柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

『男!あばれはっちゃく』81話「社長になれるぞ」感想

『男!あばれはっちゃく』81話より

 

1981年10月24日放送・脚本・三宅直子さん・川島啓志監督

問題の解決方法

長太郎の後先を考えずに人を助けるやり方と、克彦のように自分の安全性を確保してから人を助けるやり方が対比されていた話だと思いました。長太郎のように自らの危険を顧みずに人を条件反射で助けるやり方はとてもヒーロー的で格好よく、克彦のやり方は消極的で仕方がなく助けているように見えて、度胸がないように見えます。実際に川に落ちたビニールボールを取ってあげる長太郎と克彦のやり方は対照的で、長太郎の潔いやり方は、その場にいた克彦の祖母、家で話を聞いた克彦の姉の洋子さんから絶賛され、克彦のモタモタしたやり方は批判されてしまいました。

また、暴走バイクのせいで怪我をしたマリ子ちゃんの見舞いに対しての考え方も長太郎と克彦の考え方も対照的で、長太郎は千羽鶴を持ってお見舞いに行くことを提案し、みゆきちゃん達を含めたクラスメイトも賛成する中で、克彦だけはその考え方に反対して独自でお見舞いのカードを作って渡すと宣言して、怒った長太郎と喧嘩をしてしまいます。

一見、長太郎の方が情があって、克彦の方が情がないように思うのですが、お見舞いに何を持っていけばいいのかというみゆきちゃんの問いかけに最初はふざけて答えた長太郎に対して、克彦は「もっと心の籠った物がいいよ」と返していて、克彦は克彦なりに目の前で暴走バイクで怪我をしたマリ子ちゃんの事は心配していています。克彦は1週間の入院で千羽鶴は大袈裟で、自分がクラス委員の代表としてお見舞いに行ってお見舞いのカードを渡すと代替え案を出しています。それから、克彦はマリ子ちゃんを轢いたバイクのナンバーをメモしていて、克彦の中でその犯人を捕まえようと考えていました。

長太郎と考え方ややり方は違うのですが、克彦は克彦なりにマリ子ちゃんを心配しているし、マリ子ちゃんに怪我させた犯人に責任を取らせたいと考えているのに、長太郎と違う考えややり方をしているからといって、克彦を「冷血人間」という長太郎は流石に酷いなって、私は思いました。

人の為に自分を捨てる

長太郎のやり方や考え方は、克彦の祖母や洋子さんに絶賛されます。私は克彦の祖母のように、確かに人情が大事だと思いますが、克彦のいうようにそれだけではダメだな、とも思います。克彦の祖母に褒められた長太郎はご機嫌で家に帰ってきますが、父ちゃんから「人助けをするなら後先を考えてやれ」母ちゃんから「自分が危険な目にあったら、元も子もないんだよ」っと言われてしまいます。さらに長太郎が褒められたのは、克彦に活を入れる為と聞かされて、長太郎は怒って克彦の祖母へ文句を言いに行きます。

私は長太郎のやり方も克彦のやり方も、どちらも間違いはないと思うんですよね。自分の危険も顧みず、助けに行く長太郎。その勇気と人情は人の上に立ち、人を助けるものとしてはとても大事な精神です。けれども、母ちゃんのいうように自分が危険な目にあったら元も子もないのも事実で、克彦のように状況を見て、慎重に安全を確保して確実性を持って行動して助けるのも人の上に立つ者には必要な要素だと思います。

長太郎に冷血漢と言われて怒った克彦は、自分がマリ子ちゃんを轢いたバイクの人を探し出すといい、長太郎もそれを受けて自分も探すと言い出します。しかし、長太郎のやり方は非効率的で、なんとか閃きと行動力と運の良さでバイクの運転手である早川を見つけることが出来ましたが、バイクのナンバーを控えて探した克彦の方が確実で早く見つける事が出来ました。

克彦はビニールボールを落とした小さい子を見捨てることはなく、おっかなびっくりでもビニールボールを取ろうと頑張っていたし、マリ子ちゃんがバイクに轢かれそうになった時も咄嗟に「危ない!」と声を出して、素早くバイクのナンバーをメモしていて、自分に出来ることを出来る範囲でやっていて、人を助ける行動を起こしているんですよね。

だから、私は克彦を下に見て、長太郎を上に見るという克彦の祖母と洋子さんはちょっと克彦に厳しすぎるなって思ったし、そうかといって、克彦を必要以上に持ち上げる桜間家もどうかなって思ったりしました。そこで、双方の家族がそれぞれの息子、孫、弟を下にして、相手方を持ち上げることで、長太郎と克彦の人物評価のバランスをたもっているのかな、とも思いました。

現代では

この話の本放送から40年以上の月日が経って、価値観の変化が起きていて、当時は長太郎のやり方が格好良くて評価されていたかもしれないけれど、今では克彦のやり方の方が賢く評価されるかもしれないなって思いました。また、時代に関係なく、個人個人の考え方でも、評価が分かれるところだと思います。

今、元日に起きた能登半島地震で、すぐに現地に駆けつけてボランティアをしている人は長太郎タイプで、すぐに行っても道路を渋滞させたり、避難所の食料を減らしてしまったり、まだ何が必要か分からない状態で行っても、返って迷惑をかけてしまうから、直後に駆けつけるのではなく、募金をするとか出来ることから助けるべきだと考える人は克彦タイプなんじゃないかなって思いました。

私はどちらも根底には「人を助ける、人を助けたい」という思いがあって、どちらのやり方も一方の支持者から見たら、冷血漢だったり、考え無しだったりするんだろうけれども、人を助けたい、人の役に立ちたいという思いから生まれる行動を冷笑して否定するのだけは違うんじゃないかなって思います。

2人が組めば無敵

私は人の助け方や励まし方の考えややり方が違う長太郎と克彦だけども、人を助けたいという根底にある考え方や思いは同じなので、双方の考え方ややり方で足りないところや粗になってしまっているところが、それぞれのやり方でカバー出来るんじゃないかなって思いました。長太郎と克彦がバイクの運転手の早川と対峙した時に、2人が結果的に協力しあった事で、事件が解決したのを見て、長太郎だけでも、克彦だけでも事件は解決しなかっただろうなって思うんです。

最終的に何の打ち合わせがなくても、長太郎も克彦も早川に言った言葉は同じで、それが早川の心を動かした事実。思うに克彦の祖母は克彦のやり方や考え方に、長太郎の大胆さ、時には後先考えない即決断の力もつけて欲しいという気持ちがあったんじゃないかなって思うんですよね。時期を見誤ると取り返しのつかないことになることもありますから。

だから、長太郎と克彦が二人で一人になってタッグを組めば最強になるんじゃないかなって。将来、長太郎が克彦の家の会社に入社してという話に発展していきますが、長太郎が克彦の会社に入社して、3代目社長になって克彦を支える未来もあるのかもしれないなって、そんなことを思いました。また、克彦の会社には福岡に転勤した佐藤部長もいて邦彦ももしかしたら、入社してくる可能性もあるかもしれないので、3人でちとせ美工を大きな会社にしていく未来もあったりするかもしれないっていう妄想を膨らませました。

金より心

最後に早川が見舞いとして、マリ子ちゃんにお金を渡します。寺山先生は長太郎と克彦はその為に早川を探し出した訳じゃないと言って拒否を示しますが、早川は「自分の気持ちだから」と言います。

早川はちゃんとマリ子ちゃんの病室にきて謝っていて、自分がしたことをしっかりと反省しています。それだけでも、マリ子ちゃんも長太郎も克彦も寺山先生も嬉しく感じているのからこそ、早川の出した見舞金を断っているんですね。けれども、早川は自分の気持ちだからと見舞金を出しているんです。

お金で解決するという意味ではなくて、自分の力を過信して怖い思いをさせ、怪我をさせてしまったことに対する思いから生まれた自発的な申し訳ないという思いが形になったのが、早川の見舞金にあると思います。

お金だけなら、金の問題じゃないと突っぱねてしまいますが、そこに申し訳ないという思いが籠っていれば、謝罪の思いがあれば、お金が欲しいからやったのではないという言葉が自然と出てくるものです。

最近は、相手を傷つけても申し訳ないという思いを持たない人が多くなり、形だけの目に見える心の籠っていない「金」だけを出せばいいんだろう!という乱暴な謝罪になっていない謝罪をして、いや、謝罪すらしない人や組織が多くなってしまったように思えることが増えてしまって、日本人が持つ「人情」がなくなり、「薄情」になってしまったなって悲しくなります。

この話は、人の上に立つものが持つ、度胸と冷静さ、人を助け、救いたいという優しさの大切さと、過ちを犯した時に被害者に対してどのような心を持って謝罪するべきなのかという人の心の大切さを強く感じた話でした。薄情になりつつある(既になっている)現代で今一度、見て欲しい話です。

はっちゃくクイズ11解答編

遅くなりましたが、新年明けましておめでとうございます

新年、あけましておめでとうございます。とはいえ、いきなり元日に大きな地震が起きて、おめでたくもなんともないとんでもないお正月になりましたが、このブログを読んでいる皆様はご無事でしょうか。昨年中は、大変お世話になりました。昨年の後半は更新が滞り、また、思うことがあって非公開にした記事もあったりして、個人的な心中にいろいろと思うところがありました。

いろいろと思うことがあり、また悲しく傷ついた気持ちもありますが、好きなものに救われてきた事実は確かなもので、私の中に息づいているので、今後も好きな事を語っていきたいなって思います。『あばれはっちゃく』も宝塚歌劇団もそこに関わった人達の生み出した作品は全て私の大事な心の糧です。大切にしていきます。

さて、かなり遅くなりましたが、昨年の私の誕生日に出題したはっちゃくクイズ11の解答を発表します。問題編は下記リンク記事です。

kakinoha.hatenadiary.com

はっちゃくクイズ11解答

問1解答

朝日奈元之介

朝日奈すみよ

『俺はあばれはっちゃく』1話より

解説

元之助の名前は原作『あばれはっちゃく』、ドラマでも登場。朝日奈老婦人の名前は原作『あばれはっちゃく』(理論社)「マゴマゴ作戦」68ページに元之介が「こら!すみよ」と老婦人に声をかける場面が書かれています。

問2解答

児玉ルミ

『俺はあばれはっちゃく』6話より

解説

ドラマ6話に登場したてるほの憧れの美玉高校の高校生。ドラマではテニス部所属ですが、原作『あばれはっちゃく』では、ソフトボール部所属です。

問3解答

安部文太

『俺はあばれはっちゃく』16話より

問4解答

安部トシコ

『俺はあばれはっちゃく』16話より

問5解答

安部つね

『俺はあばれはっちゃく』16話より

問3から問5の解答についての解説

文太は原作、ドラマで登場する名前。文太の母の名前は原作には登場しませんが、ドラマで文太の祖母(姑)から「トシコさん」と呼ばれています。同じく、文太の祖母の名前も原作には登場しませんが、文太が長太郎を家に連れていく安部家の門に書かれている書道教室にある看板に「安部つね」と書かれた名前が読み取れるので、文太の祖母の名前だと判断しました。

「つ」は確実に看板から読み取れますが、その後の文字は「ね」「れ」「わ」のいずれかの文字になるかと思います。個人的に私の伯母の名前が「つね」なので、「ね」を採用しました。『俺はあばれはっちゃく』の16話の台本などをお持ちの方で、文太の祖母の名前が明確に分かる方、または画像からしっかりと読み取れる方の情報をお待ちしています。

『俺はあばれはっちゃく』16話より

『俺はあばれはっちゃく』16話より

問6解答

吉野タマエ

吉野圭司

『俺はあばれはっちゃく』17話より

解説

タマエはドラマでは大阪から来た転校生でしたが、原作『あばれはっちゃく』では、群馬県から来た転校生でした。原作『あばれはっちゃく理論社333ページには、正彦が調べたタマエの家族構成が次のように書かれています。

「吉野タマエ、群馬県前橋市生まれ。父保則四十五歳、母幸子(ゆきこ)四十二歳、兄圭司、美玉市立北中学三年、住所、美玉市北町二丁目六の四。それから、ええと好きなものは……」(山中恒著『あばれはっちゃく理論社 333ページより引用)

ドラマのタマエは長太郎にぞっこんになりますが、原作のタマエは長太郎と番長の座を張り合う程に長太郎をライバル視していました。次回作『男!あばれはっちゃく』2代目長太郎は群馬県から来た転校生になっていましたが、長太郎と番長(あばれはっちゃく)の座を競い合っていた女番長タマエが群馬県生まれだったことが影響していたのかもしれません。

微妙に違う原作とドラマ

解答編が年明けになり、随分と遅くなりましたが、はっちゃくクイズいかがでしたか。(というよりもこのブログを読んで、はっちゃくクイズをしている人がいるのだろうか……(´・ω・`))。文太の母親の名前については、限定で私のXで文太の祖母が名前を呼んでいる場面を動画で出そうかなって思っています。また、いろいろと読み返したり、見返してみて、これはクイズに出したいなっていうのも、出てきたので、次もめげずにはっちゃくクイズを作るつもりです。

さて、ドラマオリジナルではない原作の登場人物が登場する話は、比較的に原作に近い話(特にドラマ16話)が多いのですが、設定や話の構成、人物の性格や特徴などが原作と違っています。また、原作の複数の話のエピソードを再構成して、ドラマ独自の話に仕立ています。ところどころに、原作のあの話とこの話を使ってドラマの話を組み立てていたんだなというのが、『俺はあばれはっちゃく』約1年間の話を見ていて分かります。

そこから、ドラマが始まる前にプロデューサー、脚本家、監督の人達が原作を読み込んで、改めてドラマが放送される時期などを考慮にいれて、ドラマの話を制作されていたのだなって思いました。原作の話がそのままドラマになっているのはありませんが、作品の内容を汲み取り、文章から別メディアの映像で表現する中で、作品のテーマや核を大事にした丁寧で心の籠ったドラマ化だったんだなって、私は感じました。

ドラマの印象で、原作を読むと最初は違和感を覚える人もいるかと思いますが、違うけど核は同じだと分かれば、ドラマも原作もそれぞれに楽しめると思います。

それでは、大変、遅くなりましたが、今年も1年よろしくお願いします。

『男!あばれはっちゃく』80話『プロはきびしい』感想

『男!あばれはっちゃく』80話より

1981年10月17日放送・脚本・安藤豊弘さん・松生秀二監督

カヨちゃんの試験

今回はカヨちゃんが理容師の試験を受ける話。筆記試験が受かって後は実施試験のみ。長太郎はカヨちゃんの合格を信じていますが、母ちゃんが留守の時にお客としてきた克彦は母ちゃんの代わりに自分を散髪したカヨちゃんの腕に疑問を抱き、カヨちゃんは合格すると断言する長太郎に無理だと言って喧嘩になります。

長太郎と克彦はカヨちゃんの合格をかけて、カヨちゃんが合格したら克彦が逆立ちして運動場10周、不合格だったら長太郎が逆立ちして10周でも100周でもする約束をします。長太郎は克彦との賭けもありますが、カヨちゃんに立派な理容師になって欲しいと、絵馬を作ったり、いろいろな人に声をかけてカヨちゃんの実施試験の練習台になってもらったりして、カヨちゃんを応援します。

一方で、カヨちゃんを厳しく指導しながらもカヨちゃんが試験を受けることに対しては少し渋い顔をしているのが母ちゃんです。カヨちゃんは理容師として働いている高校の先輩からのアドバイスで理容師の試験を受けることにしたのですが、それに対して母ちゃんは不満を持っている様子。ただ、試験を受けるからとしっかりと厳しくカヨちゃんを指導。その厳しさにカヨちゃん自身が不満な表情をしたり、思い悩んだりします。

それでもカヨちゃんは長太郎の応援もあって、一生懸命に実施試験に向けて努力を重ねていきます。みゆきちゃんから借りたみゆきちゃんのママの鬘をカヨちゃんのカットの練習に使ってしまって、みゆきちゃんを悲しませてしまい、父ちゃんに怒られてしまいましたが、カヨちゃんは試験当日まで努力を重ねました。

それでも、自分の未熟な腕を母ちゃんに指摘されて指導されてきたカヨちゃんは自分の腕に自信が持てなくて、試験会場前で佇んでいました。長太郎はそんなカヨちゃんを励まし、お守りを渡して試験を受けさせます。

努力をしても神に祈っても

今回の話ですごいなって思うのは、あ、こうなるからこんな展開になるのか。あ、そうなるところがダメだったからダメになるのかなって思ったら、そうじゃなかった!と思ったら、それでもないのかという展開が続きながらも、ちゃんと話が着地していることです。さらには、長太郎と克彦の賭けに対する結果もしっかりと話のオチとして生かされているのも素晴らしかったです。

カヨちゃんが母ちゃんの厳しい指導の下で自信をなくして落ち込むも、長太郎が連れてきたカットのモデルの子ども達による練習、風船を使った髭剃りの練習、みゆきちゃんのママの鬘でのカット練習などを重ねて努力をし、長太郎もカヨちゃんの為にお祈りをして試験に挑む。

試験当日にカヨちゃんに渡すお守りを試験会場に行く前のカヨちゃんに渡し損ねた長太郎が試験会場に到着して間に合わなかったと思ったら、試験会場のそばで試験を受けるかどうか迷っているカヨちゃんを見つけてお守りを渡すことが出来たというように話が流れの中で、自信をなくしてダメかと思っても努力を続けて、神様に祈り、お守りを渡せなかったことで試験は大丈夫かと心配になるけれども、ちゃんとお守りを渡すことが出来て、いまいち自信がないカヨちゃんを長太郎が励ますことで、カヨちゃんが試験を受ける自信を取り戻すというように、フラグが立っては消え、消えては新しいフラグが立ち上がっています。

そのフラグもちゃんと時系列の流れがあって、カヨちゃんの感情と行動とリンクしているので、自然に受け入れることが出来ます。そこに無理がないんですね。この話はちゃんとカヨちゃんが試験に受かるための努力をしていて、その上で神様にお祈りをして力を貸してもらっている。何もしないで祈るだけではないんです。

それでも、どんなに頑張っても、どんなに努力をしても、どんなに祈っても、どんなに応援されても、試験結果というのはその時点での実力で評価をされてしまうという厳しい現実を逃げることなく捉えているんです。ここまで、頑張る過程を見せながら、そして児童が視聴対象である作品でありながら、安易な現実ではない厳しい現実を見せるこの話は嘘や誤魔化しをすることなく現実を子どもに見せた素晴らしい話だと思いました。

寺山先生と母ちゃんの言葉

今回の話の中で寺山先生と母ちゃんの言葉が胸に刺さりました。まず、寺山先生がカヨちゃんの散髪のモデルになりながら、試験が学校を卒業してもあることに嘆く長太郎に対していった言葉。

「何、言ってる。お前たちはこれから、いろんな試験の関門を何度も何度も潜り抜けていかないとならないんだぞ」

そして、試験が終わりその結果を受けて母ちゃんがカヨちゃんに言った言葉です。

「今度のことは、いい経験よ。決して無駄にならないわ」

母ちゃんの言葉にはその前に、なぜカヨちゃんが試験を受けることに対して、好意的ではなかったかの理由が語られていて、それでいながらどうしてカヨちゃんが試験を受けることを止めなかったのかという母ちゃんの気持ちや考えが語られています。

その母ちゃんの言葉から、カヨちゃんがドラマでは見せていないところでも、筆記試験を合格できるまでどれだけ努力をしていたかが分かって、カヨちゃんがドラマの中で見る以上に努力をしていたことから、こんなに真面目に努力しても報われない結果が現実にはあるんだという厳しさを見せながらも、「決して無駄にはならないわ」という母ちゃんの言葉が救いになっていて、それがいいなって思いました。

努力をしても結果が思わしくないのなら、その努力は全て無駄というのではなく、ちゃんと経験として自身の実力となって身について、いつかちゃんと花を咲かすことが出来るというメッセージを私はこの話から感じました。

寺山先生の言葉も、今回のカヨちゃんの理容師の試験だけでなく、人間が生きていく中で、何度も何度もいろんな関門、試練があってそれを潜り抜けていかないといけないという人生の大変さ、厳しさを教えてくれる言葉で、大人になっていろいろな試験以外の試練や関門を潜り抜けたり、時には逃げ出してしまった私には耳の痛い話であると同時に、世間は甘くないという現実の厳しさをちゃんと教えてくれていたんだなって、分かって、それが子どもを騙さない大人の誠実さに感じて、いいなって思いました。

長太郎と克彦

長太郎と克彦の賭けも長太郎が逃げなかったのも良かったです。マリ子ちゃんやみゆきちゃん達に責められたせいでもありましが、長太郎が誤魔化したり、逃げたりしなかったのは良かったですし、それでも最後の最後で克彦に一矢報いた形になった結果が面白くて笑いました。

今回の克彦も憎まれ役でしたが、克彦がカヨちゃんを非難する理由も、実際に自分がカヨちゃんに散髪をしてもらって、嫌な気分にさせられたからという理由がちゃんとあって、克彦なりの正当な評価基準がちゃんとあった上でのことだったので、克彦に対しての嫌悪感がありませんでした。克彦には克彦なりの正義がちゃんとあるというのも、しっかりあったのも、この話の良さだったと私は思います。

犬塚弘さん死去

言葉を失う

今朝、とても悲しいニュースが飛び込んできました。それは、クレージーキャッツのメンバーとして一世を風靡した犬塚弘さんが94歳でお亡くなりになったニュースです。犬塚さんは大林監督の映画『海辺の映画館』(2020年)を最後に俳優を引退されました。長く活躍されていましたので、各年代ごとで犬塚さんの印象があり、特にクレージーキャッツ全盛期の世代には映画や音楽、コメディアン等での活躍が大きく思い出される方々がいらっしゃると思いますが、このブログ、私にとって犬塚さんは『痛快あばれはっちゃく』の春日幸一教頭先生でした。

春日教頭先生以外だと『怪獣大戦争ダイゴロウ対ゴリアス』(1972年・東宝)で演じた発明家のおじさんが好きでした。最後が幸せに見えてどこか寂しい印象を残していたのが忘れられません。それと別の映画で、インディアンに扮した姿も面白かったなあ。『水もれ甲介』(日本テレビ・1974年)で、ベースを弾く姿もカッコよかった。

あばれはっちゃく』シリーズでは、レギュラー、サブレギュラーの出演者の中で、一番長生きされているのは犬塚さんだな。犬塚さん、表舞台は引退しても、ずっとお元気でいてくれたらいいなって、3年前に引退された時に思いました。御年齢を考えれば、そう遠くないうちにお別れがくることは分かっていましたが、それでも、少しでも長くお元気でいてくれたらいいなって思っていました。でも、その日がとうとう来てしまいました……。

 

残念でとても悲しく寂しいです。犬塚さんは最後のクレージーキャッツでもありました。他にも、いろいろと書きたい思いはあるのですが、今は上手く言葉が纏まりません。犬塚弘さんのご冥福を心よりお祈りします。

nordot.app

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3代目あばれはっちゃく・荒木直也さんの誕生日

『熱血あばれはっちゃく』37話より

3代目が荒木直也さんになった理由

今日、10月13日は3代目あばれはっちゃくを演じた荒木直也さんのお誕生日です。荒木さん、お誕生日おめでとうございます。

3代目の荒木さんに長太郎が決まるまで、かなり時間がかかったようです。3代目『熱血あばれはっちゃく』時代に『あばれはっちゃく』の写真集が出版され、その中で3代目長太郎役が決まる過程が書いてありますが、オーディションをしても、中々、3代目の長太郎だ!という子役が決まらなかったことが書いてあり、当時、放送されていた東京電力のCMに出演している荒木直也さんを見て、この子に長太郎役が出来ないだろうか?と声をかけたことが書かれています。(写真集を持っている人がネットで出しているのを目にしました)

荒木直也さんは児童劇団に所属しておらず、このブログでも紹介しましたが、父親の荒木とよひささんが作詞、作曲した東京電力のCMソング『息子よ』を父親と一緒に歌っていて、また、これもこのブログで紹介していますが、田淵選手の『ブッチィ音頭』(ビクター少年合唱隊)のレコードも出しています。荒木直也さんは俳優としては、『あばれはっちゃく』シリーズ以外では、映画『突入せよあさま山荘事件』(2002年)に出演していますが、その他の出演作が見当たりません。

2007年に開かれた『あばれはっちゃく同窓会』で荒木さんと会った4代目ヒロインまゆみちゃん役の水沢真子さんが荒木さんは音楽プロデューサーのお仕事をされていることをご自身のブログで書かれていました。この情報は2007年の情報なので、現在もそうなのかは不明ですが、荒木さんが元々、役者の仕事よりも歌手としての仕事が多かったこと、実父の荒木とよひささんが作詞作曲家であることを踏まえると、荒木さんは現在も音楽関連のお仕事をされているのだろうと思います。

スタッフが演劇経験の少ない荒木さんを長太郎役に抜擢したのは、その元気の良さ、物怖じしないところ、愛嬌があるところ、カンが鋭いところ、「この中で主役をやりたい人」の質問に他の劇団の子達はニヤニヤ笑いで顔を見合わせて手を少ししかあげないところを、荒木さんは「はい!」とまっすぐに手を挙げて返事をしたことなどが、写真集に書かれていて、荒木さんの素直でまっすぐで元気な性格が長太郎に選ばれた理由だったんだろうなと思いました。

3代目は本当は小学6年生だった

3代目『熱血あばれはっちゃく』は、1982年4月~1983年3月まで放送されていて、長太郎は小学5年生の設定でしたが、演じていた荒木直也さんは1970年生まれですので、当時は小学6年生でした。ドラマの長太郎の設定年齢より、荒木さんは1歳(1学年)年上。

ドラマの長太郎より年齢が年上だったのは、初代の吉田友紀さんと3代目の荒木直也さんだけです。2代目の栗又厚さんと4代目の坂詰貴之さんはドラマの長太郎と同じ、5代目の酒井一圭さんは1歳(1学年)年下でした。

2クール(26話)で終わる予定で始まった初代『俺はあばれはっちゃく』でプロデューサーのオファで決まった吉田友紀さんと違って、人気も出てきてオーディションで長く続けるつもりで長太郎役を選ぶ中で、当時6年生の荒木さんを長太郎役に選んだことはギリギリの選択だったんだろうと思います。

3代目は長太郎役の荒木直也さんだけでなく、ヒロインのあけみちゃん役の浜村砂里さんが1971年3月18日生まれ、あけみちゃんの友人のみどりちゃん役の浅井星美さんが1970年7月7日生まれで、私が調べた限りだと輝彦役の小池満敏さんも1970年5月14日生まれで6年生だったようで、京子ちゃん役の田中香奈さんと実役の山住高広さんの生年月日が分からないのですが、分かる範囲だと長太郎のレギュラー同級生役も4人が実際は6年生だったと分かりました。

この演者が6年生だったならではのエピソードとして、過去にも紹介したのですが、あけみちゃん役の浜村さんはロケと修学旅行が重なって、途中からロケに合流したのが印象深いと2007年のあばれはっちゃく同窓会で語っていました。それについては『2007年ハイパーポピー6月号』に書かれています。

繰り返しになりますが、初代もドラマ放送の延長によって、長太郎役の吉田友紀さんや正彦役の草間光行さん、明子役の小宮山京子さんは役の設定年齢よりも2歳年上、ヒトミちゃん役の早瀬優香子さん、恵子ちゃん役の岡田ゆりさん、公一役の妹尾潤さんは役の設定年齢よりも1歳年上になりましたけれども、3代目の場合は年齢を考慮に入れてオーディションで選ぶことが出来た中で、レギュラー子役の殆どが設定年齢よりも上の6年生だったというのは、長く作品を続けていくつもりでいた制作側としては、今の視点で見ると痛し痒しのところはあったんじゃないかと思うんです。

それでも、そのメンバーでやっていこう!と決意させるだけの魅力が3代目『熱血あばれはっちゃく』の長太郎の同級生レギュラー子役達にあったんだろうなって思いました。

53歳

荒木直也さんは今年で53歳。長太郎を演じる前からのサッカー少年で、歌手としても活躍されていました。『あばれはっちゃく』シリーズに出演する前は役者経験がほぼゼロだったということを踏まえて荒木直也さんの2代目『男!あばれはっちゃく』からの演技を見てみると、驚くほどに天才的なカンを持った凄い俳優だったんだなっていうことを感じます。

荒木さんが5代目『逆転あばれはっちゃく』に出演されなかったことは残念でしたが、2007年、2012年のあばれはっちゃく同窓会には出席されていて、元気な姿を見せてくれたことはとても嬉しかったです。

そういえば、荒木さんは梅干しが大嫌いなんですが、原作の長太郎も梅干しが大嫌いなんですよ。その点も荒木さんが長太郎を演じるのに縁があったかもしれませんね。

改めて荒木直也さん、53歳のお誕生日おめでとうございます。

4代目の世界にいる長太郎以外のあばれはっちゃくみたいな存在(ドラマを見て分かる設定132)

『痛快あばれはっちゃく』14話より

4代目に出演した荒木さん

あばれはっちゃく』シリーズでは、前作の長太郎役の人が別役で次回作の『あばれはっちゃく』に出演していました。代を重ねていくと、前作の長太郎役だけでなく、前々作の長太郎役の人達も登場してきました。初代の吉田友紀さん、2代目の栗又厚さん、4代目の坂詰貴之さん達は自分の後の代の『あばれはっちゃく』にも出演をしましたが、3代目の荒木直也さんが自分よりも後の代の『あばれはっちゃく』に出演したのは、4代目の『痛快あばれはっちゃく』だけでした。

荒木さんが出演したのは、『痛快あばれはっちゃく』14話。ただし、この14話に出演したのは、荒木さんは荒木さんでも、3代目長太郎役の荒木直也さんではなく、荒木直也さんの実父で作詞作曲家の荒木とよひささん。荒木とよひささんの出演は特別出演でした。

長太郎役の人の実父が『あばれはっちゃく』シリーズに出演したのは、3代目荒木直也さんの父親の荒木さんだけ。もっとも子役の実父や実母がドラマに出演するのは、その親も俳優か著名人でないと難しいですよね。初代長太郎役の吉田友紀さんの実父である鴨志田和夫さんなら、出演の可能性はあったりしたのかなあ。例えば隼人さんのおじさん役とかで。

『痛快あばれはっちゃく』14話より

4代目に出た3代目あばれはっちゃく

3代目長太郎の荒木直也さんが4代目『痛快あばれはっちゃく』に出演したのは、荒木とよひささんの後の27話。長太郎をサッカーに誘った中学生、東ダイサブロウとしてでした。(ウィキペディアには名前の漢字表記がありますが、DVDで確認したところ苗字の表記しか確認できなかったので、私のブログでは名前の表記のみカタカナ表記にしました)東さんがサッカー少年なのは、3代目長太郎がサッカー少年だったこと、荒木直也さん本人もサッカー少年だったからだと思います。ちなみに、東さんの背番号は「3」で、これも3代目あばれはっちゃくにかけているんだなって思いました。

『痛快あばれはっちゃく』27話より

広田先生の教え子

広田先生は長太郎が東さんのサッカーチームに誘われたのを見ていて、その成り行きを面白く見守ります。どうやら、広田先生は東さんを知ってる様子。やがて東さんにサッカーを褒められて、調子に乗った長太郎はクラスで孤立するようになり、心配した広田先生は東さんの家を訪ねます。後で分かりますが、東さんは広田先生の教え子で、つくし第一小学校の卒業生。そして、広田先生は東さんもまた「あばれはっちゃくみたいなもんだ」と長太郎に説明します。

長太郎は1話でつくし第三小学校からつくし第一小学校に転校してきたので、東さんが小学校に在籍していた時は面識がなく、つくし第一小学校で東さんが「あばれはっちゃく」と呼ばれていたなんて知るはずもなかったわけです。ただ父ちゃんと母ちゃんはお店(クリーニング店)をしている関係からか、東さんが三丁目に住んでいることは知っていました。だから、父ちゃんも東さんのところに行って、その途中で広田先生と出くわして一緒に東さんの家を訪ねているんですね。

『痛快あばれはっちゃく』27話より

4代目の世界には「あばれはっちゃく(みたいな)」が結構いる

それから、長太郎が1話で学級委員長に立候補した時に広田先生から反対され、委員長の代わりに長太郎は清と信彦から飼育係にされてしまいましたが、この時に清と信彦が長太郎を飼育係に推した理由が、転校していった前の係の荒木に長太郎が似ているからというものでした。ここで、出てきた長太郎に似ている「荒木」という人物は、3代目長太郎を演じた荒木直也さんにかけているはずです。

長太郎に似ている荒木がいて、あばれはっちゃくみたいな東さんがいたつくし第一小学校。となると、つくし第一小学校には、長太郎が転校してくる以前に「あばれはっちゃく」的な存在が2人ということになります。つくし第一小学校には、在籍していた時期が違うものの、長太郎を含めて3人のあばれはっちゃくがいたようなもので、さらには74話で、長太郎とはっちゃくを競い合うシンタロウが登場してくるのですから、最低でも4代目の世界観の中に4人のあばれはっちゃく(みたいな存在)がいることになりますね。

3代目の2人

3代目『熱血あばれはっちゃく』は5年生で話が終わっていて、3代目の長太郎はドラマが続いていたら1983年は6年生で、4代目『痛快あばれはっちゃく』の4代目長太郎とは1歳(1学年)違いになるわけですが、3代目を演じた荒木直也さんは1970年10月13日生まれで、1983年に4代目に出演した時には13歳になる手前の12歳の中学1年生。

4代目27話に出てきた東さんも恐らく、当時演じた荒木直也さんと同じ中学1年生だったんじゃないかなって思います。坂詰貴之さんは1972年9月3日生まれ、当時は11歳になる前の10歳。荒木さんと坂詰さんは実年齢では2歳(2学年)の年の差で、これは4代目27話での長太郎と東さんの年の差と同じになるわけです。

4代目では坂詰さんが長太郎で2クール目に入って、長太郎役も板についてきてしっかり長太郎になっていますが、先代の長太郎の荒木さんと並ぶと、こっちも長太郎だったんだなという不思議な感じがします。(これは初代、2代目、4代目が自分の代以外の『あばれはっちゃく』に出たときにも感じることですが)

ちょっと前は、荒木さんの方が長太郎で坂詰さんは長太郎じゃない別人のモンタだったんだなって。そして、同じ荒木さん、坂詰さんでも役が違うだけでなく、1年の間に二人とも成長するんだなあって思いました。

この感情は大人になってDVDで見返すようになって感じたことです。これは荒木さん、坂詰さんに限りません。前の代、次の代に出演してくる子役の人達すべての人に感じたものでした。当時は自分も子どもで同じように成長していたので、そんなに感じることはなかったんです。時間の流れで子どもの頃は抱かなかった感情も生まれるもんなんですね。

『熱血あばれはっちゃく』34話より



 

『男!あばれはっちゃく』79話「青い鳥を探せ」感想

『男!あばれはっちゃく』79話より

1981年10月10日放送・脚本・田口成光さん・川島啓志監督

祝日による連休

この話が放送されたのは10月10日。10月10日は体育の日、今のスポーツの日で祝日でした。体育の日は1964年10月10日に東京五輪が開催されたのを記念して、1966年10月10日から始まりました。現在はスポーツの日に限らず、ハッピーマンデーにより月曜日にされて、年ごとに日にちが変わっています。私は、体育の日のように祝日は何かの記念日が元になって誕生していて、その日にちに意味があると思っているので、祝日の日にちが変動することには疑問に感じています。

以前TBSの夕方のニュース番組『Nスタ』を見ていた時、井上貴博アナウンサーが、土曜日が祝日の時に振り替え休日にならないのが不満という話をしたのですが、私の中では土曜日が休日という考えがなかったので、元々平日だったのが休みになるのだから、振り替え休日も何もないだろうに、井上アナは何を言っているのだろう?と疑問に感じた後で、井上アナが私よりも10歳若く、彼の時代には土曜日が休日で当たり前の時代になっていたことに気づき、ああ、10年の差でこんなにも、祝日や平日、それに伴う連休の感覚が違うのかと愕然としました。

当時は現在のように土曜日が休みで、祝日を月曜日にして連休を作るのではなく、祝日の日は固定されていて、土曜日も半ドンと呼ばれて、午前中だけ学校がありました。

ちなみに私は小学2年生の時に、福島県から長野県に転校したのですが、福島では土曜日は4時間目まであったのが、長野県では3時間目までしかなかったのに驚いて、1時間得をしたなって思いました。昭和時代に小学生、中学生(中学の終わりの頃は平成元年になりましたが)を過ごした私にとって、今でも土曜日は平日で、体育の日、スポーツの日は10月10日という感覚が強く残っています。

なので、土曜日が祝日で休みになって、日曜日と連続で連休になると、とても嬉しかったです。私よりも10歳下の世代の人たちにとっては、土曜日休みが当たり前で、ハッピーマンデーがあって、長期休み以外の連休に特別感を感じないと思いますが、昭和時代の小学生にとっては、土曜日が祝日休みになるのは嬉しいものでした。

今回の『男!あばれはっちゃく』79話の冒頭で、寺山先生が長太郎達に連休の予定を聞きますが、1981年の10月10日は土曜日で日曜日と続けて連休になっていました。だから、寺山先生は長太郎達に連休の予定を聞いてきたのですね。連休は今もありますが、長太郎達がこの土日の連休をどれだけ楽しみにしていたのかというのは、私よりも10歳下の人達には、あまり理解出来ないんじゃないかなって思います。

非を認めず他人のせいにして嘘で誤魔化す

さて、前置きが長くなりましたが、寺山先生の連休をどう過ごすかという話題にそれぞれが答える中で、みゆきちゃんが熱海に旅行することを話して、その間に飼っているインコのピーコを預かって欲しいとお願いをします。そのお願いに長太郎と克彦が名乗り出て、寺山先生の提案でじゃんけんをして、勝った克彦がインコを預かることになります。ピーコはみゆきちゃんのお母さんが飼っていて、長太郎ではなく克彦が預かってくれることに安心するのですが、預かっていたインコを克彦が逃がしてしまうのです。

克彦は長太郎のせいにし、克彦なりに責任を取ろうとインコを見つけたと別のインコをピーコと偽ってみゆきちゃんのママに渡したりします。電話でピーコが逃げたことを知って旅行先から戻ってきたみゆきちゃんとみゆきちゃんのママは、長太郎にはとても怒るんですが、偽物のピーコを渡した克彦に対しては、その誠意を汲み取って、みゆきちゃんのママは克彦のことを「優しい」というんですね。

みゆきちゃんのママの中では、長太郎は悪ガキで克彦は優等生という認識があるから、こういう態度の差になってしまうのかなって。ピーコが逃げたのを克彦が長太郎のせいにしたと書きましたが、長太郎が全く関係がないかと言えばそうではないのです。

事の経緯は、長太郎が章を誘って、ピーコを預かっている克彦の家に行って、ソファーに座った時におならをしてしまい、その臭さに章が顔をしかめ、文句を言ったことで、長太郎が窓をあけようとして、克彦が籠からピーコを取り出して手に持っていたのを見た章がピーコを逃げるのを心配して、窓を開けるのを止めるものの、克彦が開けても大丈夫と言ったので、長太郎が窓をあけ、その時にピーコが克彦の指を突っついてしまって、その痛みに克彦がピーコを離してしまって、開けた窓から逃げてしまったのです。

元を辿れば、きっかけを作ったのは長太郎のおなら。ただ、窓を開ける許可をしたのは克彦で手に持っていたピーコを離してしまったのは克彦。ピーコは自分になれているから逃げないという慢心が結果的にピーコを逃がすことになってしまった。克彦は自分の落ち度を話すことなく、結果的に窓を開けた長太郎だけのせいにし、責任を取るために偽物のピーコで誤魔化す手段を使いました。

克彦がしたことは、自分自身の非を認めず、人のせいにし、嘘で誤魔化すこと。そんな克彦が褒められて、長太郎が怒られるのは、本当に理不尽で合点がいきませんでした。

誤解が解けるも募るモヤモヤ

しかし、この理不尽はすぐに解消されます。克彦の姉である洋子さんが真実を話しにきて、桜間家に謝罪に来たからです。洋子さんは桜間家の前に大島家に立ち寄って、みゆきちゃんのママに謝罪をしていて、みゆきちゃんと一緒に桜間家に来て謝罪しました。

洋子さんのお陰で長太郎の濡れ衣は晴れたのですが、洋子さんの克彦を庇う謝罪の言葉やその謝罪の場に克彦がいないことに疑問を感じました。前回の78話でロッペイの悪さを庇って謝罪するフルカワさんに対して、長太郎がフルカワさんを怒った後に見ると、なんだか洋子さんの謝罪が克彦を許してもらうだけの謝罪にしか見えなかったのです。

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長太郎は洋子さんとみゆきちゃんの言葉に克彦を許しますが、私の心の中にはなんだか、モヤモヤが残りました。そのモヤモヤは、この後の克彦の態度でさらに膨らみます。そこに止めを刺したのが、克彦のこの話での最後の言葉でした。

洋子さんは、克彦が深く反省していると言いましたが、話の最後に出た克彦の言葉を耳にすると本当に反省をしたのか疑ってしまいます。克彦は反省したのではなく、長太郎やみゆきちゃんのママに悪いと思ったのでもなく、ただ、ピーコを逃がしてしまったことを落ち込んでいただけなのかと思いました。

青い鳥を探して

ピーコは青いインコ。次の日、長太郎とみゆきちゃんは次の日に一緒にピーコを探します。その前にも長太郎は章と一緒にポスターを貼ってピーコを探していましたが、今回は長太郎とみゆきちゃんだけ。克彦は逃げた直後に長太郎と章と探していましたが、途中で一人家に帰ってしまいます(この時に偽物のピーコを買って用意したのだろうと思います)

長太郎とみゆきちゃんの2人だけでピーコ探しをしているのを見ながら、なぜ、ここにも克彦がいないのだろう?と疑問に思いました。洋子さんの言うように克彦が反省しているのなら、洋子さんから話を聞いて克彦もピーコ探しに参加してもいいのになっておもったからです。

話としては、長太郎の夢の中で見た童話『青い鳥』のチルチルとミチルのように、長太郎とみゆきちゃんの2人で探させたかったのと、克彦役の織田さんのスケジュールが合わなかったのだろうと思いますが、そんな裏事情は関係なく、私は克彦がピーコ探しにいないことが不自然で引っ掛かりを感じました。

今回の話は『青い鳥』をモチーフにして、長太郎とみゆきちゃんをチルチル、ミチルに見立てて、青い鳥を探す話を作りたかったのだろうと思いましたが、『青い鳥』からは、2人の男女が青い鳥を探すところだけを拝借していただけに思いました。

『青い鳥』の話は、幸福の青い鳥を探し求めて遠くに探しに行くものの、実は青い鳥は身近にいて、そこから、幸せは遠くにあると思いがちだが、案外、身近に存在しているということに気づかせる話です。

私はせっかく『青い鳥』をモチーフにするのなら、この「幸せは身近なところにある」という『青い鳥』の内容を活かしたら良かったのに、と思いました。ただ、チルチル、ミチルに見立てた長太郎とみゆきちゃんが青い鳥を探すだけでは勿体ないと感じました。

私の好きな漫画で、水沢めぐみ先生の『ポニーテール白書』があるのですが、その漫画の中に『青い鳥』をモチーフにした話があって、それがちゃんと幸せは身近にあることを教えてくれる話で『りぼん』で連載を読んだ時に涙を流して感動しました。(そのエピソードはりぼんマスコットコミックス『ポニーテール白書』2巻に収録されています。興味のある方は電子書籍で買えますので読んでみてください)『男!あばれはっちゃく』79話も同じように『青い鳥』をモチーフしているのなら、『ポニーテール白書』並みに大切なことに気づかせて欲しかったです。

リアルタイムで経験したのは、『男!あばれはっちゃく』79話が先で、『ポニーテール白書』が後なのですが(『ポニーテール白書』の『青い鳥』をモチーフにした話は、1986年りぼん1月号に掲載された連載6回目の話でした)『ポニーテール白書』に既視感がないのは、79話が『青い鳥』を話の中で活かし切れていなかったからだと思います。

結果は悪くても

長太郎とみゆきちゃんは闇雲に探していくのではなく、図書館でインコの特性を調べて、インコがいそうなところを探していきます。こうした、現実的な探し方をしているのを見たときは凄いな流石だなって感心しました。私自身が小学生低学年の時にインコを飼っていて、逃がしてしまったことがあり、探しても見つけることが出来なかったので、逃げたインコ探しが絶望的に難しいことを知っているので、長太郎達の探し方に関心したのです。

長太郎とみゆきちゃんはピーコを探し回りますが、結局見つからず、長太郎は最後に神社に行って神頼みをして、おみくじを引きます。しかし、おみくじの結果は「凶」。しかし、長太郎はみゆきちゃんに「大吉」と嘘をつきます。長太郎はみゆきちゃんを励ますために嘘を言ったのだろうと思いますが、克彦が嘘で誤魔化そうとしたのを見ているので、長太郎のいわゆる優しい嘘にも、モヤモヤしました。嘘も方便とも言いますが、長太郎には嘘で誤魔化して欲しくなかったなあって。

みゆきちゃんを傷つけないように嘘を言うのではなく「占いなんてあてになんないよ!」とか「神様に頼るより、探したほうが早いや」とか言ってほしかったなあって思いました。結局、長太郎とみゆきちゃんは最後に神頼みして、帰途につき、みゆきちゃんは籠に餌をいっぱいにして、自分の部屋の窓のところに吊るして、窓越しに長太郎にお礼を言って、2人は床につくことに。

みゆきちゃんは自分の為に必死な長太郎の行動が嬉しく、長太郎はみゆきちゃんから感謝されたことがとても嬉しかった。その2人のやり取りや長太郎の喜びは、とても微笑ましくていいなって思いました。ピーコは見つからなかったけれども、こうして頑張ることは悪いことじゃないんだなって感じました。

それなのに

それなのに、翌日、長太郎が目覚めるとピーコの声が聞こえてピーコがみゆきちゃんが吊るした鳥かごの中に戻ってきているのです。ピーコが戻ってきたのは嬉しいことなのですが、どうして戻ってきたのかが分かりません。鳩のように帰巣本能があるのならともかく。長太郎達が図書館で調べた時にインコの性質について、帰巣本能があるという情報を持っている描写があれば、少しは説得力もありますが、それもなく(調べてみたらインコには帰巣本能がない事が分かりました)戻ってきたのがあまりにも唐突で、それまでの話はなんだったのだろう?長太郎とみゆきちゃんが1日中、クタクタになるまで探し回っていたのはなんだったのだろうと思いました。

長太郎自身も、信じられない夢じゃないかしら、とほっぺをつねったほどです。

『男!あばれはっちゃく』79話より

最後の最後でがっかり

最後に、ピーコが戻ってきたことを翌日の学校で克彦たちに報告をするのですが、その時にピマリ子ちゃんが「克彦君の願いが通じたのね」と言って、こともあろうに克彦が「そうかもしれない」と調子に乗るのです。さらには悦子ちゃんが克彦を持ち上げて長太郎を貶します。当然、長太郎は怒りますが、みゆきちゃんに宥められて怒りを抑えます。

私が前に書いた話の最後での克彦の言葉と態度にモヤモヤしたのはこれです。自分のせいでピーコを逃がしたのに、長太郎のせいにして、偽物で誤魔化そうとしたのに、最終的に最終的に長太郎とみゆきちゃんとピーコを探すこともしなかったのに、なんで克彦が持ち上げられるのかさっぱり分かりません。私が克彦が反省しているという洋子さんの言葉を信じらなくなったのは、この最後の克彦の態度でした。

克彦本人が「違うよ、僕は何もしていない。長太郎君の頑張りと祈りが神様に通じたんだよ」って言ってくれたのなら、最後の長太郎の神頼みにも通じて、克彦に対して怒りも感じなかったのに、最後の最後でこんなに嫌な気持ちを抱かせるなんて、と、がっかりしてしまいました。

この話は、ところどころにいいなって思う場面があっても、最後の最後でがっかりして、『青い鳥』を活かしきれていないところなどが残念で、とても不満の残る話でした。