柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

家族なんだから

『気まぐれ本格派』(1977年~1978年)の袖子さんは事あるごとに「家族なんだから」「兄弟なんだから」という言葉を言っていた。普段、喧嘩をしていたり憎まれ口を言っていたりする小太郎や一貫、鳩子や霧子が元さんや一貫の行き過ぎた心配に腹を立てたりすると、「それだけ心配しているのよ」と言ってもいた。袖子さんは基本的に家族は助け合い、支えあって、皆で仲良く生きていくことが当たり前という考え方の持ち主だったと思う。

 どんなに喧嘩をしても、腹を立てても同じ屋根の下、家族が皆で仲良く暮らす事。それが当たり前というのは普通の考えだと思うけど、これが案外難しいと私は思ったりする。袖子さんがこれほどまでに家族に拘るのは新ちゃんの実の父親である今井さんに捨てられたからではないか?と私は思う。新ちゃんを妊娠して恋人だった今井さんに捨てられた時に袖子さんは絶望したのではないか。自分の家族が出来るどころか独りぼっちになって途方に暮れていたと思う。そこに、利昌さんが現れて袖子さんと結婚した。

 それから袖子さんは生まれた新ちゃんと利昌さんの家族、妹の霧子と弟の一貫と小太郎達と清水家で暮らしていく。一貫と小太郎はそれぞれに家を出ていったが、利昌さんの死をきっかけにまず一貫が清水家に戻り、小太郎もやがて戻ってくる。そこに北海道からきた袖子さんの実妹の楓さんが加わる。(霧子は高校を卒業すると清水家を離れて九州の叔父が運営する牧場に就職して出ていってしまうが)利昌さんと結婚しなかったら、袖子さんがこれだけ大勢の家族と一緒に暮らす事はなかっただろう。

 清水家は一貫や小太郎達のせいで常に騒がしく、賑やかだった。そこに昔馴染みのご近所の元さんと鳩子の親子、神社の若杉親子、涼子さん達が加わり更に賑やかで楽しかった。自分の周りに自分の事を思ってくれて考えてくれる人たちがいる。今井さんに捨てられて独りぼっちの孤独を味わったであろう袖子さんにとっては、こうした家族達から貰える孤独にならない温かさはかけがえのないものだったに違いない。だから、他の家族が別の家族を批判した時は普段穏やかだった袖子さんが激しく怒ったのだろう。

『すぐやる一家青春記』(1977年)でも最終回でお祖父ちゃんの儀平さんが家を売ろうとして、相馬家がバラバラになりそうになり、武志さんや智之がそれに対して抵抗するが、同じ屋根の下皆が一緒に仲良く暮らしていく最小規模の共同体として、人が戻ってこれる場所として家があり、そこが人にとっての全ての拠点として大事な場所なのだと教えてくれる。結局、相馬家の家は売られる事もなく、瞳と麗子さんも結婚後も相馬家で暮らしていく事になり、お隣の紀子さん親子ともご近所のままでいられる。

 家族が皆仲良く、支えあって生きる事。当たり前というには簡単な事ではないけれどこうした安心する場所のある人間は強くなれるのだろうなと思う。例え、一時は一人暮らしをしていたとしても帰れる場所がある人は幸せだし、やがて独立してその共同体から離れてもまた新しく今度は自分が中心となった新たな共同体を生み出していくのだと思う。家族や苦楽を共にする仲間はお金では買えない掛け替えのない大切なもの。その信頼や絆は簡単に作れないから大切に育てて大事にしないといけないのだと思う。自分が寂しくならないように。