柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

現実と重ねて

石立鉄男さんと杉田かおるさん

パパと呼ばないで』(1972年10月4日~1973年9月19日・日本テレビ)は、20数年前に再放送を見て好きになったテレビドラマです。杉田かおるさんの子役時代の代表作であり、世代によっては広く知られている人気ドラマです。杉田かおるさんと石立鉄男さんのドラマと言えば、この『パパと呼ばないで』を挙げる人が多いと思います。

私はこのドラマがとても好きで、このドラマが本放送時代に放送されていた枠で一連のユニオンシリーズのドラマで杉田さんと石立さんが共演していた『雑居時代』(1973年10月3日~1974年3月27日・日本テレビ)も好きなのですが、このドラマの共演で築かれた杉田さんと石立さんの関係が、ドラマの枠を超えて、とても好きなのです。

石立さんが亡くなられた時に、テレビのワイドショーのインタビューを求められた杉田さんが、「石立さんが、私なんかのために、ご自身の信念を曲げてまで、番組に出てくださって……」と言われて泣き崩れた姿を覚えています。かなり、昔の記憶なので、細かい言葉の間違いはあると思いますが、杉田さんが石立さんが自分の為に、尽力されたことに感謝をして、泣いていたことはよく覚えています。

石立さんは売れっ子の俳優でしたが、バラエティなどには出演せず、あまりプライベートを見せなかった俳優さんだったと記憶しています。コミカルな役も多く演じたけど、石立さんには俳優としても人としても生真面目で演技はとても巧いけれども、生き方は不器用だった人なんだという印象があります。

杉田さんが不遇時代に、石立さんが一緒にバラエティ番組に出演されるようになり、杉田さんが世間から叩かれていた時期に、石立さんが杉田さんの複雑な家庭環境のことを知りもせず杉田さんを非難するマスコミや世間に対して、庇う発言をされていたことを知り、改めて二人の絆と関係性に涙しました。

石立さんは杉田さんの学業を優先させて自身のスケジュールを組んでいたり、または、子役の杉田さんに対して、公私のけじめをしっかりつけさてていたこと等も知り、杉田さんにとって石立さんは、『パパと呼ばないで』の右京(石立さんが演じた役)とチー坊(杉田さんが演じた役)との関係と同等、それ以上の掛け替えのない存在だったのだなって、私は勝手に思うのです。

たまに、ドラマに現実の人間関係を持ち込んでしまう私ですが、それでもドラマと現実、実在の役者との関係は別物で、ドラマに現実の人間関係を持ち込むときは、メタ的に捉えているつもりの私でも、『パパと呼ばないで』と『雑居時代』に関しては、どうしても、私の中で現実とドラマの石立さんと杉田さんの関係をシンクロをさせてしまって、切り分けることが出来ず、主題歌を聞くだけで、ボロボロと涙がこぼれます。

雑居時代』で、杉田さんが演じる阿万理が寂しい思いをした時に、石立さん演じるジャックが優しく杉田さんを慰めている場面を見た時に、この優しい瞳は演技を超えていたんだろうなって感じてしまいます。石立さんほどの名優であれば、それは紛れもなく素晴らしい演技だったのでしょうけれども、現実でのお二人の関係を知るにつれ、演技ではないという、名優に対して失礼なことを思ってしまうのです。

 

 

語る話から広がる話

ヨットを小道具として生かす巧さ

『俺はあばれはっちゃく』21話「切手コレクションマル秘作戦」は、それ以前に出てきた長太郎のヨットを小道具として、巧く生かした話だと思いました。長太郎のヨットが本格的出てくるのが、2話「優等生フンサイマル秘作戦」からです。

ヒトミちゃんが長太郎を恵子ちゃんの誕生日パーティに呼びに来た時に部屋に通して、長太郎はヒトミちゃんに飾ってあるヨットについて、去年の誕生日に父ちゃんが手作りしてプレゼントしたものだと説明をしています。

この2話の脚本は山根優一郎さんです。21話の脚本は安藤豊弘さんです。またヨットは小道具として18話「友情と引っ越しソバマル秘作戦」でも使われています。ヨットは長太郎にとって、大工として腕のいい父ちゃんが自分の為に作ってくれた世界に二つとない自慢のヨットであり、腕のいい大工の父ちゃんを長太郎が尊敬していて、大好きであることの象徴になっているのです。

だから、18話ではそのヨットを使って、父ちゃんの大工としての確かさを吉井部長に伝えているし、大好きで世界で一番すごい大工の父ちゃんが自分の為だけに作ってくれたヨットを長太郎がヒトミちゃんの為にペペールさんに差し出すことが、どれだけの思いであったかが分かるようになっているのです。

2話で得意げにヒトミちゃんに話す長太郎から、どれだけの思いが父ちゃんからもらったヨットに込められているのかを使って、安藤豊弘さんは、18話と21話でヨットをキーアイテムとして使ったのではないかなって、私は思っています。

これは、毎週見ていると長太郎の部屋にヨットがあり、2話でのことや18話でのことを思い出すと、21話で長太郎がヨットを持ち出してペペールさんに頼み込むことがどれだけのことかが、より分かるようになっています。けれども、2話や18話でのことを忘れても、あるいは21話から見ても長太郎の思いが伝わるように話が構成もされているから、21話だけ見ても話が成立しています。

過去にヨットに関しては、記事を書いているので、そちらも合わせて読んで頂けると嬉しいです。

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ドラマに描かれない長太郎達の話はもっとたくさん

長太郎のヨットに関する話は、こうしたメインの話の中で、長太郎の話として語られるだけだったりして、ドラマの一つの話として存在していませんが、長太郎がヒトミちゃんや吉井部長、ペペールさんにヨットについて語る時、そこから、父ちゃんが長太郎の為に本物のヨットを観察して作り上げた姿や、それを誕生日にもらった長太郎の喜んだ日の桜間家の風景があり、そこに桜間家のドラマでは見ることが出来ない話があるのです。

ドラマの中では描かれないけれども、登場人物の語る過去の中にも、長太郎達のドラマが存在する。例えば、それは正彦の亡くなった母親のこと、公一の亡くなった父親のことなども含めて。それは初代『俺はあばれはっちゃく』に限らず、後の代の『あばれはっちゃく』シリーズにも言えて、ドラマの話以外にも、長太郎達の話は存在していて、長太郎達の話はもっと、ずっと奥が深く広がっているのだと、私は感じています。

12年前に書いた記事

万江仁士さんのYouTubeを見ました。下記の私の記事の一部も引用してくださり、ありがたかったです。

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『俺はあばれはっちゃく』21話については、上記リンク先の記事より7年前の2010年に書いた記事があって、手前味噌ですが、個人的にその今から12年前に書いた記事を気に入っています。

でも、12年前の記事なので、最近、私のブログを知った方や今は読んでる人も少ないかなって思いましたので、また読んでくれたら嬉しいなど思い、改めて12年前の記事を紹介します。

 

では、下のリンクから12年前の記事をどうぞ。

 

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ときどき思うこと

代弁

あばれはっちゃく』を見ていて素直に感じたこと、考えたこと、妄想したことをブログに書き続けていますが、初期の方がもっと無邪気に書いていたなって思います。最近は、作品から感じ取ったことや、自分自身を擁護するために作品の話を利用していて、こすっからいなって思います。

どうにも、私は出来損ないで弱い人間でありながら、自己評価、自尊心はやたらと高く、そのくせ、自分は何も出来ない、評価されていない人間だという劣等感をもっていて、そんな人間が生きていてもいいじゃないかという気持ちを、作品を通して代弁していると思うのです。

作品は私の存在を肯定するためにあるものではないし、評価されない、認めらないのは、私自身が気力をなくし、自分の能力を磨き、育てることを放棄した結果であって、誰のせいでもないのに、それで何も出来ない、人よりも仕事が遅くなっただけなのに、その現実の自分の能力を直視することが出来ずに、自己評価だけは高いから、現実とのギャップに不満を抱えて生きているんだなって思うのです。

怖い

私は小学生の頃から、ずっと漠然とした「怖い」という不安な気持ちを抱えて生きてきました。何かをやって失敗をして、取り返しがつかない事態になったらどうしようという恐怖もあり、何かをやりだす勇気がありません。常に高いところで細いロープを綱渡りしていて、落ちたら死んでしまうという気持ちを抱えています。

失敗する恐怖というのが生まれたのは、小学6年生の時の図工の時間に針金と粘土で人体を作った時に、当時の担任のS先生(男性)が、勝手に私が作っているのを取り上げて

「なんだこれは、変なもんだなあ。ほら、こことか見てみろ。全然なってないぞ」

とみんなの前で笑いものにしたことがきっかけです。S先生としては、悪い作品例として挙げたのでしょうが、変になったのを一生懸命修正していたのを、勝手に取り上げててそれを掲げて、みんなの前で下手くそだと言ったのは、とても恥ずかしく心が傷つきました。

それから、失敗すればやり直せばいいんだという考えは引っ込み、私がやると取り返しがつかなくて、全て台無しになってしまうという「恐怖」を常に抱えることになりました。

トラウマ

子ども時代の大人からの心理的暴力は、いつまでも、尾を引いて人生に影響を与えるんだなって、私は自分の経験から知りました。私の作品を笑いものしたあとで、A君の素晴らしく出来の良い作品を挙げて、S先生はご満悦に褒めました。それで私は、A君の作品に感心する一方で、自分の不出来をさらに感じて、さらに落ち込みました。

私がS先生嫌われていたのは明らかで、漢字ノートも綺麗な字の人は、マルを多くもらえたのですが、私はいつも最高の一歩手前でした。小学校入学前から習字を習い、字が綺麗な母から字を綺麗に書く特訓をし、転校する前の学校で、字の大会で賞も取っていた私でしたが、S先生から最高の評価を頂くことはありませんでした。

本当は、最高の一歩手前の評価すらしたくはなかったのでしょうけれども、認めたくはないが、そこそこ綺麗で、それ以下がいるから、評価しないといけないという忸怩たる思いで最高の一歩手前の評価にしていたんだと思います。当時、30代の先生でしたが、今思うと12歳の子ども相手に、教師でありながら、大人げない先生だったんだなって思います。

まあ、先生も人間だし

私は幼稚園、小学生時代は、男の先生よりは女の先生に評価されていました。私は年中から幼稚園に入りましたが、その時の男の先生は怖く私を馬鹿にする先生で、年長になって女の先生は厳しいけれど優しく、認めてくれる先生でした。小学1年生と2年生の頃の女の先生のS先生も私を認めてくれた先生でした。

転校先の2年の2学期から3年の女のY先生は普通、4年生の男のK先生は認めてくれず、2回目の転校先の5年生の時のI先生は男の先生だったけどいい先生で、6年生で担任が変わってきたS先生は、私には最悪な先生でした。先生としての周囲の評価、学校の評価は高い先生でしたが。

中学の時はクラス替えもなく、担任もずっと同じM先生でしたが、私を認めてくれた先生でした。今思うと、中学の時は担任以外でも委員会や他の教科の先生を含めて、恵まれていた時代でした。

認めて評価して褒めてくれる先生にも出会っていながら、傷つけられた先生の影響の方が大きく残ってしまっているのは、残念で悔しいことです。私に対してのマイナスの声が私に対するプラスの評価を消してしまっていて、現在の実力がないのに自己評価が高いという歪んだ私の心になっているように思います。

先生も人間だから、人の好き嫌いはあるんだろうし、嫌いで評価もしたくない児童や生徒がいるんだろうなって、大人になると思うんですけれども、それでも、教育者として子どもの人生を左右するような心の傷はつけて欲しくないなって思います。

相性のいい先生悪い先生

私が幼稚園、小学生時代に『あばれはっちゃく』の山内賢さんが演じる長太郎の担任の先生に憧れたのは、現実で相性の悪い先生に当たってしまったことも影響しているんでしょうね。

家業・親の仕事

 

お家で商売

わらさんがUPされている登場人物紹介の動画を見ながら、まだ、『男!あばれはっちゃく』の2年目をちゃんと見返していない私は、6年生から登場してくる小川マリ子ちゃんの家も八百屋だったかと思い出しました。

長太郎の同級生の家が八百屋をしているのは、初代『俺はあばれはっちゃく』の公一のところと、2代目『男!あばれはっちゃく』のマリ子ちゃんのところと、4代目『痛快あばれはっちゃく』の清のところかな。長太郎の家が商売をしているという設定は、2代目から入ってきた設定ですが、長太郎の同級生に目をやると、家業をしている同級生の存在は既に公一の家で存在していたんですよね。

それに、2代目の1年目にも和美ちゃんの家はクリーニング店でこれもおうちで商売をしていますし、クリーニング店は4代目『痛快あばれはっちゃく』の桜間家の家業になっていたりしますしね。こうしてみると、八百屋だけでなく、シリーズ通して同じ家業がたまに出てきていたなって思いました。それと、2代目の1年目は洋一の家も銭湯でした。2代目はみゆきちゃんの家も開業医なので、2代目は家業をしている長太郎の同級生の家が多かったですね。

4代目は信彦の母親が経営し、父ちゃんが務めているつくし美工は株式会社なんですが、これも家業と言えば家業になるのかな。他に4代目はマヤの家が配達業をしていましたね。5代目は長太郎の家以外で、家でお店をしていたのは、ワタルの家のラーメン屋ぐらいでしょうか。ラーメン屋はもっと前の段階であっても良かったと思いますが、単発の話やゲストの子どもに関連する話ではあっても、レギュラーとしては最後になったのは、意外だったなって思いました。

その店だからこそ

長太郎の同級生の家の家業にちなんだ話も、『あばれはっちゃく』シリーズの中には多くありましたね。主人公の長太郎の家や父ちゃんの仕事関連とは、また、別に。そうした中では、和美ちゃんの家で病院の仕事を取ることが出来るどうかという、『男!あばれはっちゃく』17話「ボタン戦争」の話が私は一番に頭に浮かびます。

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原作と初代『俺はあばれはっちゃく』の母ちゃんが専業主婦で、初代長太郎の家がお店をしていなかったのに、2代目の母ちゃんが職業をするようになって、母ちゃんがお店をするようになった経緯は、私には分かりませんが、なんとなく主人公の家がお店をしていた同じ国際放映作品のケンちゃんシリーズに倣ったのではないかな、なんてことを個人的には思っています。

それぞれに特徴のある店、家業だからこそ生まれるエピソードの話もあれば、あんまり家業には関係がないけれども、それが事件の発端になって始まる話もあって面白いなと思います。長太郎の家も家業をするようになったのは、公一の家だけよりも幅が広がると思ったからなのかな。

原作だと公一の家は商売をしていないので、これはドラマオリジナル設定なんですが、家業をしている家の子をレギュラーにして、その家業をから始まる話を全体の話の中に入れるというのは、ドラマを作るのに変化を持たせたり、まだ、子どもには縁のない仕事に対して、仕事とはどんなものかというのを伝える役割もあったりしたのかな、なんて思います。

親の職業

あばれはっちゃく』シリーズを見ていくと、親の職業がそれぞれの家の子ども達に大きく影響を与えていて、それが物語になっているように思います。親の職業で、いろいろと言われたり、羨ましがられたり、差別されたり……。親の職業で子どもが嫌な思いをしたり、差別されることはあってはいけないと思うのですが、ドラマの世界でも、現実でも、そういうことはあったりする訳でいろいろと考えてしまいますね。

4代目のまゆみちゃんや広田先生の場合、親が教師だったことで、贔屓をされているとかテストで有利にされていると思われて、仲間外れにされたりして、嫌な思いをしていたりします。

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反社会的な職業ではない限りは、職業に貴賤はないと思いたいのですが、それも綺麗ごとと言われたらおしまいですからね……。人って、他人のことは表面に見える良い部分だけが目立って見えて、大変だったり、苦労している面は見えてこなくて、いい面だけを見て、あの人はいい思いばかりして狡いって考えてしまうんでしょうか。

いろんな立場の職業や家業を見せて、それにちなんだ話をドラマで見せることで、その仕事なりの大変さや、その家族や子どもの気持ちを知ることで、それぞれにいい面だけでなく、大変さや辛さや、寂しさを知ることで、自分は経験していないけれど、それぞれに大変な中を頑張っているんだな、自分も一緒に頑張ろうという励みに繋げて、他者を羨んで、憎むような考えを少なくして欲しかったんじゃないかなって思ったりもします。

もしかしたら、そこまで、考えていなくて、話のバリエーションを増やしてみたかっただけなのかもしれないけれど。作品を見て、少しは違う立場の人のことを考える頭と心が育まれていたら、世の中はもっと優しい世界になっていただろうな、なんてことを思いました。

『男!あばれはっちゃく』48話「デコボコ母ちゃん」感想

『男!あばれはっちゃく』48話より

1981年2月28日放送・脚本・三宅直子さん・川島啓志監督

8年前に書いた感想

『男!あばれはっちゃく』48話に関しては、8年前にブログ記事を書いていて、基本的に感想は8年前と変わっていませんので、出来れば、8年前の感想記事を下のリンクから読んで頂けると嬉しいです。

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改めて見て思ったこと

基本的な感想は8年前と同じなのですが、今回、改めて見て思ったことは、母ちゃんと章の母ちゃんが和解をする場面を見て、8年前は特に母ちゃんの方に気持ちを入れてみていたこともあって、母ちゃん目線での感想になっていたなって思うのですが、今回は章の母ちゃんの目線というか、感情が素直に入ってきました。

母ちゃんは長太郎が当てこすりで、章の母ちゃんに自分の家の料理の世話やら、章の家に泊まってきたことを話していたと思っていたのが、章の母ちゃんから長太郎が母ちゃんと章の母ちゃんの双方のことを思って立てた、デコボコ作戦だったと聞いて、長太郎の思いやりを知ります。

長太郎の善意を母ちゃんが悪く受け止めていることに、章の母ちゃんが悲しそうな顔をしているのが、とても心に沁みました。もちろん、母ちゃんが嫌がっていることを知って、章の母ちゃん自身の心も傷ついたと思うのですが、長太郎の善意が悪意として受け止められていることがとても悲しかったんだなってことの方が強く感じたのです。

『男!あばれはっちゃく』48話より

相手の為にしたことが、相手を苦しめていて、悪く取られてしまっていることほど悲しいことはないなって思います。長太郎のやり方も、無神経なところはあって、母ちゃんが嫌な思いを感じたりするのも仕方がない部分はあると思うのですが、こうした感情の行き違いというか、自分を否定されているという前提から人の行為や言葉を見ていくと、人は自分が大切にされているという考えを排除してしまうものなのかなって思いました。

実際に、この話の長太郎や母ちゃん、章の母ちゃん、カヨちゃんのような立場に立った時に、人は自分の感情を中心に物事を見てしまい、相手が自分に対して善意で動いている、良い感情のみで対応してくれているという気持ちを忘れてしまうことはあるなって、私は自分の経験と重ねて思いました。人には、もちろん悪意や人を陥れようとしたり、自分の非礼を棚に上げて被害者面をして、逆恨みをする負の感情も持ち合わせていますが、この『あばれはっちゃく』の場合は、善意のすれ違いが負の感情を生みだしていたように感じました。

やっぱりビタミンちくわだろう!

ところで、今回長太郎が学校から帰ってきて、作ってあったおでんを食べる場面があるのですが、長太郎が真っ先に食べたおでんのちくわを見て、私は「これは、やはりビタミンちくわだ!と思いました」違うかもしれないけれど、このタイプのちくわを目にするとビタミンちくわだと思ってしまうのは、長野県出身者のサガですね。

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『男!あばれはっちゃく』48話より

長太郎の歌う「いい湯だな」

さて、48話では母ちゃんがお爺さんの家に訪問で散髪をするエピソードがあり、長太郎がそのお爺さんを銭湯につれていく場面があるのですが、その帰りに長太郎がお爺さんをおんぶしながら歌う歌が、ザ・ドリフターズの「いい湯だな」です。『あばれはっちゃく』シリーズの本放送は、テレビ朝日で毎週土曜日の夜7時半からでした。

この時代の土曜日は8時からTBSで『8時だよ!全員集合!』が放送されていて、『あばれはっちゃく』の裏番組ではなかったのですが、だいたい『全員集合!』を見る場合、その前の『大橋巨泉クイズダービー』(TBS)からの流れで見るか、『あばれはっちゃく』を見てから、TBSにチャンネルを変えて見るかに分かれていたと思います。全くの真裏番組ではなかったとはいえ、他局のチャンネルを思い出させる歌を主役の長太郎が歌うとは!

『男!あばれはっちゃく』48話より

とはいえ、そんなことは関係なく、『全員集合!』も「いい湯だな」も当時の国民の殆どが知っていて当たり前すぎるほど馴染んでいた番組であり、歌でもありましたよね。そういえば、私は見たことがないのですが、ザ・ドリフターズの『全員集合!』の前に、ドリフターズの事務所の先輩である、クレージーキャッツの番組があったと聞いたことがあります。

クレージーキャッツのメンバーは、『男!あばれはっちゃく』のみゆきちゃんのパパ役に安田伸さん、『痛快あばれはっちゃく』のまゆみちゃんのパパ、春日教頭先生役に犬塚弘さん、『痛快あばれはっちゃく』のゲストに谷啓さんが出演されているので、なんか縁があるなって、勝手に思いました。

『男!あばれはっちゃく』47話「あばれラーメン」感想

『男!あばれはっちゃく』47話より

1981年2月21日放送・脚本・安藤豊弘さん・松生秀二監督

ラーメンはあまり関係ないかな

今になって、このサブタイトル「あばれラーメン」を見ると、三宅直子さんが関わった「はっちゃくラーメン」のことを思い出してしまいます。この47話「あばれラーメン」の脚本は、三宅さんではなく、安藤豊弘さんですが。

さて、サブタイトルにあるラーメンに関しては、話を見てあまり話には関連していないなって思いました。今回の話に関わる人達と出会うきっかけにラーメン、屋台のラーメン屋は関わってはくるのですが、なんといか、出会いのきっかけの小道具になっているだけかなって思いました。

長太郎は同じ学校の上級生でサッカー部のキャプテン浜田が、部員に追いかけながら走ってきた時にみゆきちゃんを突き飛ばしてしまい、それを知った長太郎が浜田に掴みかかっていきます。長太郎が学校から帰ると、母ちゃんに父ちゃんへの届け物を頼まれ、帰りにラーメンでも食べておいでと言われ、長太郎は屋台のラーメンに寄ります。

この屋台のラーメンをやっているおじさんが浜田のお父さんで、そこで長太郎は浜田に会います。また、そこに浜田のお姉さんが来ていて長太郎はこの3人の親子関係を少し目にします。

この場面の前に浜田が学校から帰ってきて、家にある結納品に当たり散らしている場面があったり、屋台の手伝いにきた浜田のお姉さんがもうすぐお嫁に行くという会話があることから、それまで明るく元気だった浜田がサッカー部の活動をしなくなり、みゆきちゃんを突き飛ばしてもぶっきらぼうだった理由が、お姉さんの結婚にあることが分かってきます。

今回はラーメン屋の浜田家の問題に長太郎が関わっていく話で、ラーメンもこの話にはちょくちょく登場してくるのですが、特にラーメン屋ではなくても、お姉さんがもうすぐ嫁いでしまう寂しさから、ひねくれた弟の心を長太郎が立て直すという話の筋を見ると、取り立てて、ラーメン屋に拘る必要もなかったかな、と思いました。

それよりも、長太郎がその屋台のラーメン屋でラーメンを食べている時に流れていた小柳ルミ子さんの「瀬戸の花嫁」の歌の方が、今回の話とシンクロしているなって思いましたね。「瀬戸の花嫁」は嫁いでいく花嫁を歌った歌なので、今回の浜田姉弟の関係と重なります。丁度、長太郎がラーメンを受け取った場面で「幼い弟、行くなと泣いた」の歌詞が出てきますから、より一層そう感じます。

『男!あばれはっちゃく』47話より

横道にそれて

瀬戸の花嫁』はこの場面でしか流れていなくて、特に作品のBGMでもないのですが、今回の話とシンクロしていているので、今回の話は『瀬戸の花嫁』をモチーフにした話なのかなって、私は個人的に思っています。

さて、『瀬戸の花嫁』は小柳ルミ子さんが1972年に歌って長くヒットした曲ですが、この『瀬戸の花嫁』を歌った小柳ルミ子さんも、また宝塚歌劇団のOGの一人です。世間一般に広くヒットした歌で普段の町の中でも流れていて、ドラマの中でも屋台の店で流れていた一般的な歌、ドラマの些細なBGM、それも歌を少し使われただけですが、これも宝塚歌劇団のOGが『あばれはっちゃく』に出演した例の一つなのかもしれないなって思いました。

小柳ルミ子さん自身にとっては、自分の歌がドラマのBGMに少し使われた程度であり、出演者の名前もなく、本人の姿も登場していませんし、出演歴に数えることは、一般的にもないと思いますが、こんな形でドラマの話に関係してくるのは、面白いなって思いました。

小柳ルミ子さんは56期生で首席で宝塚歌劇団に入団しています。この56期生はスターを多く輩出した期であり、有名なところでは元雪組トップスターの麻実れいさん等がいます。現在の宝塚歌劇団は1学年で40人前後ですが、56期生は70名(宝塚音楽学校入学時は72名、一人中退、一人入団辞退)その中での首席であったこと、同期のスターの活躍を知ると、小柳さんの凄さを感じます。56期生の中に入団を辞退している人がいますが、この人はNHK朝ドラ『てるてる家族』の主役のモデルになったなかにし礼さんの奥さんの石田ゆりさんです。

小柳さんは芸能界デビューの為に宝塚音楽学校を首席で卒業することを目標にしていたので、すぐに宝塚を退団して、歌手デビューをしてしまいます。大雑把に分けて(違う人もいますが)、宝塚は宝塚の舞台に憧れて入団してくる方と、歌手や映像メディアの役者としてデビューするために入団されてくる方がいて、小柳ルミ子さんの場合は後者のタイプでした。

それでもラーメンで面白さ

ラーメンがあまり関係がないとは言っても、ラーメンの屋台で出来る面白いことも、この話では見せてくれました。それは、お釣を多くもらった長太郎がそれを返しに行った時に、足を怪我したおじさんの代わりに屋台をやったこと。浜田も誘いますが、断られ、長太郎と章の2人で屋台をすることに。そこに父ちゃんと寺山先生が来ての大騒動。

『男!あばれはっちゃく』47話より

長太郎が釣り銭を多くもらうとこも、その前に別の客でも釣り銭を間違えている場面があって、それがちゃんと伏線になっていたりしります。また、長太郎の狡くちゃっかりしている一面と、ちゃんと筋を通す男らしい一面が、釣り銭を使って両方表現されていて、この長太郎の真っすぐでくよくよしないさっぱりとした性格が、後でお姉さんがお嫁に行くことに対して、くよくよしていた浜田を一喝するのに説得力を持たせていると感じました。

長太郎が勝手に屋台をしたことは、衛生的にも問題で、そもそも小学生だけで屋台をすることがもっての他なんですけれども、潔く悪いことを認めて謝る姿、きっぱりとした態度、父ちゃんと寺山先生にばれた後での堂々とした姿は見ていて、気持ちの良い物でした。また、この時の長太郎と正反対の態度だったからこそ浜田の姿も印象に残りました。

『男!あばれはっちゃく』47話より

別れの寂しさ

長太郎を見習えと言われても、お姉さんの結婚には納得できない浜田は花嫁衣裳に当たり散らしたりして、父親と大喧嘩をしていまいます。そこへ長太郎がきて、浜田と取っ組み合いになり、浜田の性根を叩き直します。長太郎が浜田に言った言葉というのは、浜田自身にも分かっていることだとは、思うのですが、そこに気持ちが追い付いていないんじゃないかなって思いました。

頭で理解していても、感情がついていかないことってありますからね。それに、永遠の別れではないにしても、嫁ぐことで姉と離れてしまう別れの寂しさというのは、あるものですから。今はどうか分かりませんが、私自身、親戚で仲良くしていたお姉さんが結婚して、それからはそのお姉さんに親が嫁ぎ先に気兼ねしてからは、会わせてくれなくなった時は、とても寂しかったですからね。

今回の一件で、浜田親子と関りをもって、真剣に浜田と向き合って本気でぶつかった長太郎は、やっぱりいい奴だなって、そんなことを改めて思った話でした。

『男!あばれはっちゃく』47話より