柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

ともだち

長太郎と正彦

佐々木先生が『俺はあばれはっちゃく』34話「飛ばせヒコーキマル秘作戦」で長太郎に

『俺はあばれはっちゃく』34話より

「正彦はお前の友達じゃないか」

っていう場面が『俺はあばれはっちゃく』にはあります。それを聞いて思ったのは、正彦って長太郎の友達なのかなということでした。長太郎と正彦の関係って、ヒトミちゃんを巡っての恋のライバル関係と言えなくもないんですけれども、それ以外は単に同級生という関係ではないかなって思ったり、けれども、休み時間に一緒にいたり、お店に行っていたり、遊んでいることもあって、そいういう面では友達ともいなくもないんですよね。

特に取り立てて仲が良いわけではないけど、家の方向が同じだから一緒に帰っていた同級生とかは私にもいましたが、学校につけばバラバラで話をすることも、遊ぶこともない関係で、そういう私や同級生と比較すれば、長太郎と正彦の関係は「友達」と見てもいいのかなって思います。けれども、なんか、どこか引っかかるというか、これは、長太郎と正彦の関係だけでなく、歴代通して正彦の立ち位置に存在していた、父ちゃんの上司の息子と長太郎の関係全般に感じることなんですね。

正彦に該当する人物

『俺はあばれはっちゃく』の正彦に該当するのは、『男!あばれはっちゃく』だったら、邦彦と克彦、『熱血あばれはっちゃく』だったら輝彦、『痛快あばれはっちゃく』だったら信彦、『逆転あばれはっちゃく』だったら秀彦。この中で秀彦って歴代の中では長太郎との関係性が薄いなって、個人的には思っているんです。

秀彦は最後まで登場してきましたけれども、なんというか、長太郎のライバルとしては、秀才タイプではなかったけれど、大下五郎の方の印象が強いですね。5代目は長太郎と五郎が一見すると、似たものタイプ。また、五郎は確か町内会会長の子どもだったこともあって、権力もそこそこありますし、こうして書いていくと、五郎は長太郎とこれまでの正彦タイプの人物を合わせた人物だったのかななんて、思ってみたり。

長太郎と正彦、邦彦、克彦、輝彦、信彦、秀彦達の関係って、同級生で父ちゃんの上司の息子達で、好きな女の子が被っていたり、好きな女の子がその男の子に関心があったりして、長太郎とは何かしらの関係性があって、時に長太郎が彼らを助けたり、また長太郎が彼らに助けられている関係で、友達として仲良しこよしという訳ではないんだけど、共通の友人(公一、洋一、章、実、清、ワタル)がいて、微妙なつかず離れずの関係が外から見たら、「ともだち」に見えるのかなって。

殴っても嫌味を言っても嫌がらせをしても

正彦が長太郎を殴るなんてことはなく、歴代の正彦に該当する人物たちも殴ることはなかったけれども、長太郎を嵌めたり、嫌味を言うことはあって、そうした意地悪をするような関係でも「ともだち」なのかなって思うことはあるんですね。

ドラえもん』でのび太ジャイアンスネ夫にいじめられているのに、友達の括りなのも、子どもの頃から、なんか変だなって感じていたり、のび太をいじめていない出木杉君は、同級生だけど、友達と言えるほどの親密さはないから、ジャイアンスネ夫の方が親密で友達なのかなって思ったりして、友達の定義ってなんだろうなって考えてしまいますね。

同じように、長太郎と正彦(後のシリーズの正彦に該当する人物)との関係性も、友達なのかちょっと関係性がある同級生なのかというところで、悩んでしまいます。公一の立場になると友達、親友と素直に受け取れるんですが、なかなか難しいなと。公一は、長太郎にとっても、正彦にとっても友達で、公一が2人を繋ぐ人物だなって感じています。

2人を繋ぐ公一的立場

この公一の繋ぐ立ち位置というのは、2作目の『男!あばれはっちゃく』以降になると、『男!あばれはっちゃく』の洋一と4作目の『痛快あばれはっちゃく』の清になるんじゃないかなって思っています。

初代『俺はあばれはっちゃく』の公一に該当する人物は、『男!あばれはっちゃく』は洋一と章、『熱血あばれはっちゃく』は実、『痛快あばれはっちゃく』は清、『逆転あばれはっちゃく』はワタルになりますが、私が作品を見た個人的な感覚として、洋一と清以外は、長太郎寄りという印象が強かったり、ワタルは秀彦よりは五郎との関係の方が強い印象を受けます。(あくまでも、個人的な感覚での話なので、人によって違うという意見もあると思います)

公一や洋一、清が長太郎と正彦、邦彦、信彦との関係の潤滑油の役割をもっていたんじゃないかなって、私は思っています。

個人的に面白いなと思うのは、公一は、ドラマの原作『あばれはっちゃく』から登場する人物なんですが、長太郎との関係はドラマとは違っていて、ドラマのような親友関係ではないとこなんですね、原作で長太郎は色白で女の子みたいな公一をからかっていて、そんな長太郎を公一は苦手にしていたり、少し距離をとっている。そんな関係の長太郎と公一を親友関係にして、こちらも原作とは少し人物像を変えてドラマに登場させた正彦との関係を繋ぐ人物にしている。

ドラマを作るにあたって、原作の人間関係や人物像を少し変えて変化させることで、ドラマ内の人間関係や登場する人物を決めて固定化させる。作品を通して人物像と人間関係を作って、配役を決めて人物関係を定着させて、シリーズを通して、それを微妙に変化させていく。ある程度のことは、決めるけど、後は流れに任せているところもあって、ドラマを作っているのかななんて、思いました。

フレネミー

昨日、あるごめとりいのYouTubeチャンネルの動画で「フレネミー」という言葉を知りました。友人(フレンド)のふりをして、人を貶める、敵(エネミー)を合わせた造語なんだそうです。

長太郎と正彦(正彦に該当するシリーズの登場人物達)って、一見すると、このフレネミーに該当するようでいて、していない関係性になっていて、そこがとても絶妙で、それは、公一の存在も大きく影響しているのかなって思いました。

フレネミーという言葉の存在を知って、意地悪したり、嫌味を言ったりしても、困った時に助けてくれる存在が長太郎と正彦の関係性で、正彦達はフレネミーのような長太郎を不幸に陥れることはない存在なんだって確信することが出来て、長太郎と正彦って「ともだち」なのかなって疑問に思っていた私の疑問が解決しました。

 

長太郎と正彦はともだちなんだなって。