柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

『男!あばれはっちゃく』52話「愛してみゆきちゃん」感想

『男!あばれはっちゃく』52話より

1981年3月28日放送・脚本・田口成光さん・川島啓志監督

博多へ

桜間家が群馬から東京にきて1年。そんな時に、父ちゃんが博多に転勤するかもしれないという話を持ってきます。父ちゃんの回想シーンで佐藤部長が父ちゃんに転勤について言う場面が出てくるのですが、これは後で思い返すと、転勤するのは父ちゃんでもあり、佐藤部長でもあるような言い回しになっているんですね。

結局は、佐藤部長が博多に転勤することになって、長太郎は転校はしないのですが、その代わり、佐藤部長の息子である邦彦の方が転校することに。まだ、父ちゃんが勘違いをしている間に長太郎はみゆきちゃんに転校のことを伝えて、お別れのプレゼントを公園で受け取ります。

家に帰る時にみゆきちゃんの目にゴミが入って、目が見えないので、長太郎が手を取って家まで送ることに、それを目撃した邦彦は深いショックを受けます。長太郎は家に戻ってみゆきちゃんからのプレゼントにニンマリしていると、父ちゃんが帰ってきて、転勤は自分の勘違いで、佐藤部長が転勤すると話して、引っ越しを覚悟していた家族は一安心。そこへ、佐藤部長が訪ねてきて、邦彦がいなくなったと告げ、みんなで探すことになります。

なんか、この時に信一郎が文句も言わずに、邦彦を探していたのを見た時に、信一郎って優しいなって思いました。それは、父ちゃんに言われたからというのもあったと思うんですけど、信一郎だったら、勉強をしたかっただろうに、自分には勉強があるからと一言も言わずにすぐに探しに行っている。信一郎にとっては、父親の上司の息子、弟のクラスメイトなだけの邦彦なのに、そういうことは関係がなく探してくれるところが信一郎の優しさなんだなって思います。

人が人を好きになる気持ち

長太郎達は方々で邦彦を探しますが、なかなか見つからない。そんな邦彦がどこにいたかと言えば、寺山先生のアパート。邦彦は、寺山先生にみゆきちゃんが好きなことを話していました。

みゆきちゃんが好きな邦彦にとっては、夕方に目撃した2人が仲良く手を取って帰る場面はとてもショックで、その場面を見ていた邦彦は「やっぱり」と呟いているのを見ても、この1年の間で、邦彦の中でみゆきちゃんは長太郎を好きなのかな、という疑惑が常にあったのではないかなって感じました。

それだけ、邦彦はみゆきちゃんを思って見てきたんじゃないのかなあ。好きな女の子を。長太郎と邦彦は共にみゆきちゃんを恋愛対象として、好きなわけなんですが、長太郎がそういう気持ちに対して恥ずかしいと思っていないのに、邦彦の方は恥ずかしいと思っているのが、2人の違いなんだなって思います。恥ずかしいと思っているからこそ、邦彦は寺山先生に尋ねるのです。

『男!あばれはっちゃく』52話より

「先生、人を好きになることは、いけないことなんですか」

「いやあ、その、反対だよ。人が人を好きになる、それは世の中で一番、素晴らしいことだ。だが、こっちが思うほど、相手が好いてくれないこともある。しかし、そのことを恨んだり、憎んだりしては、いかん」

「でも、長太郎君が羨ましい」

「心配するな、邦彦。ま、先生は、だいたいクラスのみんなの気持ちを分かっているつもりだが、みゆきはまだ、特別、一人だけの人物を好きになっているとは思えないぞ。長太郎だけということはない。お前だって、同じさ」

「そうかなあ」

寺山先生の言葉は、とても邦彦の心を気遣っているのが伝わってきて、いいなって思います。それから、これは、当時、そこまで意識していたとは思わないのですが、「男の子が女の子を好きになる」ではなく、「人が人を好きになる」と言うのは、好きになる対象の性別を固定していなくて、いいなと思いました。

この話が放送された1981年、今から41年前は、LGBTQに対する認識は低く、そういう人達が存在していても、差別や侮蔑、笑いの対象にされていたか、存在自体が一般的に広く認知されていなかった時代でした。

そうした中で、性別に拘ることなく、人が人を好きになることが素晴らしい、恥ずかしくないと話す寺山先生の言葉は、全ての恋をする人達の励みの言葉になるなあって思ったのです。41年経って、恋愛対象の性別を固定しなかったことが時代を超えていったのは、奇跡だなって感じます。

一方で邦彦を送り届ける時に語り掛ける寺山先生の言葉は、現実の異性愛者以外の人間にとっては、まだまだ難しく実現不能なことであり、41年経ってもそれが夢のまた夢、であることの悲しさも感じました。

『男!あばれはっちゃく』52話より

「なあ、邦彦、さっきも言った通り、人が人を好きになるということは、とても大事なことなんだ。だから、人を好きになったら、その気持ちを大切にするべきじゃないかな。そして、次に大事なことは、その気持ちを正直に人に言えるということなんだ。分かるな」

「はい」

正反対な2人

寺山先生と邦彦を見つけた長太郎が邦彦に怒ると、寺山先生が止めに入り、邦彦の気持ちを長太郎に伝えるように言います。邦彦が家を飛び出した理由、みゆきちゃんへの思い、長太郎への思い。そこで、長太郎がみゆきちゃんが長太郎を好きってことを邦彦が話した時に、長太郎がそれを当然なことのように受け止める。そんな長太郎に驚く邦彦。

ここが先にも書きましたが、2人の差なんだろうなって思います。長太郎は自分に自信があって堂々としている。邦彦はみゆきちゃんに好かれているという自信が薄い。邦彦は自分自身でみゆきちゃんへの思いを伝えることなく、また自分自身でみゆきちゃんの気持ちを確かめることなく、それを長太郎に託します。

長太郎の自信の高さと邦彦の自信の低さ、それは相手の気持ちを確かめる怖さに対応しているように感じます。長太郎はみゆきちゃんの気持ちを確かめることに怖さを感じていない、邦彦は怖さを感じていて、傷つくことを恐れているように思うのです。

長太郎の自信は勘違いからきているのもあるんですけれども、傷つく怖さよりも行動しないで後悔する方が嫌で、邦彦はその反対で慎重さがあるように感じます。それが2人の個性の差であり、同時に2人の長所であり、短所にもなっているなって思うのです。長所と短所は表裏一体というか、そんな風に思いました。

小道具

長太郎は邦彦と約束して、みゆきちゃんに邦彦への気持ちを尋ねます。しかし、長太郎が転校すると思っていて、実はそうではないとカヨちゃんから聞いていたみゆきちゃんは、自分の気持ちを弄んだと、長太郎に対して怒っていて、口も聞いてくれません。

けれども、長太郎は諦めず、みゆきちゃんに事情を話して問いかけます。みゆきちゃんは無視をして、部屋の掃除でハタキをはたいているのですが、時々、そのハタキの動きが止まります。そこで、みゆきちゃんが何かを考えているんだなってことが、みゆきちゃんの表情も姿も見えないのに、想像することが出来ます。

こうした演出は巧いなと思います。長太郎はみゆきちゃんからの返事がなくて、邦彦との約束が守れないことに焦り、デジタル時計を見つめます。翌日、みゆきちゃんは長太郎に謝り、邦彦を見送りに行けないからと、長太郎にカセットテープを託します。みゆきちゃんは、長太郎に聞かれた邦彦への気持ちをカセットテープに吹き込んでいたのです。

今回の話では、冒頭から信一郎が英語の勉強でカセットを聴いている場面があって、要所、要所で信一郎のポータブルカセットデッキが出てきて、印象を残していくのですが、ここにきて、みゆきちゃんのカセットテープが出てきたことで、信一郎の英会話のカセットが出てきた意味が分かります。

『男!あばれはっちゃく』52話より

『男!あばれはっちゃく』52話より

長太郎は「絶対に聞かないでね」と言ったみゆきちゃんの言葉が気になって、信一郎の机にあるポータブルカセットデッキで再生しようとするのですが、みゆきちゃんと邦彦のことを思い出して、それを思いとどまり、心配して声を掛けた信一郎に一言断って、邦彦が待つ駅のホームまで走り出していきます。

『男!あばれはっちゃく』52話より
『男!あばれはっちゃく』52話より

ここでも、自分の勉強道具を持っていかれた信一郎が気の毒に思いましたが、特にそれで信一郎は長太郎を責めていないんですよね。邦彦の見送りに送れることを心配して声は掛けているなとは思うんですけど、ポータブルカセットデッキを持って行ったことは怒ってないように思いました。もしかしたら、後で、めちゃめちゃ怒っているかもしれませんけれども。今回は信一郎の小さな優しさちょっとずつ感じれた話でもありました。

みゆきちゃんが見送りにいけない理由って最後まで分かりません。もしかしたら、みゆきちゃんのカセットを渡すことがメインで、それを邦彦が聞いて、みゆきちゃんの気持ちを知ることがこの話のメインテーマだったから、みゆきちゃんが見送りに行けなかった理由はどうでも良かったのかもしれません。

それで一番の見せ所になるメインテーマに必要不可欠なポータブルカセットデッキを話の冒頭から印象付けていたのかなって思いました。

キーアイテムになる小道具の印象乃付け方は、とても心に残る形になっているので、良い効果だったと思います。

みゆきちゃんの気持ち

長太郎は間に合って、邦彦にみゆきちゃんのカセットを渡します。間に合った長太郎を見た時の邦彦の表情は喜びに満ちていて、それは自分との約束を果たしてくれたからというのもあったと思いますが、友人として最後に長太郎に会えたことも嬉しかったのではないかな、と思います。

『男!あばれはっちゃく』52話より

『男!あばれはっちゃく』52話より

邦彦はみゆきちゃんが見送りにこれないことは、既に見送りにきてくれていた寺山先生や弘子ちゃん、和美ちゃん、章達から聞いてたかもしれませんが、来るはずの長太郎がいなかったのは、不安で寂しかっただろうと思います。

また、自分のお願いが長太郎を見送りに来させない原因になっていないかと心配で、そんな気持ちのまま別れるのも、寂しかったんじゃないかな。だから、長太郎が来た時に喜びの顔になったと思ったのです。

長太郎も間に合って、約束を果たしたことは気持ちが良かったと思います。邦彦は新幹線の中で、みゆきちゃんのカセットを聞いて、希望を持つことが出来ました。邦彦にとっては、これから始まる博多での新生活の原動力になったと思います。

残った疑問

親の仕事の都合で好きな子と別れてしまうのは、初代『俺はあばれはっちゃく』の長太郎と同じですね。去られるか去っていくかの違いはありますが。また、初代長太郎もみゆきちゃんも見送りのその場にはいなかったのも、共通するんですが、初代の長太郎は長太郎らしい見送りをする為に、みんなが揃った空港での見送りをしなかったのに対して、みゆきちゃんはどうして、みんなと同じように駅のホームで見送りをしなかったのかという明確な理由がないのが気になりました。

これは、みゆきちゃんのカセットを新幹線の中で邦彦に聞かせたかったことが先にきていて、かつ長太郎にはみゆきちゃんの返答を分からないようにしたかったからなのかなって思います。みゆきちゃんが見送りに行けなかった理由が、都合で行けなくなったのではなく、もっと納得がいく理由があったら良かったのになって思いました。

仲の良い友人との別れなのだから、なんとか少しでも見送りに行けていれば良かったのに。急な引っ越しでも、弘子ちゃんや和美ちゃん、章達は来れたのだからって思ってしまったんですね。

それと、長太郎が転校すると思って、章に託したみゆきちゃんへの手紙の中身も謎のまま。章が川に落としてしまって、そのことに触れることなく話が進んでしまったので、あの長太郎が書いてみゆきちゃんが感動する(と長太郎が思い込んだ)内容の手紙ってなんだろう?という疑問が回収されないまま。

この2点の謎は残る話でしたが、人が人を好きになることを肯定する優しさと温かさ、信一郎の優しさ、長太郎の自信と邦彦の臆病さを強く感じることの出来た話でした。

それと最後に、みゆきちゃんがどんなことをカセットに吹き込んだのかと章が長太郎に問いかけて、長太郎を不安にさせたことで、自信満々な長太郎でも、少しは不安になることもあるんだというのが、最後の最後で分かって、長太郎も自信満々の塊じゃない、自信満々に見える人にも、不安な気持ちはあるんだということも分かったのは、人は一面だけではないというのを知ることが出来たのも良かったと思いました。

おまけ・邦彦が引っ越しした日

最後に邦彦が博多に旅立った日は、ドラマの中で明確に出ています。長太郎が見送りにいく日に見ていたデジタル時計が3月28日を示しているので、邦彦はこの放送日の1981年3月28日に博多に引っ越していったと言えるのです。

『男!あばれはっちゃく』52話より

ドラマに関係のない個人的なことですが、3月28日は私の母の誕生日だったりします。

これで、『男!あばれはっちゃく』の5年生編が終わりました。次回からは6年生編です。