柿の葉日記

主にドラマ『あばれはっちゃく』について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

本気で打ち込んだ人だけが流せる涙

 吉田友紀さんが長太郎を演じていてた時は本人は中学生。吉田さんに限らず子役が実年齢より下の役を演じるのは珍しい事ではない。それが、当たり前な世界であるわけだけど、それでもなんというか凄いと考えてしまう。以前の日記にも書いたが、2代目を見てた時に妹が栗又さんの声を聞いて「初代よりも子供らしい」と言ったが、当時、本当に小学生だった栗又さんと作品の後半には既に声変わりをしていた中学生の吉田さんを比較すれば、吉田さんが子供らしさ(小学生らしさ)で劣ってしまうのは仕方がない事だと思う。

 本人でも止められる事の出来ない成長による大人への変化はどうしようもない。他の代と違ってドラマの中の長太郎が5年生のままでありながら、演じる役者だけが年をとる。アニメならば普通の事でも、実写のドラマでこれは残酷な話だ。主役だけでなく周りの共演者も同じように年をとるので、違和感を感じにくいが自分が小学生を演じていくのが無理になっていくのを日々感じながら、小学生を演じなければいけない、というのはどんな気持ちだったのだろう。そして、その無理を抱えながら作品の人気が出て当初の予定よりも長く続き、それでも演じ続けていく。

 しかし、やがてその無理も限界に来て新しい主役候補をスタッフが探し始める。どんな気持ちだったのだろう。私だったら嫌だなと思ってしまう。
第49話で後に2代目になる栗又さんがゲスト出演してくるが、この時、その栗又さんが演じる五郎と長太郎がクラスメイト達から比較される。

小百合:「力もあるし、喧嘩も強そうじゃない」
ヒトミ:「顔もまあまあ」
恵 子:「我らがはっちゃくも形無しってとこね」
明 子:「ほんと、メロメロだったものね。あの力にはかなわないんじゃない?」

 この時、長太郎は寂しそうな顔をする。勿論、演技だと思うが本当に演技だけなのだろうか…と思ったりもする。これは今の私が吉田さんに肩入れ過ぎて思う穿ち過ぎな考えだと思うが、なんとなくそう感じてしまう。この時期になると吉田さんの降板は決まっている。番組は人気があるから続いていく。主役の吉田さんがいなくなっても作品は続いていく。オファーを受けての初めての主役。視聴率を気にしながら、原作を読んで自分の演じる役を自分なりに考えて演じてきて、その結果人気番組になった。でも、既に見た目も小学生でなくなった吉田さんは作品的にはお払い箱になった。

 作品は主役だけで出来るものではない。だが、主役であった吉田さんの頑張りが作品の人気に繋がっていたのは確かだったと思う。それが、君がいなくても作品は続けられると突きつけられた時の13歳の少年の気持ちはどんな気持ちだったのだろう。吉田さんは最終回の撮影の時の事をこう語っている。

「本番テストの前に『もう終わるんだな』って思ったらボロ泣きしちゃって…泣くシーンじゃないし泣くつもりもなかったんだけど、涙がとまらなくなったのを覚えています」

 本当に一生懸命に何かに打ち込んだ人はその思いの重さ、深さ、真剣さ故に涙を流せるんだなと思う。
初代の人気を受けてそれを引き継いだ2代目の栗又さんもまた相当なプレッシャーがあったのだろうか?代替わりすれば前作品に思い入れの深いファンほど次の作品に対して厳しくなったりする。代わられる方も代わる方も多少なりとも心に重荷を背負ったりしなかっただろうか…。仕事として割り切って受け入れるにはかなりなものがあったのではないか…と、無関係な私が遠く離れた所で考える。大人の都合で使われてきた子役たち。

 私はフィギュアスケートが好きで良く見るが華やかな演技の向こうで彼らの激しい練習を知って大会を見ると、どの選手にもよい結果が出て欲しいと思う。今年のバンクーバーで真央ちゃんが銀メダルになって泣いた姿を見た時、私はテレビや雑誌で真央ちゃんの努力を見ていたから、才能だけでなくそれ以上の努力をして、ルールが自分に不利になっても泣きごとを言わず、懸命に人一倍練習をしてきた真央ちゃんを知っていたから、あの涙を見た時に泣いてしまった。

 全身全霊を込めて一途に真剣に物事に取り組んだ人だけが出せる涙。この涙は誰にでも出せるものではない。その涙を流せる人がとても羨ましい。