柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

未来の象徴

 『すぐやる一家青春記』や『気まぐれ本格派』の智や新ちゃんを見ていると大人から見て子供と言うのはこれからの可能性を秘めた希望や未来の象徴のような気がする。これから、無限の可能性を秘めていて、大人たちの鬱々とした気持ちを晴らしてくれるような存在。

 『すぐやる一家青春記』の武志さんが智を「末恐ろしいというよりも末頼もしい」と評したり、お祖父ちゃんが「智、お前だけが頼りの綱だ」と言っていたり、『気まぐれ本格派』で一貫が新ちゃんを「キラキラと光る希望の星なんだよ」と言ってたりするのを見るとそう思う。

 実は子供だって大人が思っている程単純ではなくて、小学生にもなると子供の世界の中でのしがらみや悩み、苦しみや後悔を背負っているものだが(これは自分の経験上から)大人になるとまだこの時点ならいくらでもやり直せるという気持ちを持ってしまうし、大人ほど悩みがないと感じてしまう。これは自分が大人になってそう考えるようになったから、この気持ちもよく分かる。

 大人がいろんな事情に振り回されていくのを智や新ちゃんは、一歩引いた立場で見ていたりするが(時には自分が騒動の中心になったりして、心が振り回された回もあったが、智の場合は由香ちゃんとデパートではぐれた時、新ちゃんはすみれ先生が登場した時とか自分の出生を知った時)子供だった二人は大人たちが繰り広げる人間関係の外でそれを良く見ていて、実は大人たちよりも達観していたのではないかと思う。

『気まぐれ本格派』で小太郎が新ちゃんに一貫や楓さん、涼子さんの事を聞いたが、新ちゃんは「僕ね、そうした大人の恋愛事情に興味はないの」と答えていたり、智も兄達2人を「みっともないよ。いい年してさ!」と言っていたりするのを見るとそう思う。

 実は大人よりも子供の方がそうした勘などが鋭いのではないか。
 
 智が由香ちゃんと別れる場面を見た麗子さんが「いいなぁ。子供って」と呟くが、それは子供である智が変なプライドを持たずに素直に行動する姿をみてそう感じたのだろう。麗子さんは変に意地を張って瞳との仲が悪くなっていた時だった。その麗子さんの言葉を聞いてお千代さんが「何、年寄り臭い事言ってんの」と言うが、麗子さんから見て智がまだ無限の可能性を秘めている子供なら、お千代さんから見たら麗子さんはまだこれからの若者に見えたのだろう。

 年をとったものにとって、それより若い世代というのはいつまでも可能性を秘めている存在に見えるのかもしれない。そして、そうした時代というのは大抵の人が一度は経験するものであり、未来への可能性は誰にでもあるのだと思う。

脇で見ていた子供が本流になり、今度は自分たちが悩んだり、みっともなくなったりして話の主役になっていく時がきっと来て、智も新ちゃんも兄や叔父達のように悩んだり、みっともなかったりすることが出てくるんだろうなぁと思った。あれから、32年以上経って智と新ちゃんはどんな人生を歩んだのだろう。