柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

『あばれはっちゃく』に登場したポケットベル(ドラマを見て分かる設定133)

ポケベル

今から5年前の2019年9月末で終了したポケベル。私がポケベルの存在を知ったのは高校生の頃の1990年代。当時は携帯電話もまだまだ一般的ではなく、スマホも存在していなかった時代。そんな時代に登場した文字入力ではなくて、数字でメッセージを伝えるポケベル。このポケベルの歴史を調べてみると、NTTのサイトで1958年にアメリカでサービスが始まり、その10年後の1968年に日本でサービスがあったと紹介されていました。

それを知って私が思っていたよりも、ポケベルの歴史は古かったんだと驚きました。なぜ、今になってポケベルの歴史を調べてみたかというと、『痛快あばれはっちゃく』を見ていた時に7話でポケベルが登場してきたからです。『痛快あばれはっちゃく』7話の放送日は1983年5月14日。高校時代にポケベルの存在を認識した私には、こんな古い時代からポケベルってあったっけ?と驚いて調べてみたわけです。すると、私が思っていたよりも、ずっと歴史が古いことが分かりました。

調べてみると、ドラマで登場したポケベルは1972年に発売されたポケベルA型であることが分かりました。4代目『痛快あばれはっちゃく』の長太郎達は1972年度生まれですから、下記引用画像で長太郎が持っているポケベルは長太郎と同い年になるんですね。(ただし、4代目長太郎は4月1日の早生まれですから、厳密にいえば1歳年下になりますが)

このポケベルはマヤのお父さんの持ち物。配達の仕事でマヤのお母さんからの連絡用に使われていました。今なら、スマホで簡単に連絡が取れる時代なので、40代以下の人達には不思議な場面に見えると思いますが、高校生になってからポケベルの存在を知った私はこんな昔からポケベルがあったんだと驚きました。当時、リアルタイムで視聴していたのですが、自分自身の生活空間に存在しない小道具に関しては特に大きな印象として残らなかったんでしょうね。だから、DVDで見返して驚いてしまいました。

『痛快あばれはっちゃく』7話より

セリフはないけど名前がわかるモブの女の子

『痛快あばれはっちゃく』7話を見ていて気付いたことは、セリフがなくちょっと出てきただけの女の子だけど、名前が分かる女の子がいたこと。長太郎がマヤのお父さんと配達をしていた時に公園でちょっと長太郎が公園にいる子達と遊ぶ場面があるのですが、そこに自転車があって、その自転車に女の子の名前がかいてあるんです。それで、その場面にいる女の子が一人だけなので、必然的に自転車に書いてあるのは、その女の子の名前じゃないかなって推測することが出来ました。でも、あくまでも推測なんですけどね。もしかしたら、男の子の誰かの名前という可能性もあるかも。

『痛快あばれはっちゃく』7話より

7話で登場した伏線

それから7話を見ていて気付いた伏線。それが長太郎との交流をきっかけとして、マヤの両親がもう一人子どもが欲しい、今度は男の子が欲しいねって話しているんです。これ、その時はそんなに気にならない会話なんですが、『痛快あばれはっちゃく』を2年見ていくと、58話(1984年5月14日放送)でマヤのお母さんの妊娠が分かって、83話(1984年12月8日放送)でマヤの弟のシンタロウ君を出産しているんですよね。マヤの弟が誕生する伏線がこの7話で登場していて、ちゃんと最終回までに回収されていたんです。いやあ、びっくり。

kakinoha.hatenadiary.com

桜間家の父ちゃんは2代目以降男兄弟になってからは、「女の子がいればなあって」よく言っていたし、長太郎も妹が欲しいと言ってはいたんですが(姉がいる初代の長太郎も)桜間家には新しい家族は増えなかったですね。

2話に登場した週刊少年マガジン

最後は7話の話題から外れますが、同じく『痛快あばれはっちゃく』からの話題です。今回の話は2話。この2話で一平さんが会社で読んでいる漫画雑誌(会社で漫画を読んでいていいの)が『釣りキチ三平』が表紙の『週刊少年マガジン』1980年45号です。画像の中に説明を書きましたが、2話の放送日が1983年4月9日なので、放送の3年前の『週刊少年マガジン』が小道具として使われていたことになります。

週刊少年マガジン』は私の亡父が創刊号から愛読していた雑誌なので幼少時代から馴染みがあり、とても懐かしい少年誌です。

『痛快あばれはっちゃく』2話より

 

『あばれはっちゃく』に出演した・していた戦隊ヒーロー

戦隊ヒーロー

以前、コメントで万江仁士さんが教えてくれましたが、『男!あばれはっちゃく』84話に『バトルフィーバーJ』(1979年2月3日〜1980年1月26日)でバトルフランスを演じた倉地雄平さんが出演していました。『あばれはっちゃく』を見ていくと気づくと思うのですが、東映の戦隊ヒーローだけでなく、『ウルトラマン』シリーズの科特隊やZAT、MATの隊員や関係者を演じた人達も『あばれはっちゃく』には多数出演しています。

それから戦隊ヒーローでも敵幹部とか、ちゃんと調べていくと『仮面ライダー』シリーズに出演した人達もいるかもしれない……。それは、まあ、追々、暇になって気づいた時に紹介するかもしれません。

ウルトラマン』シリーズの方だけ私が把握している限りで先に紹介しておくと、ZATの荒垣副隊長を演じた東野英心さん、二谷副隊長を演じた三谷昇さん、北島隊員を演じた津村隆さん、MATの岸田隊員を演じた西田健さん、科特隊のハヤタ隊員を演じた黒部進さん、『帰ってきたウルトラマン』(1971年4月2日~1972年3月31日・TBS)で坂田健さんを演じた岸田森さん、『ウルトラマンダイナ』(1997年9月6日~1998年8月29日・TBS)39話(1998年6月6日放送)でTPC警備局直属秘密部隊ブラックバスター隊員フドウケンジを演じた吉田友紀さんと多数存在しています。

戦隊ヒーローに話を戻すと、教えてもらった倉持さん以外にも『あばれはっちゃく』に出演していた戦隊ヒーローがいて、まだ調査中なんですが、今回は現時点(2024年2月4日)で私が把握している『あばれはっちゃく』シリーズに出演した戦隊ヒーローのメンバーとその仲間の人達を紹介します。

バトルフランス

まず、最初に紹介するのは教えてもらった『バトルフィーバーJ』(1979年2月3日〜1980年1月26日)でバトルフランス志田京介を演じた倉持雄平さん。

倉持さんは『男!あばれはっちゃく』84話に出演し、長谷川建設大臣の秘書役、スダススム役を演じました。倉持さんの役名は長谷川大臣の孫のヒロシと長谷川大臣が倉持さんの役を呼ぶ時に聞き取ったものなので、不明確かもしれませんが、私には「スダさん」「ススム」と聞き取れたので、スダススム役だと判断しました。もしも、それが間違いでしたら、コメント欄で指摘してくださると嬉しいです。

ちなみに余談ですが『バトルフィーバーJ』も『俺はあばれはっちゃく』と同じ1979年2月3日に放送が始まりました。昨年からYouTubeで公式の無料配信がされています。

『男!あばれはっちゃく』84話より

ダイナイエロー

続いて紹介するのは、『科学戦隊ダイナマン』(1983年2月5日~1984年1月28日)でダイナイエロー南郷耕作を演じた時田優さん。時田さんは『男!あばれはっちゃく』82話に酒屋の田中イチロウ役で出演。『男!あばれはっちゃく』82話は1981年10月31日放送で、『ダイナマン』は1983年2月5日放送開始なので、時田さんが『あばれはっちゃく』に出演したのは、ダイナイエローを演じるより前になりますね。

『男!あばれはっちゃく』82話より

嵐山長官

変身はしないけれども、この人は外せない。『太陽戦隊サンバルカン』(1981年2月7日〜1982年1月30日・テレビ朝日)の嵐山長官を演じた岸田森さん。岸田さんは『俺はあばれはっちゃく』43話に登場した考古学者のカワグチを演じました。岸田さんは先に書きましたが、『帰ってきたウルトラマン』(1971年4月2日~1972年3月31日・TBS)で坂田さんを演じています。また、円谷プロ作品でもお馴染みで『怪奇大作戦』(1968年9月15日~1969年3月9日・TBS)の牧さん、他にも特撮作品以外の映画、舞台、ドラマ、ラジオドラマ、吹替でも活躍された名優でした。

『俺はあばれはっちゃく』43話より

ガオブラック

最後に忘れてはいけない『百獣戦隊ガオレンジャー』(2001年2月18日~2002年2月10日・テレビ朝日)でガオブラック牛込草太郎を演じた『逆転あばれはっちゃく』(1985年3月2日~9月21日・テレビ朝日)の主人公・桜間長太郎を演じた酒井一圭さん。これは、もう説明不要ではないでしょうか。

『逆転あばれはっちゃく』27話より

初代あばれはっちゃく放送開始から45周年

45周年

今日、2月3日は45年前に『俺はあばれはっちゃく』の放送が始まった日です。『俺はあばれはっちゃく』は毎週土曜日、夜7時半に放送されていました。45年後の今日は奇しくも曜日も45年前と同じ土曜日です。

45年前、45歳の人でも初代を見たことがない、知らない世代が当たり前になり、当時は私たちの生活と大差なかったドラマの日常も小道具も、ちょっとした時代劇の世界に見える人達も増えてきました。わらさんのコメントを読んで、そうか父兄の方でも知らない時代のドラマになっていたんだな、と、当たり前の事なのに、今更ながらびっくりしたりしています。

今、このドラマを見返してみたりすると、45年前にしては先進的だなって感じるところと、やはりその時代ならでは価値観、当時にとっては普通とされていた認識や表現があって、これは45歳以下の人達に受け入れてもらえるのだろうか、と考えたりします。でも、わらさんのコメントを見ると、案外と受け入れられてもらえる作品なんだと安心をしました。

今も何度も見ていて、当時には感じなかった事、新たな発見、子どもの頃に見た時の記憶や当時の出来事を思い出して懐かしかったり、新鮮な気持ちになったりして、『あばれはっちゃく』という作品は、私にとっては今も色あせないとても面白いドラマであり続けています。

ドラマの『あばれはっちゃく』は、山中恒先生の原作『あばれはっちゃく』と一番近いとされる初代『俺はあばれはっちゃく』でさえも、原作そのままという作品ではないのですが、作品の核になる芯の部分は、特に初代『俺はあばれはっちゃく』はしっかりと受け継いで、映像化されていると私は思います。

原作者の山中恒先生がどのようにドラマを捉えているのか分からないのですけれども、私はドラマを見て、原作を読んでそのように感じました。

文字だけの原作と映像作品は別メディアで、表現方法が違います。映像だからこそ出来る表現、文字では出来るけど映像では出来ない表現があって、それぞれの媒体で表現が変わっても、物語の芯の部分が変わらなければ、原作者の大事にしている部分を大切にした作品なら、表現が変わっていても別メディアになっても、抵抗はないんじゃないかなとか思ったりします。

ドラマから原作を読んだばかりの頃は、ドラマと原作の人物が名前は同じだけど、印象が違う人物もいて面喰いましたが、読んでいくうちに大切な部分はそんなに違わないなって思うようになり、ドラマとはちょっと違うけれども、この原作が原点なんだなって感じるようになりました。

また、ああ、ドラマは原作のこの話とこの話を組み合わせて再構成したり、放送日に合わせてこの話をアレンジしたんだなとか、この設定をこんな風にドラマに反映していたのかと分かってくると、元々2クールで終了予定だった割には、随分と原作を読み込んで作品を作っていたんだなって感じられて、ドラマ制作者の原作者、及び作品への強いリスペクトを感じました。

そして、このドラマは当時の私達子どもの為に大人達が真剣に本気で作り出してくれていたドラマだったんだなって思うようにもなりました。その思いは、父ちゃんを演じた東野英心さんの著書『クラブと恋と夢』の中で書かれていたこの以下の引用部分を読んだ時に、強い確信に変わりました。

 この作品をつくっている鍛冶昇プロデューサーは作家の人達が書いて来た脚本を何度も何度も訂正しながら、おとな中心ではなく、あくまでも子ども中心のドラマにつくり上げていっているのだ。(『クラブと恋と夢』民衆社 東野英心著 20ページ~21ページより引用)

それから、初代長太郎役の吉田友紀さんがDVDBOX2付属のブックレットにあるインタビューの中で次のように語っていて、ああ、出演していた子ども達も真剣に取り組んでいたんだなって分かりました。

----長太郎の人物像を、吉田さん御自身ではどう思われましたか?

吉田:義理人情でしょうね。一見、粗暴に見えるけどかなり繊細で…当時、明確に意識して演技していたわけではないのですが、山中先生の原作を読んで、自分なりに勉強しました。

さらに、原作者の山中恒先生が初代から最終作5代目の主題歌とエンディングの歌詞を書かれていたことも含めて、『あばれはっちゃく』は原作に書かれた精神を大事にしつつ、その時代の子ども達に目を向けて、大人と子役の子ども達が真剣に作り上げたドラマだったんだ。そのドラマが子どもの私は今も大好きで、このドラマに子どもの頃に出会えて良かったなと心から思っています。

この作品に関わった方は、この45年間の間にお亡くなりになってしまわれた方も大勢いて、それがとても寂しくもあるのですが、このドラマを見て共に育ってきた人達が大勢いて、まだ元気でいる原作やドラマを作り出してくれた人達がいて、当時は生まれていなかったり、物心がついてなかった人達が新たにファンになってくれている現実を知ると、なんだか安心して嬉しくなってしまいます。

山中恒先生の『あばれはっちゃく』は、1970年6月2日~1972年3月30日まで読売少年少女新聞に連載されていた作品で、1974年生まれの私はドラマ化されていなかったら、出会えなかった作品でした。だから、この作品をドラマ化してくれた、特に鍛冶昇さんにはとても感謝しています。

あばれはっちゃく』がいつまでも末永く、多くの人の心に残り続ける作品であることを心より祈っています。そして僭越ながら、私のブログが『あばれはっちゃく』を思い出すきっかけや知るきっかけになっていたら嬉しいです。

『男!あばれはっちゃく』81話「社長になれるぞ」感想

『男!あばれはっちゃく』81話より

 

1981年10月24日放送・脚本・三宅直子さん・川島啓志監督

問題の解決方法

長太郎の後先を考えずに人を助けるやり方と、克彦のように自分の安全性を確保してから人を助けるやり方が対比されていた話だと思いました。長太郎のように自らの危険を顧みずに人を条件反射で助けるやり方はとてもヒーロー的で格好よく、克彦のやり方は消極的で仕方がなく助けているように見えて、度胸がないように見えます。実際に川に落ちたビニールボールを取ってあげる長太郎と克彦のやり方は対照的で、長太郎の潔いやり方は、その場にいた克彦の祖母、家で話を聞いた克彦の姉の洋子さんから絶賛され、克彦のモタモタしたやり方は批判されてしまいました。

また、暴走バイクのせいで怪我をしたマリ子ちゃんの見舞いに対しての考え方も長太郎と克彦の考え方も対照的で、長太郎は千羽鶴を持ってお見舞いに行くことを提案し、みゆきちゃん達を含めたクラスメイトも賛成する中で、克彦だけはその考え方に反対して独自でお見舞いのカードを作って渡すと宣言して、怒った長太郎と喧嘩をしてしまいます。

一見、長太郎の方が情があって、克彦の方が情がないように思うのですが、お見舞いに何を持っていけばいいのかというみゆきちゃんの問いかけに最初はふざけて答えた長太郎に対して、克彦は「もっと心の籠った物がいいよ」と返していて、克彦は克彦なりに目の前で暴走バイクで怪我をしたマリ子ちゃんの事は心配していています。克彦は1週間の入院で千羽鶴は大袈裟で、自分がクラス委員の代表としてお見舞いに行ってお見舞いのカードを渡すと代替え案を出しています。それから、克彦はマリ子ちゃんを轢いたバイクのナンバーをメモしていて、克彦の中でその犯人を捕まえようと考えていました。

長太郎と考え方ややり方は違うのですが、克彦は克彦なりにマリ子ちゃんを心配しているし、マリ子ちゃんに怪我させた犯人に責任を取らせたいと考えているのに、長太郎と違う考えややり方をしているからといって、克彦を「冷血人間」という長太郎は流石に酷いなって、私は思いました。

人の為に自分を捨てる

長太郎のやり方や考え方は、克彦の祖母や洋子さんに絶賛されます。私は克彦の祖母のように、確かに人情が大事だと思いますが、克彦のいうようにそれだけではダメだな、とも思います。克彦の祖母に褒められた長太郎はご機嫌で家に帰ってきますが、父ちゃんから「人助けをするなら後先を考えてやれ」母ちゃんから「自分が危険な目にあったら、元も子もないんだよ」っと言われてしまいます。さらに長太郎が褒められたのは、克彦に活を入れる為と聞かされて、長太郎は怒って克彦の祖母へ文句を言いに行きます。

私は長太郎のやり方も克彦のやり方も、どちらも間違いはないと思うんですよね。自分の危険も顧みず、助けに行く長太郎。その勇気と人情は人の上に立ち、人を助けるものとしてはとても大事な精神です。けれども、母ちゃんのいうように自分が危険な目にあったら元も子もないのも事実で、克彦のように状況を見て、慎重に安全を確保して確実性を持って行動して助けるのも人の上に立つ者には必要な要素だと思います。

長太郎に冷血漢と言われて怒った克彦は、自分がマリ子ちゃんを轢いたバイクの人を探し出すといい、長太郎もそれを受けて自分も探すと言い出します。しかし、長太郎のやり方は非効率的で、なんとか閃きと行動力と運の良さでバイクの運転手である早川を見つけることが出来ましたが、バイクのナンバーを控えて探した克彦の方が確実で早く見つける事が出来ました。

克彦はビニールボールを落とした小さい子を見捨てることはなく、おっかなびっくりでもビニールボールを取ろうと頑張っていたし、マリ子ちゃんがバイクに轢かれそうになった時も咄嗟に「危ない!」と声を出して、素早くバイクのナンバーをメモしていて、自分に出来ることを出来る範囲でやっていて、人を助ける行動を起こしているんですよね。

だから、私は克彦を下に見て、長太郎を上に見るという克彦の祖母と洋子さんはちょっと克彦に厳しすぎるなって思ったし、そうかといって、克彦を必要以上に持ち上げる桜間家もどうかなって思ったりしました。そこで、双方の家族がそれぞれの息子、孫、弟を下にして、相手方を持ち上げることで、長太郎と克彦の人物評価のバランスをたもっているのかな、とも思いました。

現代では

この話の本放送から40年以上の月日が経って、価値観の変化が起きていて、当時は長太郎のやり方が格好良くて評価されていたかもしれないけれど、今では克彦のやり方の方が賢く評価されるかもしれないなって思いました。また、時代に関係なく、個人個人の考え方でも、評価が分かれるところだと思います。

今、元日に起きた能登半島地震で、すぐに現地に駆けつけてボランティアをしている人は長太郎タイプで、すぐに行っても道路を渋滞させたり、避難所の食料を減らしてしまったり、まだ何が必要か分からない状態で行っても、返って迷惑をかけてしまうから、直後に駆けつけるのではなく、募金をするとか出来ることから助けるべきだと考える人は克彦タイプなんじゃないかなって思いました。

私はどちらも根底には「人を助ける、人を助けたい」という思いがあって、どちらのやり方も一方の支持者から見たら、冷血漢だったり、考え無しだったりするんだろうけれども、人を助けたい、人の役に立ちたいという思いから生まれる行動を冷笑して否定するのだけは違うんじゃないかなって思います。

2人が組めば無敵

私は人の助け方や励まし方の考えややり方が違う長太郎と克彦だけども、人を助けたいという根底にある考え方や思いは同じなので、双方の考え方ややり方で足りないところや粗になってしまっているところが、それぞれのやり方でカバー出来るんじゃないかなって思いました。長太郎と克彦がバイクの運転手の早川と対峙した時に、2人が結果的に協力しあった事で、事件が解決したのを見て、長太郎だけでも、克彦だけでも事件は解決しなかっただろうなって思うんです。

最終的に何の打ち合わせがなくても、長太郎も克彦も早川に言った言葉は同じで、それが早川の心を動かした事実。思うに克彦の祖母は克彦のやり方や考え方に、長太郎の大胆さ、時には後先考えない即決断の力もつけて欲しいという気持ちがあったんじゃないかなって思うんですよね。時期を見誤ると取り返しのつかないことになることもありますから。

だから、長太郎と克彦が二人で一人になってタッグを組めば最強になるんじゃないかなって。将来、長太郎が克彦の家の会社に入社してという話に発展していきますが、長太郎が克彦の会社に入社して、3代目社長になって克彦を支える未来もあるのかもしれないなって、そんなことを思いました。また、克彦の会社には福岡に転勤した佐藤部長もいて邦彦ももしかしたら、入社してくる可能性もあるかもしれないので、3人でちとせ美工を大きな会社にしていく未来もあったりするかもしれないっていう妄想を膨らませました。

金より心

最後に早川が見舞いとして、マリ子ちゃんにお金を渡します。寺山先生は長太郎と克彦はその為に早川を探し出した訳じゃないと言って拒否を示しますが、早川は「自分の気持ちだから」と言います。

早川はちゃんとマリ子ちゃんの病室にきて謝っていて、自分がしたことをしっかりと反省しています。それだけでも、マリ子ちゃんも長太郎も克彦も寺山先生も嬉しく感じているのからこそ、早川の出した見舞金を断っているんですね。けれども、早川は自分の気持ちだからと見舞金を出しているんです。

お金で解決するという意味ではなくて、自分の力を過信して怖い思いをさせ、怪我をさせてしまったことに対する思いから生まれた自発的な申し訳ないという思いが形になったのが、早川の見舞金にあると思います。

お金だけなら、金の問題じゃないと突っぱねてしまいますが、そこに申し訳ないという思いが籠っていれば、謝罪の思いがあれば、お金が欲しいからやったのではないという言葉が自然と出てくるものです。

最近は、相手を傷つけても申し訳ないという思いを持たない人が多くなり、形だけの目に見える心の籠っていない「金」だけを出せばいいんだろう!という乱暴な謝罪になっていない謝罪をして、いや、謝罪すらしない人や組織が多くなってしまったように思えることが増えてしまって、日本人が持つ「人情」がなくなり、「薄情」になってしまったなって悲しくなります。

この話は、人の上に立つものが持つ、度胸と冷静さ、人を助け、救いたいという優しさの大切さと、過ちを犯した時に被害者に対してどのような心を持って謝罪するべきなのかという人の心の大切さを強く感じた話でした。薄情になりつつある(既になっている)現代で今一度、見て欲しい話です。

『男!あばれはっちゃく』80話『プロはきびしい』感想

『男!あばれはっちゃく』80話より

1981年10月17日放送・脚本・安藤豊弘さん・松生秀二監督

カヨちゃんの試験

今回はカヨちゃんが理容師の試験を受ける話。筆記試験が受かって後は実施試験のみ。長太郎はカヨちゃんの合格を信じていますが、母ちゃんが留守の時にお客としてきた克彦は母ちゃんの代わりに自分を散髪したカヨちゃんの腕に疑問を抱き、カヨちゃんは合格すると断言する長太郎に無理だと言って喧嘩になります。

長太郎と克彦はカヨちゃんの合格をかけて、カヨちゃんが合格したら克彦が逆立ちして運動場10周、不合格だったら長太郎が逆立ちして10周でも100周でもする約束をします。長太郎は克彦との賭けもありますが、カヨちゃんに立派な理容師になって欲しいと、絵馬を作ったり、いろいろな人に声をかけてカヨちゃんの実施試験の練習台になってもらったりして、カヨちゃんを応援します。

一方で、カヨちゃんを厳しく指導しながらもカヨちゃんが試験を受けることに対しては少し渋い顔をしているのが母ちゃんです。カヨちゃんは理容師として働いている高校の先輩からのアドバイスで理容師の試験を受けることにしたのですが、それに対して母ちゃんは不満を持っている様子。ただ、試験を受けるからとしっかりと厳しくカヨちゃんを指導。その厳しさにカヨちゃん自身が不満な表情をしたり、思い悩んだりします。

それでもカヨちゃんは長太郎の応援もあって、一生懸命に実施試験に向けて努力を重ねていきます。みゆきちゃんから借りたみゆきちゃんのママの鬘をカヨちゃんのカットの練習に使ってしまって、みゆきちゃんを悲しませてしまい、父ちゃんに怒られてしまいましたが、カヨちゃんは試験当日まで努力を重ねました。

それでも、自分の未熟な腕を母ちゃんに指摘されて指導されてきたカヨちゃんは自分の腕に自信が持てなくて、試験会場前で佇んでいました。長太郎はそんなカヨちゃんを励まし、お守りを渡して試験を受けさせます。

努力をしても神に祈っても

今回の話ですごいなって思うのは、あ、こうなるからこんな展開になるのか。あ、そうなるところがダメだったからダメになるのかなって思ったら、そうじゃなかった!と思ったら、それでもないのかという展開が続きながらも、ちゃんと話が着地していることです。さらには、長太郎と克彦の賭けに対する結果もしっかりと話のオチとして生かされているのも素晴らしかったです。

カヨちゃんが母ちゃんの厳しい指導の下で自信をなくして落ち込むも、長太郎が連れてきたカットのモデルの子ども達による練習、風船を使った髭剃りの練習、みゆきちゃんのママの鬘でのカット練習などを重ねて努力をし、長太郎もカヨちゃんの為にお祈りをして試験に挑む。

試験当日にカヨちゃんに渡すお守りを試験会場に行く前のカヨちゃんに渡し損ねた長太郎が試験会場に到着して間に合わなかったと思ったら、試験会場のそばで試験を受けるかどうか迷っているカヨちゃんを見つけてお守りを渡すことが出来たというように話が流れの中で、自信をなくしてダメかと思っても努力を続けて、神様に祈り、お守りを渡せなかったことで試験は大丈夫かと心配になるけれども、ちゃんとお守りを渡すことが出来て、いまいち自信がないカヨちゃんを長太郎が励ますことで、カヨちゃんが試験を受ける自信を取り戻すというように、フラグが立っては消え、消えては新しいフラグが立ち上がっています。

そのフラグもちゃんと時系列の流れがあって、カヨちゃんの感情と行動とリンクしているので、自然に受け入れることが出来ます。そこに無理がないんですね。この話はちゃんとカヨちゃんが試験に受かるための努力をしていて、その上で神様にお祈りをして力を貸してもらっている。何もしないで祈るだけではないんです。

それでも、どんなに頑張っても、どんなに努力をしても、どんなに祈っても、どんなに応援されても、試験結果というのはその時点での実力で評価をされてしまうという厳しい現実を逃げることなく捉えているんです。ここまで、頑張る過程を見せながら、そして児童が視聴対象である作品でありながら、安易な現実ではない厳しい現実を見せるこの話は嘘や誤魔化しをすることなく現実を子どもに見せた素晴らしい話だと思いました。

寺山先生と母ちゃんの言葉

今回の話の中で寺山先生と母ちゃんの言葉が胸に刺さりました。まず、寺山先生がカヨちゃんの散髪のモデルになりながら、試験が学校を卒業してもあることに嘆く長太郎に対していった言葉。

「何、言ってる。お前たちはこれから、いろんな試験の関門を何度も何度も潜り抜けていかないとならないんだぞ」

そして、試験が終わりその結果を受けて母ちゃんがカヨちゃんに言った言葉です。

「今度のことは、いい経験よ。決して無駄にならないわ」

母ちゃんの言葉にはその前に、なぜカヨちゃんが試験を受けることに対して、好意的ではなかったかの理由が語られていて、それでいながらどうしてカヨちゃんが試験を受けることを止めなかったのかという母ちゃんの気持ちや考えが語られています。

その母ちゃんの言葉から、カヨちゃんがドラマでは見せていないところでも、筆記試験を合格できるまでどれだけ努力をしていたかが分かって、カヨちゃんがドラマの中で見る以上に努力をしていたことから、こんなに真面目に努力しても報われない結果が現実にはあるんだという厳しさを見せながらも、「決して無駄にはならないわ」という母ちゃんの言葉が救いになっていて、それがいいなって思いました。

努力をしても結果が思わしくないのなら、その努力は全て無駄というのではなく、ちゃんと経験として自身の実力となって身について、いつかちゃんと花を咲かすことが出来るというメッセージを私はこの話から感じました。

寺山先生の言葉も、今回のカヨちゃんの理容師の試験だけでなく、人間が生きていく中で、何度も何度もいろんな関門、試練があってそれを潜り抜けていかないといけないという人生の大変さ、厳しさを教えてくれる言葉で、大人になっていろいろな試験以外の試練や関門を潜り抜けたり、時には逃げ出してしまった私には耳の痛い話であると同時に、世間は甘くないという現実の厳しさをちゃんと教えてくれていたんだなって、分かって、それが子どもを騙さない大人の誠実さに感じて、いいなって思いました。

長太郎と克彦

長太郎と克彦の賭けも長太郎が逃げなかったのも良かったです。マリ子ちゃんやみゆきちゃん達に責められたせいでもありましが、長太郎が誤魔化したり、逃げたりしなかったのは良かったですし、それでも最後の最後で克彦に一矢報いた形になった結果が面白くて笑いました。

今回の克彦も憎まれ役でしたが、克彦がカヨちゃんを非難する理由も、実際に自分がカヨちゃんに散髪をしてもらって、嫌な気分にさせられたからという理由がちゃんとあって、克彦なりの正当な評価基準がちゃんとあった上でのことだったので、克彦に対しての嫌悪感がありませんでした。克彦には克彦なりの正義がちゃんとあるというのも、しっかりあったのも、この話の良さだったと私は思います。

犬塚弘さん死去

言葉を失う

今朝、とても悲しいニュースが飛び込んできました。それは、クレージーキャッツのメンバーとして一世を風靡した犬塚弘さんが94歳でお亡くなりになったニュースです。犬塚さんは大林監督の映画『海辺の映画館』(2020年)を最後に俳優を引退されました。長く活躍されていましたので、各年代ごとで犬塚さんの印象があり、特にクレージーキャッツ全盛期の世代には映画や音楽、コメディアン等での活躍が大きく思い出される方々がいらっしゃると思いますが、このブログ、私にとって犬塚さんは『痛快あばれはっちゃく』の春日幸一教頭先生でした。

春日教頭先生以外だと『怪獣大戦争ダイゴロウ対ゴリアス』(1972年・東宝)で演じた発明家のおじさんが好きでした。最後が幸せに見えてどこか寂しい印象を残していたのが忘れられません。それと別の映画で、インディアンに扮した姿も面白かったなあ。『水もれ甲介』(日本テレビ・1974年)で、ベースを弾く姿もカッコよかった。

あばれはっちゃく』シリーズでは、レギュラー、サブレギュラーの出演者の中で、一番長生きされているのは犬塚さんだな。犬塚さん、表舞台は引退しても、ずっとお元気でいてくれたらいいなって、3年前に引退された時に思いました。御年齢を考えれば、そう遠くないうちにお別れがくることは分かっていましたが、それでも、少しでも長くお元気でいてくれたらいいなって思っていました。でも、その日がとうとう来てしまいました……。

 

残念でとても悲しく寂しいです。犬塚さんは最後のクレージーキャッツでもありました。他にも、いろいろと書きたい思いはあるのですが、今は上手く言葉が纏まりません。犬塚弘さんのご冥福を心よりお祈りします。

nordot.app

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3代目あばれはっちゃく・荒木直也さんの誕生日

『熱血あばれはっちゃく』37話より

3代目が荒木直也さんになった理由

今日、10月13日は3代目あばれはっちゃくを演じた荒木直也さんのお誕生日です。荒木さん、お誕生日おめでとうございます。

3代目の荒木さんに長太郎が決まるまで、かなり時間がかかったようです。3代目『熱血あばれはっちゃく』時代に『あばれはっちゃく』の写真集が出版され、その中で3代目長太郎役が決まる過程が書いてありますが、オーディションをしても、中々、3代目の長太郎だ!という子役が決まらなかったことが書いてあり、当時、放送されていた東京電力のCMに出演している荒木直也さんを見て、この子に長太郎役が出来ないだろうか?と声をかけたことが書かれています。(写真集を持っている人がネットで出しているのを目にしました)

荒木直也さんは児童劇団に所属しておらず、このブログでも紹介しましたが、父親の荒木とよひささんが作詞、作曲した東京電力のCMソング『息子よ』を父親と一緒に歌っていて、また、これもこのブログで紹介していますが、田淵選手の『ブッチィ音頭』(ビクター少年合唱隊)のレコードも出しています。荒木直也さんは俳優としては、『あばれはっちゃく』シリーズ以外では、映画『突入せよあさま山荘事件』(2002年)に出演していますが、その他の出演作が見当たりません。

2007年に開かれた『あばれはっちゃく同窓会』で荒木さんと会った4代目ヒロインまゆみちゃん役の水沢真子さんが荒木さんは音楽プロデューサーのお仕事をされていることをご自身のブログで書かれていました。この情報は2007年の情報なので、現在もそうなのかは不明ですが、荒木さんが元々、役者の仕事よりも歌手としての仕事が多かったこと、実父の荒木とよひささんが作詞作曲家であることを踏まえると、荒木さんは現在も音楽関連のお仕事をされているのだろうと思います。

スタッフが演劇経験の少ない荒木さんを長太郎役に抜擢したのは、その元気の良さ、物怖じしないところ、愛嬌があるところ、カンが鋭いところ、「この中で主役をやりたい人」の質問に他の劇団の子達はニヤニヤ笑いで顔を見合わせて手を少ししかあげないところを、荒木さんは「はい!」とまっすぐに手を挙げて返事をしたことなどが、写真集に書かれていて、荒木さんの素直でまっすぐで元気な性格が長太郎に選ばれた理由だったんだろうなと思いました。

3代目は本当は小学6年生だった

3代目『熱血あばれはっちゃく』は、1982年4月~1983年3月まで放送されていて、長太郎は小学5年生の設定でしたが、演じていた荒木直也さんは1970年生まれですので、当時は小学6年生でした。ドラマの長太郎の設定年齢より、荒木さんは1歳(1学年)年上。

ドラマの長太郎より年齢が年上だったのは、初代の吉田友紀さんと3代目の荒木直也さんだけです。2代目の栗又厚さんと4代目の坂詰貴之さんはドラマの長太郎と同じ、5代目の酒井一圭さんは1歳(1学年)年下でした。

2クール(26話)で終わる予定で始まった初代『俺はあばれはっちゃく』でプロデューサーのオファで決まった吉田友紀さんと違って、人気も出てきてオーディションで長く続けるつもりで長太郎役を選ぶ中で、当時6年生の荒木さんを長太郎役に選んだことはギリギリの選択だったんだろうと思います。

3代目は長太郎役の荒木直也さんだけでなく、ヒロインのあけみちゃん役の浜村砂里さんが1971年3月18日生まれ、あけみちゃんの友人のみどりちゃん役の浅井星美さんが1970年7月7日生まれで、私が調べた限りだと輝彦役の小池満敏さんも1970年5月14日生まれで6年生だったようで、京子ちゃん役の田中香奈さんと実役の山住高広さんの生年月日が分からないのですが、分かる範囲だと長太郎のレギュラー同級生役も4人が実際は6年生だったと分かりました。

この演者が6年生だったならではのエピソードとして、過去にも紹介したのですが、あけみちゃん役の浜村さんはロケと修学旅行が重なって、途中からロケに合流したのが印象深いと2007年のあばれはっちゃく同窓会で語っていました。それについては『2007年ハイパーポピー6月号』に書かれています。

繰り返しになりますが、初代もドラマ放送の延長によって、長太郎役の吉田友紀さんや正彦役の草間光行さん、明子役の小宮山京子さんは役の設定年齢よりも2歳年上、ヒトミちゃん役の早瀬優香子さん、恵子ちゃん役の岡田ゆりさん、公一役の妹尾潤さんは役の設定年齢よりも1歳年上になりましたけれども、3代目の場合は年齢を考慮に入れてオーディションで選ぶことが出来た中で、レギュラー子役の殆どが設定年齢よりも上の6年生だったというのは、長く作品を続けていくつもりでいた制作側としては、今の視点で見ると痛し痒しのところはあったんじゃないかと思うんです。

それでも、そのメンバーでやっていこう!と決意させるだけの魅力が3代目『熱血あばれはっちゃく』の長太郎の同級生レギュラー子役達にあったんだろうなって思いました。

53歳

荒木直也さんは今年で53歳。長太郎を演じる前からのサッカー少年で、歌手としても活躍されていました。『あばれはっちゃく』シリーズに出演する前は役者経験がほぼゼロだったということを踏まえて荒木直也さんの2代目『男!あばれはっちゃく』からの演技を見てみると、驚くほどに天才的なカンを持った凄い俳優だったんだなっていうことを感じます。

荒木さんが5代目『逆転あばれはっちゃく』に出演されなかったことは残念でしたが、2007年、2012年のあばれはっちゃく同窓会には出席されていて、元気な姿を見せてくれたことはとても嬉しかったです。

そういえば、荒木さんは梅干しが大嫌いなんですが、原作の長太郎も梅干しが大嫌いなんですよ。その点も荒木さんが長太郎を演じるのに縁があったかもしれませんね。

改めて荒木直也さん、53歳のお誕生日おめでとうございます。