柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

浅い宝塚歌劇団のファンと『あばれはっちゃく』に縁のある元タカラジェンヌ

あばれはっちゃく』に出演した宝塚歌劇団OGや松竹歌劇団OGに関しては、長くなりそうなので、いずれ別記事にするかもしれません。なお、『俺はあばれはっちゃく』16話に出演した東郷晴子さんについては、この記事に追記しました。

るろうに剣心

私はテレビで宝塚歌劇団の舞台を見ていただけの浅い宝塚歌劇団好きです。大劇場にも東京宝塚劇場にもバウにも地方公演にも、その他の劇場でも生で宝塚歌劇団を鑑賞したことがありません。

それでも、NHKBS2等で宝塚歌劇団の舞台を放送することがあって、それを見たことで宝塚歌劇団を好きになりました。20年以上前の話です。

大好きな漫画『るろうに剣心』が1996年にテレビアニメ化され、その主役の緋村剣心を演じたのが涼風真世さんでした。私はこの時、剣心を演じた涼風真世さんの声と演技に心を惹かれ、興味を持ちました。

当時、アニメ雑誌、声優雑誌を買い、アニメや声優関連のラジオも聞いていて、当時の声優に関して詳しかった私でしたが、涼風真世という声優に関しては何も知りませんでした。

そこで、調べてみると涼風真世さんは元宝塚歌劇団月組トップスター男役の方だと分かりました。当時の私は、宝塚歌劇団というと大地真央さん、黒木瞳さん、寿美花代さん、新珠三千代さん、八千草薫さんが所属されていた関西の劇団で、漫画『ベルサイユのばら』を公演して人気が高い劇団だという認識しかありませんでした。

そこから、宝塚歌劇団涼風真世さんのことを知りたいという興味を持つようになったのです。私が宝塚歌劇団を知ろうとしたきっかけは、テレビアニメ『るろうに剣心』でした。『るろうに剣心』は後に、宝塚歌劇団雪組で2016年に舞台化されています。公演期間・2016年2月5日~3月14日・宝塚大劇場・4月1日~5月8日・東京宝塚劇場

NHKで放送された1991年月組の『ベルサイユのばら

もっと涼風真世さんのことを知りたいなって思っていた時、実家にいた時にたまたまつけたNHKBS2で宝塚歌劇団の『ベルサイユのばら』の舞台が放送され、それが涼風真世さんがトップスター時代の月組の公演だったので、これが涼風真世さんの宝塚時代の舞台なんだ!と喜んで見ました。また、私が良く知っている『ベルサイユのばら』であったのも、そのまま見る理由になりました。

その舞台を見て、私はすっかり宝塚歌劇団の世界に嵌りました。そして、声優としての涼風真世さんだけでなく、タカラジェンヌとしての舞台の人としての涼風真世さんの虜になり、涼風真世さんだけでなく、その舞台を演じた月組タカラジェンヌさん達を好きになっていました。特に劇の中で歌われた歌がとても素晴らしく、その中でもトップスターの涼風真世さんの歌は並外れて素晴らしかったのです。

声が素敵なのはもちろんなのですが、心を掴む声の魅力、魔力、響く声。オスカルという男装の麗人を演じているので、男役としての太い声でありながら、女性を感じさせる要素も持ち合わせ中性的な雰囲気を出していて、歌声に惹きこまれていく。

凛として美しく、言葉を発するだけで独特の世界を生み出す涼風真世さんの魅力に引き込まれていきました。また、音楽もとても耳に心地がいいのです。華やかさと美しさ、音楽と歌声の魅力。ああ、だから「歌劇団」なのだと思いました。

宝塚歌劇団の音楽は寺田瀧雄さんの作曲が多くて、『ベルばら』でも歌われた『ばらベルサイユ』や『愛あればこそ』や『心の白薔薇』『青きドナウの岸辺』も素敵でした。現在、寺田さんの没後20年ということで、宝塚歌劇団OGが集結してメモリアルコンサートを開いています。

news.yahoo.co.jp

いろいろと知っていって

そこから、少しずつ宝塚歌劇団について調べていくことになるのですが、なにしろ当時は実家は長野、岐阜の寮に住む田舎者。兵庫県にも東京にも遠く、ネット環境もない頃。情報収集はテレビと中学生時代から好きだった手塚治虫先生の本ぐらい。宝塚歌劇団の専門誌『歌劇』や『宝塚グラフ』に関しても本屋で見かけることがなかったです。私の探し方が悪かったのか。

手塚治虫先生は、宝塚歌劇団の大ファンで自身の本や手塚治虫先生に関する雑誌などで宝塚歌劇団について書かれていることがあったので、それを読んで宝塚歌劇団の世界を知っていき、私自身がネットを使えるようになってからは、宝塚歌劇団のファンの方のブログを読み漁りました。

そこでの私が収集する宝塚歌劇団の情報は、宝塚歌劇団の世界に引きずり込んだ涼風真世さんが所属していた時代の月組でした。

そこから発生して、涼風真世さんの同期(67期生)のこと、当時の月組のこと、他の組についてのことを知っていきました。そこで、涼風真世さんの愛称「かなめ」を知ってからは、「かなめさん」と呼ぶようになりました。

また、私の見た月組の『ベルばら』で印象的な演技で心に残ったアラン役の久世星佳さんの事も知り、アンドレを演じた天海祐希さんの事も改めて知り、遡って涼風真世さんの先代トップスターの剣幸さんのことを知っていきました。そして、大地真央さんがその剣さんの前のトップスターであることも知ったのです。

他にも、月組以外の組のこと、OGの事を知っていきました。宝塚歌劇団の劇団員は生徒と呼ばれ、入団した1年目は研究科生1年、略して研1と呼ばれ、研7までが新人で新人公演に出演できること、現在は研5までは阪急電鉄の社員であり、研6からタレント契約になることなども知りました。

さらに宝塚歌劇団のOGの中には、宝塚歌劇団を退団されてテレビや映画、舞台役者、歌手、声優として外部の芸能界で活躍されている人も多くいて、宝塚歌劇団に殆ど関心がなかった時の私が知っている以上に多くの方々が宝塚歌劇団の卒業生(OG)だったことも分かりました。その中には、『あばれはっちゃく』シリーズの出演者や出演者に縁のある宝塚歌劇団のOGの方も存在していたのです。

あばれはっちゃくに出演した宝塚歌劇団OG

もっと詳しく調べるとまだいるとは思うのですが、現時点で私が把握している『あばれはっちゃく』に出演した宝塚歌劇団のOGは宮城千賀子さんです。宮城千賀子さんは『熱血あばれはっちゃく』42話にゲスト出演、『逆転あばれはっちゃく』で秀彦の祖母まさ子役で2話と5話に出演しています。

宮城千賀子さんは1935年に入団した宝塚歌劇団25期生。25期生は104名いてこの25期生は1936年に初舞台を踏んでいますが、初舞台が雪組公演『ラ・ロマンス』(8月1日~8月31日・宝塚大劇場)、月組公演『ゴンドリア』(9月26日~10月31日・宝塚大劇場)、星組公演『バービイの結婚』(11月1日~11月31日宝塚大劇場)の3つに分かれていました。宮城千賀子さんはこの3つのうちの星組公演の『バービイの結婚』が初舞台でした。

宝塚歌劇団在団時は「東風うらゝ」の芸名の月組の男役で活躍し、1940年4月15日付で研6で退団されました。愛称は、「べこちゃん」と本名から「ユキ」。宮城千賀子さんは1922年11月26日生まれなので入団した時の年齢は13歳でした。これは宝塚歌劇団が現在のシステムになる前の入団ですので、現在、宝塚音楽学校に入学できる年齢、宝塚歌劇団に入団出来る年齢とは違いがあります。

この宝塚歌劇団についての歴史に関しては長くなるので、今回は割愛します。

また、改めて出演者についても調べていく中で、宝塚歌劇団OGの出演者がいましたら、書いていく予定です。ちなみに宝塚歌劇団のライバルである松竹歌劇団(現在のOSK日本歌劇団)のOGの方も『あばれはっちゃく』に出演されていて、現在、私が承知しているのが、『俺はあばれはっちゃく』で倉持さんを演じ、『男!あばれはっちゃく』17話に病院の事務長役で出演した石井富子(現・石井トミ子)さんが松竹歌劇団出身です。

松竹歌劇団というと『独占!女の60分』の司会でも有名だった水の江滝子さんことタッキーさんがいて、このブログを訪ねてくれた松原愛さんも出演されていました。『女の60分』は土曜日のお昼ごろに放送されていたと記憶しているのですが、この番組も子どもの頃に見ていて、懐かしい番組です。

松竹歌劇団出身の女優、声優の方々も数多くいて、『あばれはっちゃく』に出演されていた方もいるので、また出演した話を取り扱う時に書いていきたいなって思います。

追記・東郷晴子さん『俺はあばれはっちゃく』16話出演

コメント欄でさとうさんから、東郷晴子さんも宝塚歌劇団OGでしたねというコメントを頂いたので、東郷晴子さんについても記載します。

東郷晴子さんは『俺はあばれはっちゃく』16話で文太の祖母役で出演されました。孫に甘く、文太の母、嫁に厳しい姑役でした。『俺はあばれはっちゃく』の子役以外の出演者や『俺はあばれはっちゃく』16話の感想も過去に記事にしているので、暇があれば読んでみてください。

kakinoha.hatenadiary.com

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さて、『俺はあばれはっちゃく』16話に出演した東郷晴子さんは、1937年に入団された27期生。NHK朝ドラ『おしん』(1983年)のおしんの晩年を演じた乙羽信子さん、今年100歳で亡くなられた大路三千緒さんと同期でした。ちなみに27期生の入団は1937年でしたが、初舞台は2年後の1939年でした。27期生は94名いますが、小町みどりさんだけ1940年に初舞台を踏んでいます。

東郷晴子さんは93人中(1939年に初舞台を踏んだ27期生の中で)2番目の成績で宝塚歌劇団に入団された娘役で雪組に所属、愛称は「ハコちゃん」。1951年に雪組組長に就任、1952年まで務めました。組長は組を纏め指導する生徒の事でその組の最年長が務めることになっています。雪組組長を務めた後に演劇専科に組替えされ、研19の1955年星組公演『虞美人』の涼日(別名盧植)役を最後に退団されました。

宝塚歌劇団は5組(花組月組雪組星組宙組)以外に、どの組にも属さず、老け役や重要な役割などを演じる一芸に秀でたベテランが所属する専科がありますが、かつての専科はもっと細かく分かれていて、舞踊専科、声楽専科、映画専科、ダンス専科、演劇専科と分かれていました。

ちなみに八千草薫さんは映画専科にいて、在団中から映画に出演されていました。専科に所属していなくても在団中から映画やラジオドラマ、テレビドラマに出演していたタカラジェンヌは数多くいて、有名なのは76期生元花組トップ娘役の純名里沙さんがNHKの朝ドラ『ぴあの』(1994年)の主演をしたことでしょうか。

最近では、101期生の星蘭ひとみさんが研5の新人で専科に組替えになり、TBSドラマ『おカネの切れ目が恋の始まり』(2020年)に出演されて、かつての映画専科のような感じに専科も再び細分化されるのかなと思いましたが、寿退団されたのも記憶に新しいですね。

話を東郷晴子さんに戻して、宝塚歌劇団の入団成績と組長を務め、その後は演劇専科に所属して研19と長く宝塚歌劇団で活躍されていたこと、退団後の映画やテレビドラマでの活躍を見ていると、東郷晴子さんがいかに素晴らしいタカラジェンヌであり、女優であったかが分かります。

専科の中でも演技専科だったことから、特に演技が素晴らしかったということは、退団後の活躍でも証明されていて、『あばれはっちゃく』でも本当にその力を発揮されています。

宝塚歌劇団ということで、現在のOGはそうでもないのかもしれませんが、東郷晴子さんの退団後の映画の仕事も東宝の仕事が多かった気がします。『あばれはっちゃく』を制作した国際放映東宝に縁のある会社で、宝塚歌劇団以外にも東宝映画所属だった俳優の方がかなり多く出演されていますね。

また、東郷晴子さんは2011年3月3日に90歳で亡くなられています。誕生日が1920年3月15日なのでもう少しで91歳だったのだなって思いました。

島田歌穂さんのお母さん

あばれはっちゃく』に出演していた宝塚歌劇団OGや松竹歌劇団OGの方以外に、『あばれはっちゃく』に関連する宝塚歌劇団OGの方といえば、島田歌穂さんのお母さんの筑波嶺玲子さんです。

島田歌穂さんのお母さんは1950年に入団した宝塚歌劇団37期生。雪組に所属していた娘役でした。研5で1954年に退団されました。

愛称は「山崎」。これは、結婚前の本名からきた愛称だと思われます。涼風真世さんの愛称のかなめも本名からきていて、タカラジェンヌの愛称は違う方もいますが、本名からの愛称が多いです。

筑波嶺玲子さんは、宝塚歌劇団退団後ジャズ歌手として活躍し、ハナ肇クレージー・キャッツの前身ハナ肇キューバン・キャッツで歌手として活躍されていました。

ハナ肇クレージー・キャッツといえば、2代目『男!あばれはっちゃく』のヒロインみゆきちゃんのお父さんの大島医師を演じた安田伸さん、4代目『痛快あばれはっちゃく』のヒロインまゆみちゃんのお父さん、春日教頭を演じた犬塚弘さんや『痛快あばれはっちゃく』にゲスト出演した谷啓さんが所属されていましたね。

ちなみに島田歌穂さんのお母さんの話題から少しずれますが、ミュージカル女優としても活躍されている島田歌穂さんは、2015年宝塚歌劇団宙組の舞台『TOP HOT』(3月25日~3月30日・梅田芸術劇場メインホール、4月5日~4月20日赤坂ACTシアター)の歌唱指導を行っています。

宝塚歌劇団のOGの娘が宝塚歌劇団の歌唱指導をするところに縁を感じますね。宝塚歌劇団は100年以上の歴史があり、退団後も芸能界に残って活躍された方が多くいらっしゃるので、『あばれはっちゃく』を始め、私が子ども頃に好きだったテレビドラマ等に関わっている人も多くいて、知れば知るほど芸能界での存在の大きさを感じています。