゆきちゃんのパパには、みゆきちゃんのママぐらいの強引さのある人が傍にいた方がいいように思うんですよね。

だって、受賞会場でビラを配ってたりなんかして、みゆきちゃんのママは極端でやり過ぎなんですけど、なんか人が良すぎて損ばかりしちゃうようなみゆきちゃんのパパの頑張りやそこから出した認められるべき結果を本人が遠慮して出さないのなら、誰にも分かってもらえない、そのまま埋もれてしまわないように、みゆきちゃんのママがみゆきちゃんのパパの素晴らしさを声高に吹聴するのは必要なんだって思うんです。

遠慮がちで人の為に自分を引くみゆきちゃんのパパとそんなみゆきちゃんのパパのすごさを控えめな本人の代わりに主張することで、みゆきちゃんの両親はバランスが取れているんだって私は思うんですよ。

それに、ちゃんとみゆきちゃんのパパの功績を認めてくれた先輩教授の言葉を聞いて、みゆきちゃんのママはそれまで怒っていたのが、柔らかく優しい表情になったし、それは、みゆきちゃんのママはみゆきちゃんのパパをちゃんと認めて評価されて欲しいという気持ちがあって、だから優しい表情になったし、嬉しい顔になったんだって思うんですよね。

長太郎も

私は長太郎も自分が出来る大食いで賞状を集めたのは、みんなが賞状をもらえて羨ましという感情も勿論あったのだろうと思うんですけど、自分という人間を認めて欲しい。すごいね、偉いねって労って欲しいって思いが強かったんじゃないかなって思うんです。

だって、人に自分の存在価値を否定されるのって、とても寂しくて悲しいことだから。話の前半は長太郎が賞状をもらったことがないことで、否定されていて、それで、長太郎が無理をして大食いしている姿が、なんだかとても切なくて、可哀想でした。

それに、話や役をずれて、メタ的に長太郎役の栗又厚さんもかなり辛かったんじゃないかな。あのお寿司のワサビはちょっと辛いと。それに、本番1回だけの食事ではなかっただろうし……。初代『俺はあばれはっちゃく』の長太郎も大福の大食いをしましたけど、あれも自然な必死さを出すために、もしかしたら、テストの時点で大福を食べさせていたかもしれない。想像ですけど。

なんか、長太郎が賞状をもらうために大食いをしていたことが分かって、桜間家の皆が反省する場面は、話の前半で長太郎をからかったことが長太郎の心を傷つけたということが分かった場面に私は見えて、その場面が心に沁みました。

大食いの場面って笑いもあるんですけれど、切なさも感じるものもあって、とても複雑な気持ちで見ていました。

分かった上で

誰かに認められ、目に見える形で賞賛されるのは嬉しいことだけども、それがないからと言って、人価値が否定されるものではない。人知れず頑張っていても、誰も見ていない、誰も評価をしていないなんてことはなくて、ちゃんと見てくれる人がいて、評価をしてくれる人がいる。

人は誰かに必要とされることに喜びを感じていて、人の評価よりも自分にとって大事な人は賞とかがなくても、必要で大事という考えをみゆきちゃんが持っていたことは、みゆきちゃんのパパや長太郎にとっては、とても救いだったんだなって思いました。

みゆきちゃんのパパとママは正反対の考えと性格の持ち主で、だから、時にみゆきちゃんのママはみゆきちゃんのパパの気持ちを無視した行動をして、長太郎やみゆきちゃんに怒れてしまうんですけれども、長太郎は少しはみゆきちゃんのママの気持ちも体験しているので、みゆきちゃんのママの気持ちも分かると口にしているんですよね。

私は、みゆきちゃんのママの気持ちも理解した上で、みゆきちゃんのパパからの話で納得した部分とみゆきちゃんの考えを知った上で、みゆきちゃんのママの行動を止めた長太郎の心の広さに、なんてすごい子なんだろうって感動しました。

おまけ

今回、受賞会場になったホテルは、私が10歳の時に叔父が結婚披露宴を挙げたホテルなので、なんだか見ていてとても懐かしく思いました。それと、長太郎達の吐く息が白かったのと、桜の花が造花に見えたのもあって、多分、実際の撮影はまだ春が少し遠い時に撮影したのかなって思いました。