柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

『男!あばれはっちゃく』31話「走れ!ジャジャ馬」感想

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『男!あばれはっちゃく』31話より

1980年10月25日放送・脚本・山根優一郎さん・監督・川島啓志監督

4話との比較

今回の話を見て『男!あばれはっちゃく』4話「なぐれ!先生マル秘作戦」を思い出しました。今回の話は、この4話と対比できる話だと思います。4話では転校してきたばかりの長太郎が邦彦達にそそのかされて、新任の音楽教師松島カオル先生に嫌がらせ、授業妨害をするのですが、今回は長太郎自身の判断で、教育実習生の森下千恵子先生に嫌がらせをしてます。

まだ、転校してきたばかりで長太郎の人間性を知らなかった頃の4話の寺山先生は、この時に長太郎という人間がどういう人間なのか知る機会だと言いましたが、今回は長太郎のことに対して疑念を抱く森下先生に長太郎はいい奴だと話されました。この寺山先生の変化は長太郎が転校してきてから積み重ね、勝ち取った寺山先生からの信頼によるものだと思います。

ただ、どちらにしても、松島先生も森下先生も気の毒であることに変わりはないんですけどね。

逆転現象

4話では長太郎の意志とは別なところで生まれた嫌がらせの印象が強く、意に反したことをしないといけない長太郎が気の毒に思ったのですが、31話では、そもそもの原因は長太郎が作り出したのに、長太郎が素直に謝ることをしなかったことが、私の中でわだかまりとして残りました。と、同時にやはり4話と比較して、4話で意地悪で卑怯で長太郎を嵌めた邦彦が、洋一の答案を取り上げている長太郎に注意をしているのを見て、面白い逆転現象だなって思いました。

邦彦の言動が逆転現象でありながら、これが初代『俺はあばれはっちゃく』の正彦と同じポジション、行動になっていることも、また面白く感じました。前回も書きましたが、邦彦は初代『俺はあばれはっちゃく』の正彦に該当する人物です。それでありながら、初代正彦とは微妙に立ち位置や性格が違います。当初の邦彦は初代の正彦よりも意地悪な面が強調されていると感じましたが、少しずつそれが緩和されてきます。

時々、意地悪でズルい面も顔を出してきますが、長太郎との出会いで邦彦もまた変化していったと思います。それが、私には不思議なことに正彦が持つ優しい面に邦彦が近くなっていったように思うのです。人それぞれに感じ方は違うと思いますが、私はそう感じました。後に邦彦が主役の42話「笑え!風船マル秘作戦」を見るとより納得出来るかもしれません。

前作との違いを出すために、微妙に登場人物の性格や立ち位置を変えている『男!あばれはっちゃく』ですが、前作で良かった部分は取り入れたり、近づけたりしていたんじゃないかな、なんて思ったりしました。

正彦と邦彦だけでなく、初代長太郎と2代目長太郎の性格も微妙に異なっていて、初代長太郎は転校生ではなく、既にあの世界では当たり前の存在でテレビの前の私達の前に登場してきたのに対して、2代目長太郎は転校してきて新しく始まった『男!あばれはっちゃく』の世界に登場してきて、その世界の住人達やテレビの前の私達にとっても知られていない未知の存在として登場してきた分、初代長太郎よりも正義の部分が強調されて登場してきたと感じました。

初代長太郎が飾ることなく、ガキ大将としての面を強く出して登場しながら、まだ桜間長太郎、あばれはっちゃくを知らない視聴者に好意的に受け入れられたという事実は、今から考えてみると、実に奇跡的なことだと思います。初代長太郎は正の面も負の面もあまり偏ることなく、自分の感情、自分の中の道徳基準の思うままに振舞って、私達の前に登場してきました。

ドラマ世界の住人達は、そんな長太郎をいい奴だと受け入れている人やなんて嫌な子!と受け入れている人達がそれぞれに存在していて、長太郎という人物であっても、人によって良い子になったり、悪い子になったりするという、人なんて受け取る人によって、どうにでも変化してしまう者なんだというのを、初代長太郎はその存在で示していたように思います。

ありのままの姿で登場してきた初代長太郎と

初代長太郎が1年かけて、視聴者の私達に「あばれはっちゃく」と呼ばれる人間がどんな人間かと教えてくれた後で、誕生した2代目長太郎は、同じ「あばれはっちゃく」だとしても、当時の私達にとっては、どんな人物であるかまだ未知の存在でした。それでも「あばれはっちゃく」なのだから、初代長太郎と通じる点があるんだという思い込みはあったと思うんです。

2代目『男!あばれはっちゃく』の家族以外の住人にとっても、私達視聴者にとっても2代目長太郎はどんな人間かは分からない状態でドラマは始まったけれども、少なくとも、視聴者は「あばれはっちゃく」がいい奴だと思って、味方の立場で視聴していたんじゃないかなって思うんです。

視聴者が味方として応援している主人公が意地悪でズルい子だったら、応援する気持ちも半減するだろうから、最初は長太郎に善の要素を強く、長太郎を面白くないと感じて意地悪する邦彦に悪の要素を強く持たせたのかなって思いました。それが、31話になれば、それも必要がなくなり、長太郎にもある悪い面、邦彦にもある良い面が話の中に出てきたんだろうな、なんて思っています。

意地の張り合い

31話は長太郎と森下先生の意地の張り合いだったなって思います。洋一が長太郎と森下先生の対立の勝敗をいちいち言っていたことからも、そう感じました。長太郎の引くに引けない気持ち、森下先生の子どもに舐められないようにしようとする気持ちの対立。それでも、まだ教育実習生の森下先生は、長太郎達に見せていた強気の面とは裏腹に自分の中で子どもと打ち解けて、しっかり指導、教育出来るかという不安も持ち合わせていて、それは森下先生だけでなく、誰もが抱えている不安なんだろうと思います。

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『男!あばれはっちゃく』31話より

「先輩、あたし、ちょっぴり自信なくしちゃいました」

「あ」

「長太郎君みたいな子どもは、どう扱ったらいいでしょう」

「あ、は、は、なんだ、たった一日で、もう、根を上げたんですか」

「でも」

「あいつはね、あれで、なかなか、いい奴なんですよ。こっちが無理に押さえつけようとすると、ムキになって反抗する。まあ、友達のつもりで付き合うんですよ。それが一番のコツですよ」

「はい、先輩」

「あ、その、先輩っていうの、よしてくれないかなあ」

「あは、すいません」

「はは」

「でも、教育って本当に難しいですね」

森下先生が長太郎のゴキブリプレゼントやそのお詫びの為に洋一のアイディアで森下先生の歓迎会をする為に、その準備をしている教室に入れない為に邦彦達が森下先生の教室への入室を邪魔したことで、森下先生は自信を無くして、学校を出てしまうのですが、それは、森下先生が長太郎達には見せなかった不安の面が、ついに隠し切れなくなってしまったのだろうと思います。

先生とはいってもやはり人間で、そして森下先生はまだ先生になる前の教育実習生の大学生。どんなに強気でジャジャ馬な人でも、自身が持っている不安な考えを増幅させる出来事に次々と遭遇すると、悲しくなって気持ちが萎えてしまうのも、仕方がないことだと思いました。

先生大好き!

森下先生の置手紙、先生が誤解したこと、先生を傷つけてしまったことを知った長太郎達は先生の家に向かい、先生にメッセージを伝えます。そのメッセージを見た時、聞いた時に森下先生がどんなに嬉しかっただろうか、森下先生のところには寺山先生も来ていて、森下先生の誤解を解こうとしていたのを見て、寺山先生と5年3組との信頼関係も垣間見えて、いいなって思いました。

人が人を信じる温かさ、誤解されてしまう悲しさ、どんなに強気な人でも自分が嫌われてしまったと思わせることがどんなに人を傷つけてしまうのかということが、この話から伝わってきました。そして、人の心を傷つける気まずさを知ることは、大事なことでもあるように思います。

気まずさというのは、あまり抱きたくない感情だから、そういうことはしないように気をつけたいなとか思ったり、ただ、人がどんなふうに自分の言動や存在を受け止めるかなんて、予想が出来ないから、自分の心の思うまま、正直に生きるのも大事なんじゃないかなって思ったりします。長太郎達は、森下先生が嫌われていると誤解していると分かった時に、素直に自分達の気持ちを伝える行動に出たのは、自分の気持ちに素直に動いたからで、それが森下先生にちゃんと届いたんだなって、私はそんな風に思いました。

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『男!あばれはっちゃく』31話より
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『男!あばれはっちゃく』31話より

おまけ

そういえば、見ていて思ったのですが、寺山先生も森下先生もタイヤ飛びをしなくても良かったんじゃないかな、なんて思いました。

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『男!あばれはっちゃく』31話より

後、長太郎達が遊びに行った森下先生の実家はすごく広くて、庭で森下先生が琴を弾き、正座していてそれを聴いていた長太郎は、庭の鯉がいる池に落ちてしまって、そこから出てきた長太郎が吐き出したのが金魚。なぜ、鯉のいる池で金魚かと思ったけど、長太郎が口に含むことが出来るのは、金魚がさすがに限界だからだろうなって。なんか、2代目長太郎って、水に嵌るのが歴代の長太郎達の中で、特に多くありません?栗又さん、大変だっただろうなあ……。

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『男!あばれはっちゃく』31話より