柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

おれは男だ(『男!あばれはっちゃく』挿入歌)

 

『男!あばれはっちゃく』93話予告

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上記の記事のコメントに、こうさんから『おれは男だ』は93話の予告でも聴けるとのコメントを頂いたので、確認して見ました。

こうさん、コメントありがとうございました。

 

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『男!あばれはっちゃく』92話より93話予告

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『男!あばれはっちゃく』92話より93話予告

引用した画像よりも前、ドン平が長太郎に向かって駆けていくところから、長太郎の声で『おれは男だ』が歌われていました。

次回予告のタイトルが出たところで、歌はプツリと切れ、ほんの僅かな無音の後にタイトルコール。

一瞬の音の途切れが、より悲しさを演出していました。

『俺はあばれはっちゃく』の次回予告についての過去記事

あばれはっちゃく』は、10年前に記事にも書きましたが、次回予告にもドラマ性を作っています。

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10年前は、まだ初代『俺はあばれはっちゃく』しかDVDが出てなかったので、初代しか振り返ることが出来なかったのですが、各代でも次回予告はそれぞれに予告にも趣向が凝らされていました。

また、取り上げていませんが、初代の最終回の次回予告も物悲しい演出になっていて、心にグサリと刺さるような、落ち着かない寂しさを感じました。

初代の最終回予告と、2代目93話の予告は、これまで当たり前にあった日常の形が壊れる前触れを感じさせるもので、心が不安定に揺さぶられる気持ちが起きて、落ち着かない気持ちになります。

初代最終回はヒトミちゃんが転校していなくなってしまう、2代目93話はドン平と別れるかもしれない。

これまでヒトミちゃんやドン平はいて当たり前の存在であり、長太郎にとって大切な存在であると同時に視聴者にとっても、お馴染みの『あばれはっちゃく』の世界の人や犬であり、それが長太郎から離れていくというのは、とても不安になる要素になります。

そうした不安も掻き立てる演出が心に残り、次回が気になってしまいますね。

カバーしてくれないかなあ

今回、確認で改めて『おれは男だ』を聴いてみて思ったのですが、この歌を5代目長太郎役酒井一圭さん率いる純烈にカバーして欲しいなって思いました。

今の時代、簡単に変えることの出来ない生まれ持った属性の性別で、こうあるべきだという型に当てはめる歌は、非難されてしまうかもしれません。

長い歴史の中で築かれた性別による、こうであるべきだという姿、これまで世間一般が共有してきた「男らしさ」や「女らしさ」は1つの分かりやすい目標の形。

個人らしさ、自分らしさは人それぞれに違い、目標になる形が既にあるものではない。

目標の形があると、ゴールが見えているから、目指し易くなるんじゃないかなって。

その形を目指しながら、自分の中で違和感を感じたりして、その目標と自分の違和感の差から「自分らしさ」が見えてくるんじゃないかなって思ったりもして、「自分らしさ」を見つけるためにも、ステレオタイプのそれぞれに属する性別の「らしさ」を知っておくっていうのも、いいんじゃないかなって思ったりもします。

ただし、ステレオタイプが絶対に正しいと信じて人に押し付けるのは反対です。

本人がそのタイプの中で納得できるものは、押し付けなくても理解され、目指すあるべき姿になると思いますから。

私は性別に関係なく、人間としていいなって共感出来る生き方に関しては、それが「男らしさ」の中にあっても、「女らしさ」にあっても、自分が属する性別とは違う中にあっても自分の人生に取り入れてもいいんじゃないかなって思うんですよね。

私は女ですが、女でも『おれは男だ』に共感できる部分がありますもの。

誤解されないように付け足しますが、私は男の人に、こうあって欲しいという願望ではなくて、自分も人としてそうでありたい、という部分で共感するのですね。

それに男や女でもない、どちらの性別にも自認のある人や、どちらの性別にも自認がない人などもいたりするので、性別に拘らずに「人間らしさ」で捉えてもいいんじゃないかなって。

『おれは男だ』の歌詞に共感出来ない人達(性別問わず)もいるかもしれませんが、共感出来る人達もいる。

人の生き方の一つとして、純烈の包み込む温かく優しい声とムードで歌ってくれたらいいのになって、私は思うんですよね。

私のささやかなちょっとした望みです。