柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

謎が解けた

この子はだぁれ?

kakinoha.hatenadiary.com

11年前にネットの映画情報や『すぐやる一家青春記』DVD付属解説にある吉田友紀さんの出演作として紹介されている『衝動殺人息子よ』に吉田友紀さんが出演されていない謎を記事に書きました。吉田さんが演じたとされる少年、田口悟を見てもその田口悟少年は吉田友紀さんではありませんでした。下記の引用画像の少年が田口悟です。声を聴いても悟少年は吉田友紀さんではありません。

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『衝動殺人息子よ』より

このことについて、11年前に記事を書いたところ、昨日、その11年前の記事にその記事で問いかけた、吉田友紀さんではない田口悟少年は誰かに対する答えをさとうさんから頂きました。

さとうさんから詳しい情報を頂いたことで、田口悟を演じた子役が誰だか分かり、また、なぜ、間違った情報が長く流布されたのか、その理由も知ることが出来ました。田口悟を演じたのは、中井徹さんで『先生のつうしんぼ』の映画(日活・1977年・8月25日公開)『Gメン75』(TBSテレビ・1975年5月24日~1982年4月3日)などにも出演されていた子役の方でした。

以下、さとうさんのコメントの引用です。

かなり前の記事ですが、当時の雑誌の記事を確認したので、コメントします。
キネマ旬報』1979年9月下旬号でこの映画が特集されており、詳細な配役が記載されています。
まず、脚本のページ。スタッフ・キャストが記載されており、「田口悟……中井徹」とあります。
それから、日本映画紹介のページ。こちらにもスタッフ・キャストの記載があり、「田口悟……吉田友紀」とありました。
他の雑誌もいくつか確認しましたが、田口悟役の記載があるものは見つけられませんでした。
パンフレットにも記載されていません。
キネ旬の脚本と日本映画紹介のページの配役に差異がある役はもう1つあり、脚本のページは「中山……伊東達広」で日本映画紹介のページは「中山……橋本功」となっています。
どちらの役もクレジットにあるのは脚本のページの方の俳優の名前です。
ここからは推測です。
日本映画作品大事典の刊行記念のトークショーで映画評論家の山根貞男さんがキネマ旬報の記載は間違いがあると話されていたとブログに書かれている方がおり、少し前に読みました。
企画と制作の段階で違うものを全部フォローしているわけではないということのようです。
これもそういった事例の1つではないでしょうか。
同じ号で記載が違うというのも奇妙ですが、入稿の時期が違うとか何か事情があるのでしょう。
ネット上の映画の配役情報はキネ旬の日本映画紹介のページの引用が多いのではないかと思います。
日本映画紹介のページには沢山の映画の情報が記載されていますが、この映画のようにそれ以外でも記事にされる映画は限られていますので。

間違いの大元は『キネマ旬報』1979年9月号

私も『キネマ旬報』1979年9月下旬号の日本映画紹介での記載ミスという事実と照らし合わせてみても、さとうさんの推測がほぼ事実に近いのではないかと思いました。『キネマ旬報』には、脚本のページ、日本映画紹介のページに配役がありますが、実際に映画を見れば、どちらが間違っているかがすぐに分かります。

私は映画をDVDで見てみて、日本映画紹介ページの方が間違っていると分かりました。また、さとうさんのコメントにもありますが、脚本ページと日本映画紹介ページで違う配役になっているのは、田口悟役だけでなく、中山役もあります。

こちらも映画を見れば、脚本ページで中山役として書かれている伊東達広さんが出演されているのに対して、日本映画紹介ページで中山役とされている橋本功さんは出演されないことが分かります。

映画の中で中山の名前は登場してきませんが、伊東達広さんが所属されている俳優座で紹介されている伊東さんのお写真と声を参照に下記引用画像の中央が伊東さんであり、中山であると判断しました。

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『衝動殺人息子よ』より

参照ページリンク

haiyuza.info

映画を見ないで資料を作る

今回の件で思ったことは、ネットの映画情報、またはDVDの解説書の殆どが、情報を提供する映画を見ることなく、二次資料を基にして資料を作っている場合が多いのではないかということでした。

1979年9月下旬号の『キネマ旬報』を参照にしたとしても、脚本ページと日本映画紹介ページでの記載の違いに気づくか、そもそも、映画作品を見れば、日本映画紹介ページで書かれた俳優が出演していないのは分かるのではないでしょうか。

特に映画情報を作成したり、俳優のプロフィールを書く仕事をされている方達は俳優の顔をある程度認知されていると思われます。その方達が俳優の方の顔を見間違えるはずはないと思いますので、映画本編を見る時間が取れない中では、既にある情報を参照にしていくしかないのだと思いました。

1979年当時は映画を見た人は、この結果的に間違いになった『キネマ旬報』のミスを些細な事だと気にせず、これは間違いという認識が広くあったと思いますが、映画公開から40年以上も経ち、映画作品自体を見る人が少なくなると、二次資料を参考にして間違いに気づくこともなく、広くその間違いが普及してしまうのだと思いました。

そこで思うのは、まず第一次資料にあたるのが一番正しいのではないかということでした。これだけ有名な木下惠介監督作品で、今、DVDで見返すことが出来る作品であっても、こうした大きな間違いがあるのですから、他にも間違ったままの情報があるかもしれません。

一次資料の大切さ

私自身もその当時をよく知らないことは、思い込みで間違った調べ方をして、それが真実だと誤った情報を流したこともあり、素人だとしても、こうしてブログで発信している以上は、時間と予算の都合もありますが、一次資料を大切にする必要性を強く感じて、他人事ではないなって思いました。

私が『キネマ旬報』にたどり着ければ、謎はすぐに解けたわけで、私自身の実行力のなさ、結局はネット情報に頼っている自分が恥ずかしく思いました。人間なのでミスはありますが、なるべくミスを少なくなるように努めたいです。

今回、さとうさんの調べによって、11年間の謎が解けました。さとうさんには本当に感謝しています。ありがとうございました。