思う事
閉鎖の理由はここはてなブログ『柿の葉日記』では書けないので、Facebookの方に書きました。
『あばれはっちゃく』とは直接関係のない私事にも関わらず、読んでくださる方々の心優しい気遣いが有難く感じました。
皆さん、それぞれに普段は口にしなくても、辛い経験を重ね、思いをしながらも日々を生きていることを知り、何の悩みも苦しみも痛みも感じないで生きている人なんていない、それぞれの立場や状況、環境は違っていて、一口に苦しみや悲しみ、苦労や痛みは言い表すことが出来ず、また、その苦しみや辛さは決して比較して語るものではないと感じました。
私は、その人が感じている悲しみや苦しさ、辛さを他人と比較するのが大嫌いです。
「あの人の方が可哀相だ、あんたの方が恵まれている」
私を何も考えのない能天気な馬鹿だと思っていた職場の人からそんな言葉を社会人1年生の頃に言われたことがあります。
その時は、私が甘ったれなのかなって悩み、私なりに1人アパートに帰った後も厨房で働いていたので、仕事で作ったメニューを繰り返し作って食べながら思いました。
私の生い立ちを知らず、知ろうともせずに、一方的に言うだけ言って、人の気持ちや考えを聞こうとしない人達。
仕事でその人達にとって望む結果を出さない限りは人間扱いをしない人達。
どんなに相手が恵まれていて幸せに見えたとしても、見せていない部分で語る事が出来ない部分で辛く、悲しく、傷ついて生きている人達がいる。
生きている限り、その悲しみや辛さ、傷の深さが違ったとしても、痛みを感じることなく生きてきた人は少ないと思います。
全くいないと書けないのは、最近になってそういう感情を持たない罪悪感を持たない人間サイコパスの存在を知ったからです。
ともかく、一部を除いて心のある人は辛さを経験しているはずです。
そして、それはその人が辛い、苦しい、悲しいと感じたのならば、それよりも酷いと思う人を持ち出して、その辛さや苦しさ、悲しさを否定してなかったことにするなんて出来ないし、それでその人の辛さや苦しさ、悲しさが消えてなくなる事なんて決してないんです。
どうして、その人の辛さや苦しさ、悲しさを軽視するのでしょう。他人の苦しみを比較する人は人の辛さを封じ込め、その人の感情を蔑ろにしている人間だと思います。
そんな人が辛さや苦しさ、悲しさを感じて訴えても、「あなたよりも不幸な人がいる」で終わります。それが、人の感情を封じ込めてきた人へのその人がしてきた事への返事です。
私は私で辛く悲しい経験をしてきて、私自身の生きる意味も生まれてきた事も否定してきましたが、辛く悲しい経験は私だけではないということ、それで安心したのではなくて、誰もが口には出さなくても、人生の中でやり切れない気持ちを抱えていることを、今回の閉鎖の原因となった事を通じて、私のブログに来てくださる人達の言葉から改めて知って、決して独りぼっちではない、生きている限りは互いの辛さや悲しさを尊重しながら、互いに救いあって生きる事の大切さを感じたのです。
私のブログに来てくださる方々が私のブログを楽しみにしてくださり、励まされていることを知って、私は大好きな『あばれはっちゃく』の事を書いて、好きな気持ちを語っているだけなのに、会ったことがない人達の気持ちを少しでも、和ませていることを知ると、この『柿の葉日記』が存在する意味もあったのかなって思います。
そんなに大層な意味を持つことがなくても、あってもいいんだと気持ちが少し軽くなりました。
こういう出会いや気づきが出来るのも、山中恒先生が『あばれはっちゃく』を書かれ、それを41年前にドラマ化してくださった鍛冶プロデューサーや作品にしてくれた脚本家、監督、スタッフ、出演してくれた俳優の方々のお陰だと感謝しています。『あばれはっちゃく』に関わった全ての皆さま、本当にありがとうございます。
ずっとずっと大好きです!!
「人の幸不幸は決して比べるものではない」
私はそう思います。いつも読んでくださる皆様、励ましの言葉をくれた皆様、いつもありがとうございます。