柿の葉日記

主にドラマ『あばれはっちゃく』について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

幸せは他人との比較で実感するのか

赤ひげ第7話『育ての親』感想

浪人沖田が風邪をひいた息子赤ん坊の鶴之助を小石川養生所につれてきたことから話が始まります。

沖田の妻は鶴之助を産んで間もなく亡くなり、1人で乳飲み子を育ててましたが、病気になるまでほっといては生活が出来ないと、沖田が仕える先を探して出世するまでは小石川養生所に預かっていて欲しいと手紙が届き、小石川養生所で預かる事になり、およねが鶴之助の世話をしていきます。

保本は、沖田の境遇を不憫に思いますが、その保本の心境を津川に指摘されます。

津川からの指摘で保本は自身の恵まれた環境に対して後ろめたさを心の中で感じる場面があるのですが、その時に保本の心の中の言葉を聞いて私が思ったことは、「幸せ」とは人との比較で成り立つのだろうか?ということでした。

「幸せ」は自分よりも不幸な人を見て感じる事なのだろうか?そう感じたのです。自分よりも恵まれている人がいてその人を見ると自分は不幸せに見えるだろうけども、自分よりも不幸な人を見れば、その人よりも「マシ」と感じて幸せになるのか?という疑問。自分よりも上の環境の人を見なければ「幸せ」になれるのだろうかと思うと、そうでもないような気がするのです。

人によって、幸せの形が違う。人の好みが千差万別のように、人が感じる幸せの在り方も千差万別のように思います。人にはそれぞれに価値観があり、人の考えや感じ方はひとそれぞれです。

それなのに、自分の考えや感じた事、学んできた事、体験こそが一番正しくて、他人のそれを否定して、自分の価値を押し付けて人の心を押さえつける人が、逆な事をされると自由の侵害だと反発したり、逆に押し殺して自分を見失う人がいるんじゃないかって思うのです。

鶴之助の父親が仕事先が見つかって暮らしが安定するまで小石川養成所に預けた時に、最初はおよねも田山も鶴之助は捨てられたと判断し、田山が番所に鶴之助を連れていこうとした時におよねは鶴之助の父親が迎えにくるからとそれを引き留めます。

ついさっきと言っていることが矛盾するおよねは、この後に鶴之助を迎えに来た父親に対して矛盾する言動をします。およねは、鶴之助の気持ちを代弁して鶴之助を捨てた父親に文句を言うのですが、まだ言葉を話せない鶴之助の気持ちは本当の鶴之助の気持ちではありません。これは、ずっと鶴之助の面倒を下の世話まで見ていたおよねが鶴之助を見ていて感じたおよねの感情です。

およねは自身の境遇と一時期でも父親に捨てられた鶴之助を重ねてみて、幼い時に親を亡くし、大人達に利用されてきたおよねの辛い気持ちを鶴之助の父親に鶴之助の気持ちだと言うことで、自分の過去の悲しく辛い気持ちを吐き出したように思えました。

私はおよねが鶴之助の面倒を見ている時に、優しく声をかけたお雪さんにお礼を言う場面や鶴之助が小石を飲み込んで赤ひげに診てもらって小石を取り出してもらった後に、目を離した隙に小石を飲み込ませたことを落ち込んでいたおよねをよくある事だと嘘を言って子育て経験のあるお常さんがさりげなく励ました場面が今回の話の中では、とても好きな場面でした。

人からいいように利用されて相手からも、人からも信頼されなかったおよねが鶴之助の世話だけでなく、この第1話からこの話の間までに、小石川養成所の人達から信頼され愛されてきたことが分かる場面で、鶴之助の思いにのせて自分の過去の悲しさを吐き出したおよねの心が癒されて、必要とされる人間だと感じられたことは、およねが「幸せ」を感じたことにならないかと思ったのです。

およねが赤ひげに諭されて、鶴之助を父親に返すことを決めた時に、鶴之助を寝かしつけながら、自分の身の上を鶴之助に語る場面で、およねの過去の傷、小石川養成所の人達の自分に対する温かく優しい対応がおよねを救っていたことが分かります。

いつのまにか、人を信じるようになったんだよ。 

 およねが信じたように鶴之助の父親が迎えに来てそれは嬉しいことなのに、およねが反発したのは、鶴之助との別れが淋しかったから。

およねが鶴之助の世話を続けることが幸せなのは、およねの一時期の幸せ。でも、それはおよねの自己満足。それが分かったから、およねは鶴之助を父親の沖田に返せたのだと思いました。

鶴之助の感じる思う「幸せ」はまだ本当に誰も知らない。鶴之助自身もまだそれを伝える術はない。でも、およねが思う鶴之助の幸せも、父親の沖田が思う鶴之助の幸せも、それは「およねの」であって、「沖田の」思う幸せであることを忘れてしまうと、他人の為と言いながら、自分の都合だけを他人に押し付けてしまう怖さを感じたのです。

最後に保本が自分が幸せである事の後ろめたさが、医師をしている理由だと言い、赤ひげに赤ひげはどうして医師をしているのか尋ねる場面があります。

保本が自分より不幸な人達に対する後ろめたさを解消する為に、医師として人を救うとするのならば、恵まれた境遇にいる保本は、幸せなのだろうか?と感じ、恵まれた環境にいる者はそういう後ろめたさ、申し訳なさを感じて生きなければいけないのか?それは、まるで罰ゲームのようで、心ある人だからこそ、そう感じるのならば、不幸を全て他人のせいにして、人が自分より良い生活をすることを阻害する人間はそんな痛みも後ろめたさも感じないのではないか。優しい人ほど「不幸」を感じるのは理不尽ではないかと思いました。

だからこそ、赤ひげは保本の生き方を「難儀な生き方」と言ったのでしょう。

赤ひげが医師として働くのは欲の為と言い、それは理不尽で苦しく生きる人達が笑って楽しく生きる風景を見たいという欲からという。

赤ひげの幸せは小石川養成所に来る人達が楽しく生活できる風景を見る事、その為に病人を診て病気や怪我を直す事が幸せならば、赤ひげは幸せな人で、救えなかった人がいる時は悲しく不幸な気持ちが襲うのだろうと思い、およねの母親を救えなかったのは赤ひげの心を深く傷つけたのだろうと感じました。

他人の不幸が自分の不幸と重なる時、人は人に対して共感して涙を流したり、腹が立ったりするのかなって、そんなことを感じた第7話でした。