柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

今も心にいるのですね

「貴方の愛したその人は今も心にいるのですね」

『気まぐれ本格派』の主題歌の一節。私はこの歌詞が好きです。ダ・カーポの優しい歌声とメロディーが心に沁み込んできます。

 この主題歌は登場人物たちの心を歌った歌だと思いますが、私は特に一貫が袖子さんを見守る気持ちを歌っているように感じました。一貫は交通事故で兄の利昌さんが死んで元さんに話を聞くまで袖子さんが利昌さんと結婚した事を不思議に思っていましたが、袖子さんと利昌さんが結婚した経緯を知って袖子さんを守る為に実家の貸衣装屋に戻ってきます。

 一貫は袖子さんの心には死んでも兄の利昌さんがいると分かっていながらも、放っておけず、また甥っ子の新ちゃんの事も心配で戻ってきますが、弟の小太郎や義妹の楓さんにはいやらしい目で見られてしまいます。一貫がそれに怒るのはそうした小太郎や楓さんが思うような感情を多少自分が持っているのは確かだけど、それよりも尊く大事にしたい気持ちがあって、それをいやらしい気持ちで見られてしまう事に対して腹が立ったのだと思うのです。

「貴方の愛したその人は今も心にいるのですね」

 これは一貫だけではなく、やがて一貫の心が袖子さんにあると知りながら好きになってしまう楓さんの気持ちや、そんな楓さんを好きになっていく小太郎の気持ち、自分に関心がないと知りながら楓さんを好きになった道夫の気持ち、それぞれに思う人への問い掛けにもなっているのかもしれません。

 自分の好きな人の心が自分にないと知りながら思うのは切ない事です。それでも、その人の幸せを願ってしまう。その気持ちがありながら、自分を見て欲しいという我儘も持ってしまう。優しくて残酷な気持ちを両方持ってしまうのが人なのでしょうか?
 
 恋愛とは少し違うのですが、第13話で新ちゃんが一貫に言う台詞も一貫に傍にいて欲しいと思いながら、一貫が好きなものがあるなら寂しいさを我慢しなくてはいけないと思う言葉でなんだか切ないです。

「やっぱり行っちゃうんだ」
「何処へ?」
「叔父ちゃん、海が忘れられないんだね」
「いや、そんな事はないよ」
「お母さん、結婚してもさ、僕はここに居ようと思うんだ。叔父ちゃんと一緒に」
「新太」
「でも、叔父ちゃんが船乗りになるなら駄目だよね」
「おい、新太、ちょっと待てよ。そんな事はない。それにな、お母さんちょっと用があって神社のおじさんと一緒に行ったんだよ。別に小太郎の言う事なんて、馬鹿だなお前」
「その事なら大丈夫だよ。心配しないで。お母さんがいいんなら僕もいいんだ。ただ、叔父ちゃんと一緒にいられないのがつまらないなと思って」

 そう言っていた新ちゃんが第31話で海に戻ろうとする一貫を泣いて引き止める姿はなんとも言えません。自分のところに心がない。自分のところに心を置いて欲しい。それでも、「貴方が愛したその人は今も心にいるのですね」と思ってしまうのは、少し諦めに似た寂しさも感じます。

 その後に続く「肩から寂しさこぼれている」の歌詞は好きな人が好きな事を諦めて自分の傍にいるのを見ていて、その人の寂しさを感じ取る時、その人にとって一番好きな事をさせてあげる為に別れを決意する。自分よりも好きな人の幸せを願う。そこに別れが出来てしまうけれどその人が残したものを大事にして送り出していく。そんな相手を思いやる心が歌に込められているようで、作品の内容と合わせて私はダ・カーポの歌う『気まぐれ本格派』の主題歌『夕凪のふたり』が好きだったりします。