私以外誰も読まないブログだった
一般人の素人の私のブログなんて誰も読まない。私の好きな事、日常の出来事で感じた事をただ書いているだけの、それだけのブログ。
そんな素人の文章に目を留めて、時間を割いて読む人なんて一人もいない。それが基本。それが当たり前。
なんの反応もなかった頃は、なにかしら反応が欲しい時もあったけど、書いてない事を書いてあると偽って紹介されたり、文章が下手で伝え方が悪いせいか、意図した事と違う受け取り方をされたりすることもあって、反応があればあったで自分の思う通りの反応がないとがっかりしたり。
私が好き勝手に受け取ったものに対して、あーだこーだと書いているんだから、私のブログを読んだ人が私が書いた意図とは違うものを受け取って、あーだこーだとコメントを書いてもそれは自由。
でも、それらのコメントに対して私がどんな気持ちになるかも自由。
誰も読まないと思っていたのに、気晴らしに書いていただけなのに、こうして公開してブログを書いていると、ど素人な私でもブログの文章と言う作品を評価される立場に立ってしまうんだなって、私が感想や考察をしている作品をプロとして出している人と同じ立場に立つんだなって思い知る。
素人はそれでお金を稼がないけど、趣味の範囲で書いてもプロと同じクオリティーを要求されることもある。
誰にも褒められず、認められないことが多いけど、たまに褒められたり、認めてくれる人が現れる。
16年もブログを書いていると、素人で見る価値のないと思い込んでいた私のブログを認めて読んでくれる人達が現れる。
やがて、こちらも私生活が忙しくなったりして更新か滞ると訪問しなくなる。
読んでくれる人達も私生活が忙しくなったり、興味が他に移って、私のブログに訪問する時間も無くなり、やがて忘れていくんだろう。
そうやって見送っていった人達もたくさんいる。
私のブログに温かいコメントをくれた人達は、もう訪問しなくなっても私にとっては数少ない私を認めてくれた大切な人達。
不思議な事
どうして、私のブログを読んでくれるのだろう。
どうして、私のブログにコメントを残してくれるのだろう。
どうして、私のブログにスターを贈ってくれるのだろう。
それだけのものを私は書いているのだろうか。
ただの好きな作品の感想と妄想と考察。
たまに私生活の愚痴。
それだけのただそれだけのブログ。
それでも、自分なりにいろいろ調べたり、思い出したりして書いて、ミスもあるけど、それなりに頑張っているので、卑屈な気持ちがありながらも、いい加減に書いていないという自負がある。
その自負が傲慢でとても嫌だ。
私のブログは一定の人達に認められている。それを馬鹿にされると腹が立つ。
自信がないくせに、そんなプライドだけは一丁前だ。
嫌な奴だな。
なんで、こんな奴のブログがいいのだろう。
でも、それって読んでくださる人に対して失礼な感情だ。
大切な人達だと思っているのに、相反する感情。
私のブログを卑下することは、私のブログを大事に思ってくれる人達を卑下することになってしまう。
自分を大切にするっていうのは、私を好きだと思ってくれる人達を大切にすることに繋がるんだなって分かった。
私は私のブログを否定する人達の言葉ばかりを気にして、私のブログを好きになってくれた人達を見ていない事に気づく。
大事なのは否定する人達ではなく、大事にしてくれる人達なんだ。
16年はてなブログを書いてきて分かったこと。
すぐに届かなくてもやがて誰かのとこにこのブログに書いた思いが届く。
反応がないと悲しいけれど、いつか届くと信じて書ける間は書いていこう。
真夜中にそんなことを思った。