柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

結婚が女の幸せの考え方

価値観の変化による妨げ

あばれはっちゃく』を現代に復活させると、当時とは社会的価値観がかなり変わっている点で難しいと思います。父ちゃんの暴力や、いやらしい場面だけではなく、私の中では、女の幸せが結婚にあることだという考えが、かなりネックになるように感じます。

『俺はあばれはっちゃく』52話(1980年2月9日放送・脚本・市川靖さん・山際永三監督)では、漫画家の三ツ色すみれが仕事に行き詰まり、なんとか漫画の最終回を描いたものの、結婚こそが女の幸せだと漫画家を引退してしまいます。

三ツ色すみれを演じた紅理子さんは、2代目『男!あばれはっちゃく』71話(1981年8月15日放送・脚本・三宅直子さん・磯見忠彦監督)でも漫画家を演じ、こちちらは引退することなく漫画家を続けました。

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上記リンクの過去記事にも書きましたが、2代目以降母ちゃんが専業主婦でなくなり、ヒロインの母親もライバルの母親も職業を持つようになっていきましたが、それでもシリーズ唯一の女性脚本家である三宅直子さん以外の脚本家の方達の話には、女(女の子)の幸せは結婚にあるという考えが根強くあったように思います。

女性蔑視というよりは、女性が結婚して家庭に入ることが「普通」の考えの時代に生きてきた人達の考えに基づいた発想からの話なのではないかなって私は思います。その話は、その時代の「普通」が誰にも疑問に感じなかった時代ならば、何も問題はないかと思いますが、今の時代、女性の幸せが「結婚」だけとするのは、反発を呼ぶように思うのです。

あばれはっちゃく』のシリーズにおいては、なにも女(の子)の幸せが「結婚」だけにしてはいないのですが、その傾向は強くあるように感じます。三宅直子さんの脚本があることで『あばれはっちゃく』は、ひょっとしたら、かろうじて、現在の社会、仕事における男女平等の価値観に近いところにあるのかもしれません。

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2代目『男!あばれはっちゃく』28話(1980年10月4日放送・脚本・田口成光さん・松生秀二監督)では、男性の田口成光さんの脚本において、母ちゃんが家庭以外の他の仕事をしていても、女性に家庭の仕事の完璧を求める父ちゃんや弘子ちゃんのお父さんが長太郎達に批判される対象になっていて、それが40年以上前の作品であり、男性脚本家の話であると踏まえると、かなり進んだ考えであったことは確かだと思います。

それでも「結婚」が女の幸せであることを、3代目『熱血あばれはっちゃく』の時代に35話(1982年12月11日放送・脚本・山根優一郎さん・磯見忠彦監督)であけみちゃんに言わせてしまうところは、今では批判の対象になってしまうように感じるのです。

おそらくは、35話であけみちゃんが語った将来の夢は、あの時代ではごく普通の平凡な当たり前の女の子達が多く望む夢の一つだったかもしれません。けれども、今では時代も価値観も取り巻く環境も変わってしまって、それをあの時代を知らず、『あばれはっちゃく』に思い入れのない人達が見たら、反発する人が多く出てくるのではないか、中にはあけみちゃんが可哀相と思う人もいるのでは、と、考えてしまいました。

「私には普通の女の子が向いているのよ。仲良しの友達がいっぱいいて、将来は、平凡な結婚をして、子どもは男と女の2人を生んで」

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『熱血あばれはっちゃく』35話より

親の言いなりになり、親のモデルになる夢を叶えるだけのあけみちゃん、社会でこれが幸せだという形が自分の夢見る幸せの形だと思って、目を輝かせて長太郎に語るあけみちゃん。どちらのあけみちゃんに対して、今の若い「あばれはっちゃく」が放送されていた時代を知らない人達は可哀相だと思うのだろうか、と、昭和生まれの昭和の時代を生きてきた私は思ってしまいます。

わらさんのお陰で、『あばれはっちゃく』を知らない世代の方々が『あばれはっちゃく』を大好きになってくれたことを知って喜びながらも、そんな疑問を感じたりもするのです。

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