柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

代替り

 『あばれはっちゃくシリーズ』は代ごとにレギュラー子役を変えてシリーズが続いた。私は自分が見ていた4代目までそれ程抵抗なく次のはっちゃく達を受け入れていた。だが、6年半も続くと自分の世代のシリーズというものが出来ると思う。(私の場合は見ていた代までは多少の誤差はあれど許容範囲だったのだろう)

 『あばれはっちゃく』と同時期に見ていた児童ドラマで好きだったのが『ケンちゃんチャコちゃん』だった。この作品は『ケンちゃん』シリーズとして人気のあったシリーズだそうだが、私はこの1作品しか知らないし見た事がない。『ケンちゃん』シリーズも元をただすと『チャコちゃん』シリーズだったそうで、ケンちゃんの妹のチャコちゃんが最初はケンちゃんのお姉さんというのを子供の頃母から聞いてびっくりした事があった。

 『ケンちゃんシリーズ』は既に私が子供の頃に『懐かしの』とか『あの人は今』みたいな番組で良く取り上げていて、私は自分の知っているケンちゃんが見られるのだと楽しみにしていたのだが、扱われたり出てきたりするのは私の知らないケンちゃんでその度に「違う!ケンちゃんじゃない!」とがっかりしていた。後で分かった事だが、それは初代ケンちゃんと呼ばれる宮脇康之さんという人で、私の知っているケンちゃんは2代目の岡浩也さんという人だったそうだ。初代に思い入れのある人には懐かしかったかもしれないが、2代目世代の私にとっては毎回がっかりさせられた。今、思うと失礼な感情だと思うのだが、子供というのは残酷なものだ。(それとも私だけ?)

あばれはっちゃく』もまた代替りして続いたシリーズだ。だから、これと同じ気持ちを味わった人が少なからずいるのではないだろうか。私のように抵抗なく見て来た人でも、やはり思い入れの深いシリーズがあったはずで、この代も好きだけど自分の一番好きな代を見たいなと思った人もいるのではないか?代替りして続いていく作品は同じ作品のファンでも、やはり代ごとに温度差があるのは仕方がないと思う。また、演じる方も常に先代と比較されるので、多少なりともプレッシャーを感じるのではないか。視聴者は時に残酷で比較して切り捨てる事だってあるからだ。

 代替りして比較される2代目以降も大変だが、シリーズが進むごとに忘れられ、また知らないという世代が出てくる初代もまた寂しいのではないだろうか。自分達も確かにその作品に出ていたのに、違うと思われる寂しさ。『あばれはっちゃく』シリーズは、父ちゃん役の東野英心さんと母ちゃん役の久里千春さん、先生役の山内賢さん以外の役者は、常に比較され続けてきた訳で大変だったのだろうなと思う。もっとも、それは想像にすぎないが。