柿の葉日記

主にドラマ『あばれはっちゃく』について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

抵抗はないの?

 ドラマには悪役と善役がある。それは子役の場合でもそうだと思うが、私は子役の人が悪役(例えばいじめ役)をやる時に精神的な抵抗がないのかなぁって考える。中には悪役の方が役作りが出来て楽しいとか、日ごろのストレスを解消できるとか思う人もいるかもしれないが、いくら役の上とはいえ仕事とはいえ、酷い言葉を人に浴びせ、酷い事をするというのは嫌だなと思う人だっているかもしれない。

 台本を読んだ時点で自分の役ってこんな酷い事をするのかって抵抗を感じないのかなぁ。その後出演者同士でフォローしあったとしても、子役が職場から離れた時にそうした世界を知らない子役が現実に通う学校の芸能人じゃない一般の生徒がドラマ(特撮も含む)を見て、あいつはひどいいじめっ子だ。と逆にいじめられないかしらと不安になる。

割り切って区別している人もいるだろうが、果たしてそういう人ばかりだろうか?

 そうした暴力やいじめに嫌悪感や抵抗を抱きながらも仕事として、作品をつくるパーツとしていじめ役を演じるって精神的に負担じゃないか?見ているだけでも辛いのに、演じている方はどうなんだろう。まして、まだ幼い子役、思春期の多感な時期の子役だったら…って考える。

 当事者じゃないから答えは出ないし想像だけの心配しかできないけれど、こうした精神的ストレスってあるんだろうと思うんだ。

 それは、悪役だけでなくて善役にも。人間だから未熟な所や不完全な所はあるはず。まして、成長途中の子供なら尚更。でも、ドラマで善役をやると普段もそういう立派な人間だと思われて少しでもそうした期待から外れた事をすると勝手に失望すると思うし、自分もそうした所があった。余程、非人道的(例えば人殺しとか)ならともかく、ちょっとした不機嫌な態度とかとっただけでも非難されたら息苦しくなるのではないかと心配する。大人なら整理できる事でも子供だったら戸惑うことも多くなるのではないだろうか?役と役者を切り離して受け止めるって実はとても難しいと思う。

 そんな事を作品の内容とは別に『帰ってきたウルトラマン』(1971年)の「怪獣使いと少年」の話等のように、子役がいじめ役、いじめられる役を演じる話を見て考えてしまった。「怪獣使いと少年」程酷くはないけど『あばれはっちゃく』にもいじめ役、いじめら役というのはあって、ここでも同じように考えてしまった。勿論、この2作品に限らない。対象作品はいくらでもある。

だから、といってそうした作品を否定しようとは思わないが、子役の心理的フォローは大切だと私は思う。