柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

世代間による温度差

私は、「ウルトラマン」「ウルトラセブン」「ウルトラマンA」等の自分が生まれる前のウルトラシリーズは再放送で間を置かずに続けて見ているので、同じ時代の作品として見てしまう感覚がある。また、その延長線上にある「ウルトラマン80」も私の中では同じ。(異質に感じるのは、唯一、アニメの「ザ・ウルトラマン」くらい。でも、異質に感じるだけで嫌いではなかった)

小さい頃に、お祖父ちゃんが買ってくれたウルトラ兄弟のお人形を持っていて、それで、ウルトラ兄弟を覚えていったので、当時は見ていなかった作品でも、例えば「ウルトラマンタロウ」や「ウルトラマンレオ」も私の中には馴染みがあって、それと人形だけではなくてカセットで歌も何度も聞いていて好きだった。

(人形には父もアストラも、タロウもいたのだけど、30年以上の間に引っ越しも多かったのもあったのか、今ではなくなってしまった)私の中では(人形は持ってなくても)ウルトラマンは「80」まで、同じ温度で見る事の出来る一連の作品だった。

だから、その後でそのシリーズが「セブン」と「A」で分断されている。というか、そういう意識がファンの間にある事を知った時はちょっとびっくりした。「セブン」までを第1世代、「A」以降を第2世代としていて、更に第1世代の人達から見ると、第2世代のウルトラマンシリーズはあまり好ましい物ではないという事も知ってショックだった。

私は同じ温度で見ていると言っても、そのシリーズの中で一番好きというか、夢中になって見てたのが、「ウルトラマンA」でその「A」以降から否定されているというのは、寂しかった。また、歌なら「ウルトラマンレオ」が好きで、最近になってDVD等を見て、「A」の次くらいには好きだったりするので、やはり寂しかった。

再放送で同じ時代に纏めて見ている者としては、何が違うのだろう?と感じたりもするのだが、これが別の長寿のシリーズ物でリアルタイムで追いかけていって、空白を持ってのシリーズ再開の物であれば、かつてのシリーズをみて育った子供だった私が自分が大人になって再会したシリーズの続編を見たら、第1世代のウルトラマンのファンと同じような憤りとか、がっかり感を持ってしまうかもしれない。と、感じた。
間を置かないシリーズ物だとしても、自分がそのシリーズから自然とフェードアウトしていって、ある日、ふと、そのシリーズの作品を見てしまった時に、「ああ、私が子供の頃の方が面白かった」という感想を抱いてしまった事はある。私の場合は戦隊物と水戸黄門がそうだった。

でも、子供の頃の私がそんな事を関係なく、面白いと思って作品を見ていたように、その時代のその作品の対象者の子供達は面白く見ていたのかもしれない。

でなければ、シリーズは続いていかない。私が友達とごっこ遊びをしていたように、街で子供が仮面ライダーのガチャガチャを見て喜んでいるのを見たり、はしゃいでいたりしているのを見ていると、この子たちの時代の「ウルトラマン」や「仮面ライダー」や戦隊ヒーロー達がいるんだなと思う。時代ごとに自分達のヒーローがいる。

それは、自分の時代とは違うもので、他の世代のヒーローにはなにか違和感を感じてしまうのは仕方がない事だけど、自分の時代のヒーローはやはり、他の世代に理解して欲しいとまでは最近では、昔ほど思わなくなったけれど、否定はして欲しくないと強く思うようになってしまった。

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