もうすぐ
空気も柔らかく暖かくなり、体を緊張させなくても外を歩ける気候になりました。ところどころ、寒さに身がしまる時もありますが、2月が終わり、3月になって、春の温かさが有難く優しく感じられる頃、私は『俺はあばれはっちゃく』最終話でヒトミちゃんが長太郎にいう言葉を思い出します。
「もう春なのね」
まだ、冬の顔も残っている時期『俺はあばれはっちゃく』最終回の放送は1980年3月8日ですが、撮影は放送の約一ヵ月前だと思いますので、2月の始め頃だったのではないかなって。それでも、春はそこまで来ていて、柔らかく優しい春が待っているんだなって。
最終回はそれまで楽しく見てきた作品との別れでとても寂しく、『俺はあばれはっちゃく』の最終回は長太郎が初めて恋をして大好きなヒトミちゃんとの別れでもあるので、とてつもなく寂しいのですけれども、今生の別れではなくて、会おうと思えばいつだって会える距離で、寂しいけれどもちゃんと安心できる春の温かさがあるってことを示唆していて、別れを惜しむ長太郎を元気づけるヒトミちゃんの言葉にとても励まされます。
家族を捨ててしまった私がこんなことを書く資格もないのですが、明日は母の命日で生きてさえいれば、会うことも出来るのに、亡くなってしまうと会うことも出来なくなってしまうのだなって、当たり前のことなんですけれども、だからこそ、生きているというのは、それだけで素晴らしいのだと思うのです。
別れは辛いけれども、生きてさえいれば、生きていれば……。
言わなくてもいいこと
私は中学、高校生時代に「お前なんか死んでいれば良かったのに」と何人から、面と向かって言われたことがありますが、どんな人間だろうと、そういう言葉は決して言わない方がいいと思います。
それは私自身がとても傷ついたのに加えて、どんな人にもその人を大切に思い生きて欲しいと願っている人が必ずいるからです。死んでしまえば、その人の代わりはどこを探してもいないし、どんなに大金を積んでもその人を再び蘇られせることは出来ません。
生きてさえいれば、話し合いで理解しあうことだってゼロではないでしょう。永遠に理解出来ない時もありますが、お互いに干渉をしないで、存在を否定しなければ、人生を交わることなく衝突することもなく生きていける。
生まれてきたからには、生きるしかなく、その時に大事な存在がいて生きていた方が、生きることに張り合いが生まれる。誰かにとって憎い相手でも、違う人にとってはかけがえのない存在であって、それを否定するほどに人は偉いのかと。
私はあまり人から大事に思われることのない人間ですが、それでも、私を必要としてくれた人はいたので、そういう人間に対して「死んでいたら良かったのに」っていう言葉を平気で言える人は、どこか人の命や心を軽んじているように思います。
人を役に立つか立たないか、好きか嫌いかだけで、その存在を否定する考えがあるのは、仕方がないことですし、私もしてしまう考えでもありますが、それを口に出したり、実行するのはどうかなって思うのです。