柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

閉じられた空間 結末のない話(ドラマを見て分かる設定2)

 『俺はあばれはっちゃく』は季節の変化があるのだが、登場人物の年齢が固定化されている。実写ドラマの為役者は年を取ってくるのだが。ドラマは1979年2月3日から放送が始まりこの時点では、ドラマと現実の月日の流れは同じであり、長太郎の通う学校の黒板をみると現実に対応した日付が書かれている。この時点で長太郎は小学5年生である。
当然、4月からは6年生になるはずなのだが、彼は最終回まで5年生のままだった。勿論、クラスメートも全員である。現実との月日とのズレが生まれてくると、黒板の当日の日付も第13話は空欄になっている。4月に6年生になっていない時点でズレがでてくるのだが、第13話は空欄だったが、第15話の5月の段階でも黒板の日付はある。

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右第2話、左第5話
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左第10話、右第13話
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左第15話、右第17話

 彼らの時間がループしていると実感するのが、第1話と第37話である。第1話でヒトミちゃんが国語の教科書を朗読する場面があるが、37話において正彦が全く同じ文章を朗読している。第1話の放送が2月3日、37話の放送が10月27日である。余程授業が遅いクラスなのか、はたまた時のループに嵌り込み彼らはまた同じ授業内容を本人たちが気付かない間に受けているのか。
ただ一つ違うのは正彦の存在である。彼は2話から転校してくる人物で1話ではまだ登場してこない。彼の存在が世界をそれ以前とそれ以後で少し異質にさせている。ちなみにヒトミちゃんと正彦は同じ部分を読んでいるが、正彦は少しだけその先を読んでいる。だが、それはほんの少しである。話は長太郎が続きを読むようになっていたりするのだが、続きを読むことはなく話の結末を視聴者が知ることはできないのである。