柿の葉日記

主にドラマ『あばれはっちゃく』について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

あの時代か現代か?

あばれはっちゃく』はドラマ化されるにあたり多少の設定変更がされている。原作とドラマの設定の違い(ドラマを見て分かる設定4) - 柿の葉日記初代「俺はあばれはっちゃく」から見ても原作の発表は9年前で、原作に書かれていた時代の文化や風俗と少しズレがあり、ドラマの時代である1979年に合わせたものになっている。

 初代第1話でヒトミちゃんが持ってきたサインボールのサインは原作では(過去に何度か書いたように勇敢なヒトミちゃん - 柿の葉日記)原作が発表された1970年に人気のあったバレーボールドラマに出演していた役者のサインだったが、ドラマでは三浦友和さんのサインに変わっている。初代の話の中には原作にあるエピソードを元にした話も多いが、そのままドラマにはしていない。原作の主旨を外さない - 柿の葉日記登場人物も原作に出てくる人物が殆どだが、性格や設定が変わっていたり、全く登場しない人物もいる。また、シリーズが進むとドラマのオリジナル人物が多数を占めていく。長太郎と父ちゃん、母ちゃん以外はドラマのオリジナル登場人物達だ。桜間家ではてるほは初代には登場してきたが、2代目からはてるほの立場は「兄」に置き換わっている。5代目に兄から姉に戻ったようだが、名前はてるほではなかった。

あばれはっちゃく』のドラマはその時の時代に合わせ、またドラマにしやすいように登場人物を整理し、性格や設定を少し変えていた。だから、原作と同じタイトルで同じ桜間長太郎という小学生の物語ではあったけど、それぞれに別の独立した作品のように見える。それぞれがそれぞれの魅力を持っていてそれぞれに面白い。また、それぞれの時代を映しているから当時何が流行っていたのかというのが分かるし、その時代を知る者には懐かしさを感じさせる。

 例えばリメイクという考えではなくて同じ原作を元にしたドラマとして、今『あばれはっちゃく』をドラマ化したら、原作の時代設定でドラマ化するのか?それとも現代の時代の設定でドラマ化するのかで変わってくると思う。今の時代で長太郎のようなガキ大将をどう描くのか?かつて『あばれはっちゃく』を見ていた私達世代が知る長太郎をこの時代で表わす事が出来るのだろうか?今の時代の長太郎を見ても私なんかは違和感を感じるだろうが、この時代の子供達が見たらかつて子供だった私が好きになったように好きになる子供もいるかもしれない。

 よく、今の作品は自分達が子どもの時に比べて面白くないという人がいる。私も今の作品を見て物足りなさを感じる事もある。だが、考えてみれば当時見ていた作品は当時子どもだった私を対象に考えて作られた作品なのだから、当時の自分に合っていたといえる。今の作品は今の子どもに合わせているのだから既に子どもではない私に合わないのは当たり前だ。私も子どもの頃に自分の時代の漫画や特撮、アニメやドラマや歌を上の世代にけなされた時は悲しかった。上の世代や下の世代が何と言おうが、私は自分が子どもの頃に触れた文化は良かったものだと思っている。時にはリアルタイムで触れなくてもいいと思う作品はいくらでもある。それが前だろうと後だろうと。自身の反省も含めて自分達の時代が一番という思い入れと思い出は大切だが、違う世代の大切にしている文化をけなすのは止めようと思った。

 話は『あばれはっちゃく』に戻るが、『あばれはっちゃく』を望む多くの人の事を考えると舞台を現代にするよりは原作の時代設定にした方が無難かなと思う。しかし、その殆どは『俺はあばれはっちゃく』から始まるドラマシリーズのイメージが強くあるのではないか。前に書いたように時代背景だけでなく、登場人物の性格も設定も原作とドラマではかなり違う。印象の違う3人 - 柿の葉日記特に初代は原作の登場人物やエピソードが多いので、初代のドラマファン程、原作に忠実なドラマを見たら拒絶反応を起こすかもしれない。それでも、もし6代目の長太郎が誕生するのなら一度は原作に忠実な『あばれはっちゃく』のドラマで見てみたいと思う。