柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

『男!あばれはっちゃく』42話「笑え!風船」感想

 

f:id:kutsukakato:20220325100522j:plain

『男!あばれはっちゃく』42話より

1981年1月18日放送・脚本・安藤豊弘さん・監督・磯見忠彦監督

泣いた

この話も、もちろん、子どもの時にも見ていたのですが、『男!あばれはっちゃく』のDVDが発売される前に、YouTubeにUPされていて(どなたがUPされたかは覚えていますがここでは名前を伏せます)、それで子どもの時以来に見返していた話でした。その時にも、視聴して泣いてしまったのですが、改めてDVDを購入して見直してみても、今回、この記事を書くのに見返してみても、やはり涙を流して泣いてしまった話でした。

子どもの頃に見ていた時は、長太郎の方に肩入れして見ていたのが、大人になって見返した時は、邦彦の方に肩入れをしてみていて、また、子どもの頃には怒りや切なさを強く感じていたものの涙は出なかったのに、YouTubeやDVDで見返した時には、怒りの感情はなく、長太郎に罪を被せることになった邦彦の良心の呵責からくる苦しみの方に強く共感して、その苦しみからくる邦彦の態度や気持ちの方に強く心が惹かれました。

また、邦彦の為に邦彦の罪を被ることを迷うことなく選択した長太郎の優しい思いにも納得できるところがあり、それは、邦彦にも分かるからこその、邦彦の苦しみなんだというのも分かって、何も知らずに長太郎に罰を与える寺山先生や父ちゃんに対して、何とも言えないもどかしさを感じました。

邦彦の気持ちの体現

この全てを知って見ている視聴者の私にとっては、寺山先生と父ちゃんの長太郎に対する態度は「そうじゃないのに!」「違うのに!長太郎が悪いんじゃないのに!」という苛立ちに繋がるのですが、これは自ら進んで邦彦の罪を被った長太郎から口止めされた邦彦の気持ちに似ている感情ではないか、と思いました。邦彦の場合、そこに自分がやらかしたこと、罪の意識が重なって、より苦しい思いをしていることは、邦彦の態度や長太郎を気遣う言葉から分かります。

事の発端は、邦彦と長太郎が時間差で登校途中であったあっこちゃんとの出会い。あっこちゃんが風船を木に引っ掛けたのを長太郎が取ってやり、下校した時に邦彦がそのあっこちゃんといるのを長太郎が見て、邦彦も同じようにあっこちゃんと出会っていて、あっこちゃんが去年交通事故で亡くなった自分のママ宛の手紙をつけた風船を飛ばしているのを知った邦彦が一緒に風船につけた手紙を飛ばすんだと。邦彦も、また母親が他界していて、そんな邦彦は母親を亡くしてしまったあっこちゃんに自分を重ねていたんだろうなと。

長太郎と邦彦があっこちゃんに会った日の理科の授業で空気よりも軽い気体について学んだ時に、邦彦は水素ボンベを使って風船を膨らませて欲しいと寺山先生に頼んでいます。また、邦彦がそれを頼む前に、寺山先生から邦彦が火災予防運動の小学生ポスターコンクールでちとせ第一小学校が一位になり、邦彦が個人で特選となったことを発表しています。

あっこちゃんとの出会い、理科の授業でのこと、邦彦が火災予防運動の小学生ポスターコンクールで特選になったことが、邦彦が起こした事故の罪を長太郎が自分から進んで被る原因になっています。邦彦は最初は寺山先生にお願いをしましたが、あっこちゃんから多くの風船を貰った時は、断り切れず、こっそりと理科室に忍び込んで一人で勝手に水素ボンベを使って風船を膨らませて、事故を起こしてしまいます。

宿題を忘れて廊下掃除を言われていた長太郎は、その邦彦が起こした事故にいち早く気が付き、すぐに駆け付け、邦彦があっこちゃんの為に風船を膨らませていたことを知ると邦彦に固く口止めをして自分がやったことにして罪を被ります。邦彦が立ち去った後できた寺山先生に自分がやったと嘘をつき怒られる長太郎。

邦彦の苦しみ

ここから、見ている私自身も邦彦と同じ苦しみを感じていくことになります。邦彦の場合はそこに罪の意識もあったと思うのです。それは長太郎に罪を被せたこと、嘘をついていること。邦彦が嘘をついていることが苦しいというのは、本人が実際に言っていて、また、誰にも言えないがゆえにノート(おそらく日記)には、真実を書いて、自分自身を責めていることからも分かります。

寺山先生や父ちゃんに罰を与えられて、父ちゃんからはいつものように張り倒されて、飯抜きの上、物置で寝るようにされた長太郎もとても辛く苦しかったと思いますが、邦彦とあっこちゃんの為なんだという思いが、長太郎の中に自分に正義(理)があると思わせ、長太郎の矜持を保つことが出来て、苦しみを緩和出来たのではないかと思います。

一方で邦彦にはそれがなく、ただただ、自分が狡く長太郎に罪を着せ、苦しみを与え、周囲を欺き、自分がクラスの誇りとして持て囃され、それだけでなく、自分のせいで悪者にされている長太郎を見ているしかないのは、どんなに辛いことなのかと思うと、邦彦の苦しみの重さに恐ろしくなります。

自己満足

長太郎の気持ちに応えるために黙るしかない邦彦は、その苦しさを唯一、話せる長太郎のところに行きますが、長太郎は黙っているようにと強く念を押します。これは、邦彦の為でもあるとは思うのですが、長太郎自身の為でもあるようにも思うのです。邦彦は長太郎への申し訳なさもあるとは思いますが、自分自身の苦しみから逃れたいという気持ちも強くあったように思います。

この邦彦の気持ちはとても分かりやすく、理解されやすい気持ちだと思いますが、長太郎の邦彦を庇うのが長太郎自身の為というのは、とても分かりにくいものだと思います。或いは、長太郎自身の為というのは、私だけが勝手に受け取ったもので、作り手にはないものかもしれません。

それでも、私がこの話での長太郎が邦彦を庇う長太郎から感じ取ったものは、あっこちゃんと邦彦を見て、母親のいない2人の寂しさを感じ取った長太郎が、この2人の為に自分が犠牲になることで、2人の為になっているんだという一つの自己満足感でした。長太郎の優しさを自己満足と捉えるのは、とても意地の悪い受け取り方だと思います。

けれども、邦彦がその苦しい胸の内を長太郎に打ち明けても、長太郎が邦彦に黙っているように強制したところに、私は長太郎の自己満足を見てしまうのです。

f:id:kutsukakato:20220325110114j:plain
f:id:kutsukakato:20220325110130j:plain
『男!あばれはっちゃく』42話より

私が泣いた場面

私がこの話の中で、溜まらなくなって涙を流した場面は、邦彦の日記を読んだ邦彦の父親である佐藤部長が邦彦を問いただし、邦彦と寺山先生と一緒に桜間家に来て、頭を下げた場面です。

邦彦の父親は最初こそ、父ちゃんを下に見ていたり、長太郎に対して厳しい見方をしていて、長太郎に対して腹を立てて桜間家に怒鳴り込むこともありましたが、自分や邦彦に非があると分かるとすぐに自身の非を認めて、素直に謝ってきました。今回も佐藤部長は邦彦の方に非があることが分かると、それを隠すことなく、邦彦を問いただし、すぐに桜間家に行き、頭を下げています。

自分の部下である父ちゃんの家に足を運び、しっかりと謝る。自分の息子のしでかしたことでありながら、だからこそ、頭を下げる佐藤部長の姿に私は泣いたのです。佐藤部長は邦彦にとても甘いところはありますが、いいこと、悪いことの区別はとてもはっきりしていて、誤魔化すことなく正直に良い行いも、悪い行いもきちんと報告することで、それを褒め、悪いことをした時には、しっかりと叱ることの出来る大人です。

物事を中途半端に知って、本来、悪くない人間を怒ったりしたりもしますが、事の顛末をしっかりと知った後で、ちゃんと正しく評価が出来るのが佐藤部長なんだと思います。物事の良しあしは起きた出来事を正確に知る必要があるのも、『あばれはっちゃく』を見ていて思うことです。ひいては、それはこのドラマに限らず、現実世界にもいえることではないかと思います。

現実の世界で全てのことを正確に知ることは難しいことですが、だからこそ、当事者の話を聞いたり、証拠を集めたり、話や出来事の矛盾点がないかを知ることが大事なんだと思います。そして全てが分かった時に、どのように判断をするかが大事で、自分が途中で不完全な時に下した判断が間違いだと分かった時に、すぐに過ちを認めて正すことが出来るかが重要になっていると思います。

この過ちを正すことが、実はとても難しくて、意固地になったりしてしまうものですが、佐藤部長は過ちを正すことが出来る人。地位やプライドなどは関係なく、悪いことに対して頭を下げられる人であり、大人として尊敬できる一人です。私は、父ちゃんに頭を下げた佐藤部長にそうした尊敬する大人の姿を見て、泣いてしまいました。

f:id:kutsukakato:20220325111832j:plain

『男!あばれはっちゃく』42話より

大切にするもの

この話は、母親を亡くしたあっこちゃんと邦彦に同情した(あまり使いたくない言葉ですが)長太郎の優しい気持ちから起きた話ですが、長太郎は自分の母親が健在であることから、母ちゃんを大事にしなくちゃといいますが、長太郎のしたことで、母ちゃんがとても心配することになって、母ちゃんの気持ちも考えて欲しいな、大切にしなくちゃって言ったのにって思ったりもした話でした。

人には、大切にしないといけないものが多くあって、それの中でどれが一番だと決めるのは難しくて、そもそも、選ぶことは出来ないけれども、何かを大切にする時に、何かをないがしろにしてしまう可能性があることも覚えておいたほうがいいように思いました。今回の長太郎は、あっこちゃんと邦彦を思うあまりに、母ちゃんの気持ちをないがしろにしたことを忘れてはいけない。

全てが分かったことで、母ちゃんの気持ちも父ちゃんの気持ちも救われたけれども、そんな風に全てが上手く収まるとも限らないということも、現実の世界を生きる私たちは知っておく必要があるんだと思います。

私が小学生の時に好きなった漫画で、雑誌『なかよし』に連載していた、あさぎり夕先生の『あこがれ冒険者(アドベンチャー)』があるのですが、その最終回にこんな言葉があります。

「だから キミたちは えらびまちがえちゃ いけない いちばんたいせつな ものはなんなのか 恋人か 友人か 肉親か……? どうすれば それを失わずに すむのか よく 考えるんだよ」

この話を見て、この上記の言葉を思い出しました。『あこがれ冒険者』は私が高学年の時に連載されていた漫画でしたので、『男!あばれはっちゃく』42話本放映当時、幼稚園の頃にはなかったのですが、今ではこうしてDVDでドラマを見返して、小学生の時の読んだ漫画の言葉を思い出して、大切にするものを選ぶ難しさを実感を持って噛みしめることができるのだなって思います。