柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

誕生日

 今日は吉田友紀さんの誕生日です。吉田友紀さんは3歳の時に劇団日本児童に入り、1971年『愛の炎』でデビューされました。来年でデビューから丁度40年になります。

 私が去年から吉田さんが出演されたドラマをDVDやCS等で見ていると母も時々覗きこんで、「懐かしい」と言って少しだけ見ていたりしました。そんな母が「あばれはっちゃくの子は今何歳なの?」と聞いてきたので、「どの長太郎の事?」と聞き返すと、「一番最初の子」と言ってきたので、去年の時点で「43歳」と答えると「え!もう、そんな年なの!」と驚いてました。

 当時幼稚園生だった私が既に30をとうに超えていて、その時小学5年生だった(ドラマの設定上で)吉田さんが更に上というのは考えてみると至極当然な事なのですが、母にとっては子供のイメージが強く残っていた為に驚いたのだと思います。そんな母でしたが『サイバーコップ』(1988年)を見ていた時に吉田さんを見て一発で「この子、はっちゃくの子でしょ」と見抜いてました。吉田さん自身のお顔が子役時代からあまり変わられていないというのもありますが、それでもすぐに分かるのかとびっくりしてしまいました。

 母も子供の私と一緒に『俺はあばれはっちゃく』(1979年)をいつも見ていたので当然「あばれはっちゃく」は知っていて覚えているんですね。母にとって一番印象に残っているのが吉田さんが演じた長太郎。「やっぱり、はっちゃくというとこの子だよね」と言います。「この子が一番はっちゃくらしい」とも言っていました。

 「はっちゃくらしい」今でこそこの言葉は「あばれはっちゃく」を知っている世代の人なら説明不要の言葉ですが、当時テレビドラマが始まった頃は、何がどう「はっちゃくらしい」か分からなかったと思います。「あばれはっちゃく」という聞きなれない言葉は、原作者の山中先生の故郷の方言でそれも山中先生の知り合いのおばさんが使っていた古い言葉です。

 それがドラマが始まってその中で「あばれはっちゃく」と呼ばれる子がどういう子なのか?というのが分かっていきます。そのドラマの中で「あばれはっちゃく・長太郎」を最初に演じて「はっちゃく」のイメージ、ベースを作り上げたのが吉田友紀さんです。後に「はっちゃくらしさ」と呼ばれるものを吉田さんが作りあげたのですから、その吉田さんの長太郎が一番はっちゃくらしいのは当たり前かなと思ったりします。

 この吉田さんが作り上げた長太郎が基本になって、歴代の長太郎役の人達の個性も加わってその後の4人の長太郎が生まれてきたのだから、2代目以降の長太郎役の人達がはっちゃくらしいかと見る時にどうしたって初代を基準に見てしまうのは当然で、特に母のように大人になって見ていた人は幼い子供の私よりもそれが強かったのだと思います。(初代を知らずにその人にとっての初めての長太郎が2代目、3代目、4代目だったらその長太郎が基本になると思いますが、演じていた方もやはり基本となった初代を少なからず意識していたのではないでしょうか?)

 吉田さんは当時演技をする上でどう取り組んだかについてDVDBOX2の解説書のインタビューでこのように語っています。

「明確に意識して演技していたわけではないのですが、山中先生の原作を読んで、自分なりに勉強しました」

 原作と少し内容の違うドラマの中で先例のない長太郎をどう演じるか、原作を読みながら当時小学6年生だった吉田友紀さんが考えていたのかと思うと、それが仕事だから当たり前なのかもしれませんが、改めて凄いなと思ったりしました。

 そんな吉田友紀さんも今日で44歳。月日の経つ事のなんと早い事か。8月4日の誕生花は「柳唐綿」花言葉は「信頼」だそうです。誕生花、花言葉について詳しい事はこちらにあります。http://ffj.jp/hana/s0804.htmここで紹介されている有名人のリストに吉田さんの名前があるのが嬉しかったりします。(「すぐやる一家青春記」で共演した高岡健二さん(瞳役)も同じ誕生日で同じリストに載ってます)

 吉田友紀さん、改めてお誕生日おめでとうございます。