柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

理想の長太郎

 4代目の最終回をYoutubeで見て、初代の最終回を思い出し、主人公の長太郎とヒロイン(ヒトミちゃんとまゆみちゃん)の立場が逆転しているという感想を持ちました。

 ヒロインが転校してしまうという展開は初代と同じですが、ここからの行動が初代と4代目で違います。4代目も一時はまゆみちゃんの転校を阻止しようと動いたり、初代のように自分もヒロインの転校先へ行こうと思ったりするのですが、やがて転校という別れを受け入れます。そして尚も転校に抗議して家出をしてきたまゆみちゃんを叩いて説得させています。

 初代の場合はヒトミちゃんが別れを受け入れ、長太郎がそれに抵抗しヒトミちゃんに叩かれています。
3代目も最終回で親友のみのるが転校して別れを経験しますが、この時も最初はみのると共に転校に抗議をするものの結局長太郎がみのるを説得して別れを受け入れるという展開なっていて、4代目はこの別れ方を受けついだような気がします。

 ヒトミちゃんの転校を阻止しようとした長太郎にヒトミちゃんが言った言葉は、長太郎にそうあって欲しいという願望だったと思います。

「見損なったわ、私。長太郎君ってそんな人だったの。私、長太郎君なら笑ってさよなら言ってくれると思ったのに」

 だから、3代目と4代目の長太郎達が取った行動は、まさにヒトミちゃんが思い浮かべた理想の長太郎の行動だったのかもしれません。
初代の長太郎はヒトミちゃんの言葉に納得がいかない様子でした。
長太郎としてみれば現実の自分とヒトミちゃんの言う自分と少し違うという違和感を持ったのかもしれません。

第33話の佐々木先生もそうですが、ヒトミちゃんも長太郎にある種の理想を持っていて、その理想に長太郎をあてはめていたのかもしれません。長太郎だったらきっとこうしてくれるだろう、こう行動してくれるだろう、長太郎君だったら…という。

見ていた視聴者も段々と「長太郎だったら……きっと」という思いを描いてみるようになってきたのではないでしょうか?2代目以降の長太郎の正義の面を(自分から意地悪をけしかけない)強く打ち出されてきたのも(少なくとも私はそう感じた)、こうした見ている側の理想が影響してきたのかもしれません。全て憶測に過ぎませんが、少なくとも私はそう思います。