柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

『男!あばれはっちゃく』40話「良い年売ります」感想

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『男!あばれはっちゃく』40話より

1980年12月27日放送・脚本・田口成光さん・監督・松生秀二監督

章のコンプレックス

今回は章の長太郎に対するコンプレックスを強く感じた話でした。長太郎の良かれと思ってしたことが結果的に相手の立場を悪くした時に長太郎のせいにされてしまうということはよくあるのですが、そういう時に長太郎のせいにする人というのは、だいたい決まっていて、2代目『男!あばれはっちゃく』の場合は、それがみゆきちゃんのママだったり、邦彦というのが多いと私は思うんですけれども、今回はその2人ではなくて、長太郎の親友である章だというところが意外であり、新鮮でした。

長太郎の親友とはいえ、章はこの時点では、まだまだ長太郎との付き合いも短くて、まだ深い関係でもなく、お互いを知り尽くしている訳でもない段階なのですよね。

長太郎の行動力や積極性というのは、章には羨ましく見える部分もあり、長太郎よりは引っ込み思案で恥ずかしがりやで、自分の中では長太郎と同じようにやろうと思っていても、それを行動に移すまでが遅かったりして、迷っているうちに長太郎にその行動を取られてしまうというのは、章にとっては嫌な気分というか、自分のやるべきことを取られてしまったという気持ちが強くあるんだろうなって感じました。

長太郎は章に嫌がらせをしている訳ではないのだけど、章からすると長太郎が自分のしたいこと、やりたいことを奪っている気持ちになっていたのかな、それでいて、自分がやりたくないことを長太郎のせいでやらせれているという気持ちが出てしまっていたのではないかと、始まりからの長太郎の行動に対しての章の表情を見ていて感じました。

長太郎が門松の飾りに手間取っている加納親子の姿を見て章の代わりに章の父親の手伝いをしたり、長太郎が合気道を習っているということで、章の父親が章に合気道やらせようとして、長太郎と一緒にお寺に行った時の章の表情を見て、私はそう思ったのです。

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『男!あばれはっちゃく』40話より

章の父親の要望で長太郎は章の父親と合気道をして、章の父親を投げ飛ばしてしまって、章の父親は捻挫をしてしまうのですが、このことを章は母親に話す時に長太郎が悪いように話したものだから、章の母親が夕食時に桜間家に怒鳴り込んでくるのですね。章の長太郎に対するコンプレックスが長太郎を悪く言ってしまったんだろうなっていうのは、それまでの章の浮かない顔から分かるのですが、全てを知っている章の父親がいるのに、なんで長太郎が悪者になっちゃうのかなって思ったりもしたのです。

けれども、後半で長太郎が捻挫をした章の父親の仕事を手伝った時に、またしても、章と長太郎のちょっとした諍いで、章の父親がまた怪我をしてしまった時に、再び章の母親が怒鳴り込んできて、父ちゃんと長太郎が加納家に謝りに行った時に、章の父親がちゃんと事の経緯を話して、長太郎が悪くないと言ってくれた時に、ああ、きっと章の母親は章の父親の話を聞かずに、章の話だけを聞いて、すぐに桜間家に文句を言いに行ったんだろうなって納得出来たんです。

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『男!あばれはっちゃく』40話より

長太郎の味方と敵のバランス

章の母ちゃんはそそっかしく、早とちりなところはあるし、それに章のことを少し過保護気味であるのは、この話の前の話でも分かっていることですから、納得しやすかったですね。なんというか、長太郎の友人の家は、自分の子どもの言い分を信じて長太郎を悪く捉える人がいる一方で、ちゃんと話を聞いて判断しましょうよっていう人もいて、バランスが取れていると思います。

例えば、みゆきちゃんのとこの大島家の場合は、みゆきちゃんとみゆきちゃんのパパが長太郎に好意的であるのに対してみゆきちゃんのママは長太郎に厳しい。邦彦の佐藤家は邦彦と佐藤部長は長太郎に厳しく、邦彦の姉のゆかりさんは優しい。後に佐藤家と入れ替わりに来る江藤家の場合は、克彦と克彦の父親が長太郎に厳しく、克彦の姉の洋子さんは長太郎に優しいという具合に。

加納家の場合は以外にも章の母親の方が長太郎に厳しく、章の父親の方が長太郎に甘いかなって、この話を見ていて思いました。章の母親も後半になっていくと、優しくなっていったと思いますが、やはり少し厳しいですよね。

事実を捻じ曲げても

今回の章は長太郎が立派すぎることで、自分が惨めになっていくことに対しての悔しさから長太郎を悪いことにすることで、自分の中での悔しさのモヤモヤを少し晴らしたのだろうと思うんですけれども、それでは、一時的にモヤモヤや悔しさを晴らすことが出来ても、根本的には何の解決にもならなくて、ずっと、思いっきりよく出来てない自分のコンプレックスを壊すことが出来ないわけで、だから、ずっと章の表情が曇っているんだろうなって思いました。

二度の怪我で、章の父親が仕事が出来なくなった時に、父ちゃんのひらめきで長太郎と章で章の父親の代わりに仕事をすることになるのですが、章は恥ずかしがってまともに仕事をやらなくて、長太郎と喧嘩になり、長太郎は章をほっぽり出して帰ってしまうのですね、そして、章がいなくなってしまったことで、またまた章の母親が怒鳴り込んでくる。

長太郎にとっては、煮え切らない章に対してのもどかしさがあったんだろうと思います。章の中にある恥ずかしさというのが長太郎には殆どないからこそのすれ違い。章も自分にも長太郎と同じくらいの大胆さと行動力があればという気持ちは、章の長太郎に向ける眼差しから感じ取れます。

けれども、それを章が自分の言葉にして、長太郎に話すことが出来ないのは、まだ長太郎との付き合いが浅いというのと、章自身が自分の気持ちを相手に伝えることで、相手との関係がうまくいかなかった経験が大きく影響しているのではないかと私は思うのです。章はこれまで、親の仕事の都合で何回も転校していて、親しい友人を作ることが出来ませんでした。

章の引っ込み思案な性格は、それでも友人を作ろうとしていた時期があって、話しかけをしてみたものの、相手との距離感が上手くつかめず、返って相手を怒らせたり、嫌われたりした過去があって、自分の思いを口にすることをしなくなった結果ではないのかなって、私は見ていて思いました。このようなことは、ドラマでは描かれていないのですが、この話までの章を見てきて、そこに昔の私を見ている気持ちになるのです。

私も親がサラリーマンの転勤族で転校が多く、今度こそは明るく人と接しようと多少無理をして、話をしてみても、相手の気分を損ねたりして嫌われてきた人間で、それなら嫌われないように、相手の気分を悪くしないようにと殻に閉じこもって逃げてきた人間なので、章を見ていると、そんな過去の自分と重ねて見てしまうのです。結局は、章も私も単に怖がりで勇気がないだけだったのだと思います。

友達

章と私と違うのは、長太郎に愛想をつかされた後で、章が一念発起をして恥ずかしい気持ちを捨てて、動いたことですね。章にとって、商売の呼び込みをする恥ずかしさよりも、やっと出来た初めての友人である長太郎を失うことの方がずっと嫌だったということ。

リヤカーを一人で引いて、お正月飾りを売り歩いている章を見て、長太郎もすぐに章と一緒になって仕事をした時に、長太郎が章になぜ仕事をする気になったかと尋ねた時に章は答えます。

「だっておいら、友達なくしたくないもん」

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『男!あばれはっちゃく』40話より

章にとって、いかに長太郎が大事な友達か分かる一言です。この40話は章の心が中心になっていて、章と長太郎の性格の違い、その関係性と、章が長太郎に対してプラスの面でもマイナスの面でもどのように思っているのかがよく分かる話でした。

田口成光さんだからこその話

最後の章の行動以外は、章の心情が中心で話が展開しているのにも関わらず、章はある種、傍観者というか、蚊帳の外で物事の成り行きを見ているだけの人にもなっていました。

それゆえに章の自分自身の煮え切らない不甲斐なさからくる長太郎への嫉妬心を感じ取れる話であり、途中で梯子を支える場面での長太郎との張り合いなどの場面があることで、実は章は大人しいだけの子ではないというのを見せることで、踏ん切りがつけば、行動する力のある子なんだというのがあって、最後の章の動きに繋がっての長太郎との和解になったのだと思いました。

章の心情の変化以外は、特に大きな事件というのは実はなかった話だと思いますが、この章の心情の変化というのは、実はとても大きな出来事で、章が積極的な性格に変わるきっかけというのが長太郎という友人であるというのは、とても大きなことなんだと思います。

こうした地味でありながらも、弱い人間のプライドや意地、大切なものをなくしたいないという気持ちを丁寧に書いた田口さんの脚本はとても素晴らしいと思います。田口さんは『あばれはっちゃく』以外の作品の脚本もいくつか書かれていて、それらの話も見てきて思うのですが、私は田口さんは、一見地味でありながらも、大切にしないといけない人の大切な心、強いだけではない弱い人の心を丁寧に書いた話が合っていて、得意なんじゃないかなって思いました。

あくまでも、私個人の見解になりますが、特に不思議な生き物やロボットも、変身するヒーローも登場しない、私たちの世界と殆ど大差のない世界の中でも、見通しがちな弱い人間の心の機敏さを汲み取って、少しの成長を書いて、最後に穏やかで優しく温かい気持ちにしてくれるのは、田口さんだからこそ生まれた話だった思います。