柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

何百回裏切られようと

人は自分の事を一番に考えてしまう生き物だと私は思っていますが、時に大好きで大切な人の事を思って喧嘩をしたり、怒ったりする事の出来る生き物だとも思います。私は最近、ドラマだけでなく実生活を通してもそう感じる事が多くなってきました。今日の早朝に脚本家の市川森一さんがお亡くなりになりましたが、ツイッターではそれに対して多くの人達がそれぞれに思いを語っています。その中で市川さんのこんな言葉が紹介されていました。

「人間は本来それぞれがエゴイストで、自分のことしか考えていないはずです。ただ、そういうエゴイスティックな人間が、ほんの一瞬、人の幸せを考える瞬間がある。それを奇跡と言うんですが、これはおそらく猫にも犬にもない。それは人間だけだろうと思うと、その瞬間をドラマで描く。ほんの少し自分を犠牲にして相手の為に何かをしてやるとか、言葉を投げかけるというような、どんな人でもそんな瞬間がある。それこそが、僕には奇跡のように思えるんです」

この言葉は今回初めて知りましたが、今現在の自分の考えに似ているので少しびっくりしました。市川さんはウルトラマンシリーズの脚本家でもありましたが、知らず知らずのうちに子供の頃に見た作品の中で私の中に刷り込まれていたのかな?と考えたりしました。私はウルトラマンのなかでは「ウルトラマンA」が一番好きなんですが、その最終回のA(北斗)の言葉がとても印象的です。

「優しさを失わないでくれ弱い者をいたわり、互いに助け合い、どこの国の人達とも友達になろうとする気持ちを失わないでくれ。例えその気持ちが何百回裏切られようとそれが私の最後の願いだ」
特に「何百回裏切られようと」という言葉が重く深く響きます。何百回でなくても何度も裏切られて悲しくて悔しくなった事が今までに何度もあります。その中で優しさを見失わないのは大変な事なんだと何度も実感しました。裏切られる中で優しさを失わないというのは強さがなければ出来ない事なのだというのも知りました。優しい人は強い人なんだと私は考えます。

人が人を思いやる時に涙を流してしまうのは人の優しさや強さに触れ、心が震えるからではないでしょか?「気まぐれ本格派」や「俺はあばれはっちゃく」「ウルトラマンA」等にそうした人間ドラマがあるからこそ、今でも長く作品が愛されているのだろうなと思います。市川森一さんのご冥福を心よりお祈りします。