
どこか引っかかる
タイトルの言葉は、『男!あばれはっちゃく』53話で、ちとせ第一小学校に転校してきた克彦が挨拶の時に言った言葉です。この言葉は、その前に克彦の父親も似たような言葉を発していて、そこにいた克彦が拍手をしていたことからも、克彦が強く父親の影響を受けていることが伺い知れます。
克彦や克彦の父親の江藤支社長の言葉は、確かに良い言葉ではあるのですが、私にはどこか少し引っかかるのです。こうした良い言葉に対して、引っかかると言うと、批判を受けたり、一生懸命を否定するのかと言われてしまうかもしれませんが、克彦や江藤支社長の強い言葉には、弱者切り捨ての要素を感じてしまいます。
『男!あばれはっちゃく』53話より 『男!あばれはっちゃく』53話より
「赴任してきた以上、私はビシビシやるつもりです。皆さん、仕事は意力です!やる気です!意力なき者は去れ!と、私は言いたい」
全ての人が出来るとは限らない
克彦や克彦の父親は優秀で、本人もしっかりと努力し、その為に己に厳しい。それは、とても素晴らしくて、尊敬に値することなんですが、全ての人が克彦や克彦の父親のような人とは限らないです。
世の中には、その人本人が必死でやる気を持ってやっていても、真面目にやっていない。やる気があるように見えないと思われてしまい、限界までやっていても、評価されない人がいます。人の限界ややる気というのは、個々で違っていて、人はどうしても自分を基準に人のやる気や限界を見てしまうのです。
人それぞれに個性があり、人それぞれに能力が違うのに、同じ能力があると思って人を見て評価をしてしまう。自分には出来ないことを人がしていても、自分が出来ることをしない、出来ない人を出来損ないだと思って見てしまう。
私には、克彦や克彦の父親の「意力なき者は去れ!」「やる気のない者は去れ!」という強い言葉に、そう見える人を問答無用で排除する怖さを感じてしまいました。
助け合い
人は一人では生きられず、集団で生きる存在です。集団で生きているからこそ、社会があるんだと私は考えます。もちろん、克彦の言うように自分のやるべきことを一生懸命やることはとても大切なことです。
けれども、一生懸命にやりすぎて、心と体が壊れてしまった人が、やる気すら湧いてこなくなり、頑張ることも出来なくなった時に、そうなったからと言って「去れ!」と言って消してしまうなんて、それは、あまりにも酷く、可哀相だと私は思います。その時は「去れ」ではなく、その人を助けるべきではないでしょうか。
人は壊れたり、病気(心と体)になってしまうと、元のように戻るまで、とてもとても時間がかかります。時間がかかるどころか、長い時間をかけても、戻ることがなく、悪化してしまうこともあり、助けることが無意味になってしまうこともあるのです。
当事者は苦しみの中でもがき、乱暴になりながら、自己嫌悪を繰り返し、挙句の果てに自ら命を絶つ人もいます。実際に、過労死自殺をされる方達のニュースは枚挙にいとまがありません。
社会のセーフティーネットが機能していないと感じる中には、克彦や克彦の父親の考えが、立派でよい考えであるからこそ、現代の社会の主流になっているからではないか?と私は思います。
強い人間が弱い人間に「去れ!」と言うのではなく、強いからこそ弱い者を助けるものでありたいと思うのです。
強い人間がいつまでも強いとは限らない
しかしながら、強いと思われる人間に全てを背負わせるのには、私は反対です。いくら、強く優秀な人間とはいっても、人間に変わりはありません。強くても、何もかも背負わせてしまえば、いつかは限界がきて、その人の体も心も壊れてしまいます。
強い人間に頼りすぎるのではなく、弱い人間も弱い人間なりに感謝の心を忘れず、微力でも支え、助けることが大事だと思います。
克彦が母親のことを持ち出されて、長太郎に泣かされた時に克彦が、みゆきちゃん達に言う言葉を聞くと、克彦が何を言っても泣かない、傷つかない子ではないことが分かります。克彦だって、強い一辺倒の人間ではなく、傷つく心を持った弱い一面のある人間なのです。
『男!あばれはっちゃく』53話より 『男!あばれはっちゃく』53話より
「俺、泣くなんて思わなかったんだよ」
「克彦君、涙、拭いて」
「ありがとう、お母さんのこと言われると、つい、泣けてくるんだよ」
「本当にデリカシーがないんだから、長太郎君は」
「悪かったよ、ごめん」
「克彦君って、お母さんに弱いのね」
「僕だって、完璧な人間じゃないさ。長所もあれば、短所だってあるってことさ」
良い言葉に感じる違和感
『あばれはっちゃく』の話の中には、一見、良い言葉や考えに感じるものの中に、どこかしら、違和感を感じさせるところがあります。その良い言葉、良い考えに対して、長太郎がどこかしら、納得のいかない顔を見せたりします。
長太郎の面白くない、何かが違うという勘。そこには、良いように見えても、どこか危険という匂いを感じ取っているのではないかと思うのです。今回の長太郎は克彦にみゆきちゃんを取られる危機感を強く感じた印象が前面に出ていますが、それだけではなかったと思います。
今回取り上げた『男!あばれはっちゃく』53話だけでなく、初代『俺はあばれはっちゃく』11話「お作法破りマル秘作戦」にしても、長太郎が良い子になるためにしつけ教室にいくことが本当に良いことだったのか、35話「泣け!優等生マル秘作戦」で正彦が父親の為に母親のことを忘れようとしたのは良かったのか、40話「あばれ人形マル秘作戦」の純平の母親の為に自分を犠牲にする考えが良かったのか、3代目『熱血あばれはっちゃく』35話「君はスターだマル秘作戦」にしても、あけみちゃんが自分の気持ちを抑えて母親の夢の為にタレントの仕事をすることが本当に良いことなのか……。
それ以外にも、人が人の為に、特に子どもが親の為にすることが良いことなのだろうか、その人らしさや強い人間と言うのは、どういう存在であるか、ただ腕力があるだけが強いのでも、勉強が出来るのだけが強い者でもなく、人を思いやることの出来る人、思いやるからと言って、自己犠牲が正しいのではないということを伝えてくれる話が『あばれはっちゃく』には多く込められている、と私は思います。
だからこそ、私は『あばれはっちゃく』を好きなんだなと感じるのです。







