柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

初代長太郎が見ていたドラえもんの話から(ドラマを見て分かる設定96)

いつの出来事?

10年前に下記の記事で初代長太郎が37話「父ちゃん社長だマル秘作戦」の中で『ドラえもん』を視聴していることを書きました。

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10年前は長太郎が見ているテレビの音声から『ドラえもん』のソウナル錠の話だと推定しましたが、その時はこのソウナル錠が『ドラえもん』の何話でいつ放送されたのかが分かりませんでした。それから10年後の現在になって再調査してそれが分かりました。

ドラえもん』は『俺はあばれはっちゃく』と同じ年1979年に4月に放送が開始され、当時は月曜日から土曜日までの夜6時50分~7時までの10分間の帯番組でした。

また、1979年から帯番組として始まった『ドラえもん』は日曜日には月曜日から土曜日までをまとめて30分番組として、日曜日の朝8時半から9時まで放送していました。これが日曜日版です。

では長太郎が見ていたのは帯だったのか日曜日版だったのかを見てみます。

37話で長太郎がテレビを見ていた時に、母ちゃんが夕食の支度をしながら、父ちゃんに八百勝(公一の家の八百屋の名前)で働くことを話します。

次のシーンの長太郎とてるほの登校シーンでも、てるほが夕べ母ちゃんが働くことを話したことを話題にしていることから、長太郎が『ドラえもん』を見ていて、母ちゃんがパートの話をしたのが夕べの出来事と確定出来るので、長太郎が見ていたのは帯の『ドラえもん』だと分かります。

 長太郎がテレビで『ドラえもん』を見ているのが以下の場面です。部屋のカレンダーも9月と10月になっています。

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『俺はあばれはっちゃく』37話より

長太郎の見ていた『ドラえもん』の映像を見る事は出来ませんが、音声は聞き取れます。以下が聞き取った範囲での37話で長太郎が見ていた『ドラえもん』の音声です。

のび太:「うわぁ」

ドラえもん:「どうして、そう、ろくでもない事ばかり考えるの ソウナル錠の効き目が切れたから助かったんだよ」

しずか:「何してるの」

ドラえもん:「これを飲んだんだよ」 

この音声から長太郎が見ていた『ドラえもん』は1979年9月24日月曜日放送の151話「ソウナルじょう」と断定。長太郎が見ていたアニメ『ドラえもん』の話は下記のDVDに収録されています。また、原作はコミックス3巻に収録されています。

ドラえもん タイムマシンBOX 1979(12枚組) [DVD]

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なお、『俺はあばれはっちゃく』37話は1979年10月27日に放送されています。過去にも下記の記事で書きましたが、『あばれはっちゃく』の収録は放送日の1ヵ月前に収録していると推測出来ます。

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長太郎が見ていた『ドラえもん』の話が9月24日、『俺はあばれはっちゃく』37話の放送が10月27日なので、ほぼ1ヶ月の開きがあります。以上のことから、長太郎が見ていた『ドラえもん』の話から推測して、37話は9月24日前後の話だったといえるのです。

37話は父ちゃんが正彦の父親に職場で叱責されるところから始まります。ついでその日の夜に桜間家は外食をし、翌朝、父ちゃんは昔なじみの知り合いを訪ねて仕事を探し回ります。その夜に長太郎が『ドラえもん』を見ているところへ、母ちゃんがパートの話を切り出しています。

この時間の流れから、冒頭が9月23日の日曜日の出来事、次の日が9月24日月曜日の出来事と推測出来ます。

日曜日に登校していた長太郎

父ちゃんの職場はスーパーなので日曜日も仕事があると考えてもいいとして、問題は37話で長太郎が登場した時に家の玄関をあけてランドセルを投げる場面です。ランドセルを投げて登場する長太郎を見たら、それは長太郎が学校から帰ってきた場面だと解釈します。

しかし、長太郎は次の日に月曜日の『ドラえもん』を見ているのですから、その前日は必然的に日曜日となり、長太郎は日曜日に登校していたのか!となるわけです。

もっとも、当たり前ですが収録では実際に放送された『ドラえもん』の映像か音声の録画か録音を使って、撮影をしてたわけで、実際に『ドラえもん』の放送時間に合わせて収録されたわけではありません。

「ソウナルじょう」の話がまとめ再放送の日曜朝8時半からの日曜日版だったら、前日が土曜日になり、長太郎の37話での初登場シーンも問題がないのですが、そうではありません。放送日に合わせておおよそいつの出来事かを設定するものの、話の中の細かい日にちを設定しているわけでもありません。

もしも、長太郎が見ていた『ドラえもん』が「ソウナルじょう」ではなく、火曜日から土曜日の間に放送されていた話だったら、問題は発生しなかったのです。

おう!なんということでしょう!

詰めが甘かったとしかいいようがないではありませんか!

と、冗談はさておいて、この矛盾を久しぶりに強引な素人の一般ファンの私が妄想で辻褄を合わせてみましょう!だいたい、予測がついている人もいますと思いますが、長太郎は一人日曜日に補習授業を受けていたのです。

長太郎はドン平と散歩をしようとすぐにドン平に駆け付け、母ちゃんが長太郎に声をかけた時に用事があるから、留守番は無理だと答えていますが、その用事は補習授業の続きで佐々木先生の家に行くことだったのではないか!と思うのです。

もしくは、なにかクラスの係りの仕事から帰ってきたのかもしれません。

※見直してみたら、長太郎はドン平に「泥棒をとっかまえる訓練をしようか」と語りかけていました。(2020年8月18日追記)

これらは、全て私の妄想です。

しかし、台詞や時間経過、長太郎が見ていた『ドラえもん』の話を手掛かりに、それを矛盾なく成立させるためには、ドラマで描かれず、語られない部分、見られない場面をその前後の場面や台詞、実際に映像や音声で確認できる事実から、見られない場面を想像するのも作品世界をより深く広く楽しめると私は思います。

さて、みなさんはどのような妄想をされましたか?

ハッピーバースデー

今日は私の誕生日

今日は私の誕生日。

おめでとう私。

よくぞ今日まで生きてきた。

難産で母子どちらかが死ぬかもしれないと言われた46年前。

出産予定を過ぎても生まれてこなかった私。

父の転勤が一か月伸びてしまった。

父と母の初めての子で予定日を過ぎて母子どちらかが危ないと言われた中で、逆子で帝王切開で生まれてきたな。

輸血が必要かもと言われて父と母の職場の人達が待機してくれたけど、その必要はなかったと聞いた。

そのことを友達に話していたら、横で聞いていただけの高校の同級生が

「その時に死んでいれば良かったのに」

って聞こえる嫌味を言ったのには、深く傷つき、30年後の今もその言葉が蘇って心をグサグサ刺していくけど、それでも生きてきた。

お前に話していたんじゃないよ、勝手に盗み聞きしといて、私の心を傷つけていくんじゃねぇよ!

人に嫌われることの方が多くて、今も馬鹿で無責任で何も出来ない役立たずって罵られる。

そのたびに死にたくなるけど、それでも生きてきた。

生きているゴミ屑と思われても、何度死にたいと願っても、それは楽になりたかっただけで本当は死ぬのは怖いから生きていたかった。

死ぬ勇気がないから、今まで生きてきた。

乾癬を発病して今年で30年、もう31年目に突入した。

関節炎も併発して、指も思うように動かせず、綺麗だって言われていた文字もペンを持つのも辛くなった。

それでも生きてきた。

職場の調理場でいきなり背中に激痛が襲って立てなくなった時は驚いたな。

大きな病院で検査しても分からなくて、仮病を疑われ罵られたけど、通院していた皮膚科の先生に言ったら乾癬からくる症状だって教えてもらって、教えてもらった小さな接骨医のおじいちゃん先生の言葉に涙したな。

「これまであなたと同じ痛みで苦しんだ人をたった一人だけ知っているよ。ものすごく痛いんだよね、よくこれまで頑張ってきたね。治りにくい病気だけどもその一人はある日痛みが消えたんだよ。だから、あなたもきっと痛みが消える日がくるよ」

ここでは満足な治療は出来ないからと検査してもらった病院よりもさらに大きな病院の専門家の先生のいるところに紹介状を書いてもらった。

それから10年近くなる今、良い薬が開発されて、あの頃よりは痛みが半減した。

それでも天気の悪い日は痛む。

寝てても、座っていても、立っていても背中を激痛が襲う時もある。

だいぶ減ったからなんとか生きてる。

お医者様、看護師さん、薬を開発してくれた薬剤師さん、ありがとう。

私が生まれてきた意味なんてないんだろうけど、こうして今も存在している。

いつまで存在しているか分からないけど、生まれてきたからには楽しく平和に幸せに生きたい。

父も母も亡くなり、妹とは絶縁して、私が生きていることを不愉快に思う人やそもそも関心もなく存在も知らない人や私と出会っていても忘れてしまった人が多いと思う。

当たり前だよ、一般人だもの、それに幼馴染、幼稚園、中学、高校、短大の同級生、下級生、上級生、先生達の大半は忘れているよ。

必要とされていない人間で死にたいって思う時もあるけど、死ぬ勇気もないのでもう少し生きてみようと思う。

8月4日・吉田友紀さんの誕生日

アクセスの多い記事

私のブログで一番、アクセスが多いのが下記の記事です。

kakinoha.hatenadiary.com

その次に多いのがこちらの記事になります。

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今から、ちょうど4年前の記事です。

この記事のアクセスの高さから、吉田友紀さんについて知りたい人たちが大勢いることを改めて知りました。

現在はいろいろなサイトで吉田友紀さんの情報を得ることが出来て、ここにアクセスされる人達の中には、SNSを通じて交流されている方達もいるのではないかと思います。

私は吉田友紀さんの演技がとても好きで、過去にも記事に書きましたが、目で感情を表現する力がとっても好きです。

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それに、こちらがドラマ内での役の性格が素ではないかと錯覚してしまう高い演技力。

当然、役の下地にご本人の性格があるにせよ、いろいろと見ていると当たり前ですが、やっぱり別人なんだなって感じられて、役者って本当に七変化するんだなって思いました。

6年前に『あばれはっちゃく』の監督の一人である山際永三監督とお会いしてお話を聞きましたが、その時に吉田友紀さんがとても謙虚で『あばれはっちゃく』の成功も自分一人の力ではなく周囲のお陰であると仰っていることを聞いて、あれだけの才能があり結果を出しながらも奥ゆかしく素晴らしい人だなって思いました。

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『俺はあばれはっちゃく』DVDBOX2付属のブックレットに吉田友紀さんのインタビューが掲載されていて、そこで吉田さんはご自身の性格を分析されていて、そちらも吉田さんの人となりを知る手がかりだと思います。

長太郎と共通する部分、共通しない部分があって、私が知るのは様々なドラマで演じている吉田さんの姿しかないのですが、それが今は思い出の中だけでなく、DVDなどで好きな時に見返すことが出来るのは、俳優、吉田友紀さんのファンの一人として幸せだなって思います。

パパは独身とそれ行け!カッチン、電脳警察サイバーコップ

吉田さんが出演されたドラマを私はまだ全て見ていなくて、現在は見られない作品もあるのが残念ですが、そんな中で、吉田友紀さんが出演されたテレビドラマ『パパは独身』が来月発売されます。

この作品は岡江久美子さんが出演されていたドラマで、発売のきっかけが岡江さんがお亡くなりになったことが大きく関与しているので、気持ちは複雑なのですが、私は岡江さんも大好きな俳優の一人なので、今から発売を楽しみにしています。

また、この『パパは独身』は1976年にTBSテレビのブラザー劇場で放送された一作品で私が2歳の時のテレビドラマなので見るのが初めてなのも含めて楽しみです。

ブラザー劇場は『白馬の剣士(第二期)』(1964年8月3日~10月26日)から始まり、『コメットさん(大場久美子さん版)』(1978年6月12日~1979年9月24日)まで21作品作られたブラザー工業一社提供のTBSテレビの月曜19時半からのドラマ枠。

私がこのドラマ枠をリアルタイムで見ていたのは、『刑事犬カール』(1977年9月12日~1978年6月5日)の終わりの頃から最終作の『コメットさん(大場久美子さん版)』で当時4歳くらいの頃から5歳の頃でしたので、この2作品よりも前の作品を見たことがなかったので、現在この枠のドラマもDVD化されていくのがとても嬉しいです。

『パパは独身』は『あばれはっちゃく』と同じ国際放映作品であり、おそらくは吉田友紀さんが『俺はあばれはっちゃく』前に出演した国際放映作品になると思います。

『パパは独身』の前に同じく国際放映作品の『それ行け!カッチン』(1975年11月24日~1976年5月31日)にも吉田友紀さんは27話にゲスト出演されています。

9年前に『それ行け!カッチン』27話にゲスト出演した吉田友紀さんの感想を書いたのが下の記事です。

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この『それ行け!カッチン』もDVD1巻、2巻が出ていましたが『俺はあばれはっちゃく』同様に現在は廃盤になり、中古が高値で発売されています。

ですが、今年の10月にBlu-rayが発売されることが決まりましたので、こちらもお勧めです。

『それ行け!カッチン』には、『あばれはっちゃく』でお馴染みの山際監督や脚本家の田口成光さんも参加されており、また、吉田さん以外にも『あばれはっちゃく』シリーズに出演された子役の方達も出演されていますので、『あばれはっちゃく』が好きな人達が見ても私と同じように楽しめる人が多いのではと思います。

吉田さんが出演されたドラマは、まだまだたくさんあって、現在は視聴出来ない、難しい作品もありますが、こうして見る機会が生まれた作品は広く多くの人の目に触れて欲しいと思います。

吉田友紀さんが22歳の時に主演した特撮ヒーロー『電脳警察サイバーコップ』もYouTubeで公式無料配信されているので、ぜひ見てください。


電脳警察サイバーコップ第1話『最強の刑事!ジュピター登場』<期間限定セレクション配信>

私は俳優、吉田友紀さんのファンの一人として長太郎以外の違うドラマの違う役を演じた吉田さんを多くの人達に知って欲しいと願って、私が見れた作品に関してはこのブログで書き綴ってきたので、『あばれはっちゃく』シリーズ以外の吉田友紀さんの出演された作品についても、目を通して頂けたら嬉しいです。

あばれはっちゃく』シリーズ以外の出演作品に関しては、カテゴリー「吉田友紀」「気まぐれ本格派」「鉄人タイガーセブン」「電脳警察サイバーコップ」「教室205号」「すぐやる一家青春記」「映画」「子役」「ドラマ」等のカテゴリーで書いています。

吉田さん、54歳のお誕生日、おめでとうございます。

「めちゃんこ」という言葉

特に気にもかけなかった言葉

みなさんは「めちゃんこ」という言葉をいつ知って使うようになりましたか。

「めちゃんこ」は愛知県の方言なので、愛知県出身の方、その周辺の方々は当たり前に使っている言葉だと思いますが、それ以外の地域に住んでいる人で管理人の柿の葉(1974年生まれ)と同世代の人達の人にとっては、1981年からアニメ化され放送された『Dr.スランプアラレちゃん』の中で使われたことをきっかけに知った言葉ではないかと思います。

Dr.スランプアラレちゃん』は鳥山明先生の漫画『Dr.スランプ』を原作にした東映動画のテレビアニメで、1981年4月8日~1986年2月16日までフジテレビで毎週水曜夜7時から放送された人気テレビアニメでした。

原作者の鳥山明先生は愛知県名古屋市の出身で、同作品には鳥山明先生の出身地の愛知県の方言が多く使われ、その言葉が流行り、当時の私たちの子どもたちの間でその言葉が定着しました。

その中でも特に今も使われ、定着した言葉の一つが「めちゃんこ」だという認識があります。

「めちゃんこ」は1981年7月に発売された『アラレちゃん音頭』の歌詞にも多用に使われ、夏季期間のエンディングは『アラレちゃん音頭』が使われ、愛知県外の人にも馴染み深い言葉になっていきました。

それなので、子どもの頃の私は『熱血あばれはっちゃく』(1982年4月10日~1983年3月26日)の頃に劇中で長太郎が「めちゃんこ」という言葉を使っていても、特に気にしたことがなく、それは大人になってからも同じでした。

今回、下記の記事でこうさんから頂いたコメントを見て、その気にしなかった「めちゃんこ」という言葉について考えました。

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こうさんは、『熱血あばれはっちゃく』の1話で長太郎が「めちゃんこ」という言葉を使っていて、『ブッチィ―音頭』でも「めちゃんこ」という言葉を使っているということに着目していました。

上記に書いたように私は「めちゃんこ」は『Dr.スランプアラレちゃん』をきっかけに全国区で広く知られ使われた愛知県の方言であり、1980年代の流行り言葉の一つだという認識でしたので、「めちゃんこ」という言葉に特に注意をしていませんでしたし、重要ワードだと思ってもいませんでした。

物心つく前の時代

こうさんのコメントを読んでみますと、『あばれはっちゃく』のDVDに最近、嵌って、私のブログに辿り着いたことから、『あばれはっちゃく』本放送当時はまだ生まれていなかったか、物心がついていなかったのではないかと思いました。

違っていたらごめんなさい。もしも、『あばれはっちゃく』シリーズ本放映の時代に物心がついていて生きていれば、「めちゃんこ」という言葉が『アラレちゃん』をきっかけに普通の言葉として、日常会話、他の作品に使われていた時代の空気、雰囲気を体験していて、『熱血あばれはっちゃく』『ブッチィ―音頭』だけの言葉ではないと気付くと思いますし、そこに共通点を見つけ出すことはないと思うからです。

こうさんへの返信コメントにも書きましたが、1982年にはTBSで水曜夜7時半から吉田友紀さんが出演した『メチャン子・ミッキー』という堀ちえみさん主演のコメディードラマが放送されていましたね。

1980年代のドラマや歌を後年、DVDやレコード、CDだけで知っても、1980年代の全体の空気を全て知ることには限界があると思います。

1980年代に生きていた私には「めちゃんこ」が知れ渡って使われていった時代背景を体験していて知っていますが、その時代にまだ生まれていない、物心ついていない人達には調べない限り分からないことだと思います。

私自身も、自分の生まれる前の時代や作品を調べていますが、調べている作品以外の社会背景、時代の空気、流行ものというのは、やはり定点観測で推測を立てている部分があります。

だから、当時、生きていた方にはおそらくは見当外れの推測をしているかもしれません。

また、私がこうさんのコメントに感じた取り立てて結びつける必要のない出来事に共通点を見出して関連付けていることに疑問を持っている人達もいるかもしれないと思いました。

自分の知らない、生きていない時代を見ていく時に必要なのは、一つのことを語る時にはその一つのことだけを調べるのではなく、その作品が生まれた時代に誕生したもの、あったものを全て含めて時代全体を見て語る必要があるということを、こうさんのコメントから学ぶことが出来ました。

自分にとっては当たり前のことでも、違う世代が見ればそうは見えないということを、自分より若い世代の方から教えていただいたことは、自分の時代と自分が生まれる前の時代が好きで調べている私には貴重な勉強になりました。

こうさん、ありがとうございました。

ちなみにこのブログを読んでくださる愛知県外、その周辺以外の皆さんは、「めちゃんこ」をいつ知りましたか。『アラレちゃん』の後ですか前ですか。

子役出身者の成功って

あるランキング

gooランキングでこんなランキングが発表されました。

ranking.goo.ne.jp

好きな人たちもランキングに入っていて、妥当だなって思う一方で、あの人達がいないのはどういうことって思えるランキングでした。

このブログを読んでくださっている方々は、分かってくださると思いますが、今も舞台を中心に活躍されている島田歌穂さん、純烈で活躍中の酒井一圭さんがランキングに入っていないのが私は不満でした。

他にも水谷豊さん、風間杜夫さん、古谷徹さん、塩屋翼さん、高野浩幸さん、尾美としのりさん、梅沢富美男さん、高峰秀子さん、美空ひばりさん、富永みーなさん、長谷川真弓ちゃん、中嶋朋子ちゃん、西尾まりちゃん等々、数え上げたらきりがないくらいにあの人達がいないってなったんですが、水谷さんや風間さんは一度、子役をやめて大人になってから俳優として再スタートされているので、子役出身という認識が世間にあまりないのかもしれません。

また、成功したランキングにいる人は、2020年時点でテレビメディアや映画で見る人が多く、成功したという意味が、マスメディアで今も見かける人という意味合いでランキングに回答した人が多いんだって思いました。

また、比較的、若い世代が答えたアンケート結果であり、少し私とは世代が違う、違う世代のランキングなんだなって思いました。

成功とは

現役の俳優として今も俳優活動を続けている子役出身の俳優はもっと多くいて、例えば4代目長太郎役だった坂詰貴之さんは現役で活躍されている声優です。

初代『俺はあばれはっちゃく』5話に出演した葺本光秀さんはノブ&フッキ―のフッキ―として活躍されています。

それに、成功ってなにも芸能界に残って、今も世間に知られている人達とは限らないと私は思うわけです。

芸能界を引退されて別の業種で成功を収めている人達だっています。

初代『俺はあばれはっちゃく』で長太郎の親友、沢田公一役だった妹尾潤さんはゴルフクラブのインストラクターとして、小川明子役だった小宮山京子さん(現・河上京子さん)はゲームプロデューサー、ゲームクリエイターとして株式会社カエルパンダを設立され、2代目長太郎役の栗又厚さんは一流ホテルのシェフとして、2代目ケンちゃん役だった岡浩也さんは精神科医として、1974年の映画『砂の器』、『わが子は他人』(1974年)『がんばれ!レッドビッキーズ』(1978年)に出演された春田和秀さんはアメ車カスタムの社長として、それぞれ成功されています。

news.yahoo.co.jp

また、私が知らないだけで別の道で成功したり、幸せな人生を歩んでいる方達だっているはずです。

芸能界、特に今の時代でもテレビで見なくなると、芸能界で活躍を続けていても子役は大成しなかったって判断されてしまうことが今回のランキングで分かりました。

ここの記事では書ききれませんでしたが、『あばれはっちゃく』シリーズに出演された子役の方達を調べていますと、皆さん、それぞれの人生を歩み、芸能界に残ったり、また、別の道でちゃんと人生を生きていることが分かって、子役の成功って芸能界に残り続けるだけではないんだなって思いました。

芸能界に今も残って活躍を続けているのもすごいことですが、他の道でしっかりと成功さているのもすごいことで、そこに優劣はないんだなって思います。

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「昭和」の子役: もうひとつの日本映画史

「昭和」の子役: もうひとつの日本映画史

 
ぼくらが子役だったとき

ぼくらが子役だったとき

  • 作者:中山 千夏
  • 発売日: 2008/08/01
  • メディア: 単行本
 

逆の立場で考えて

許さない

私は、元TBSアナウンサーで現在フリーアナウンサー竹内香苗さんが大好きです。

好きになったきっかけは、大好きな伊集院光さんのラジオ番組『伊集院光日曜日の秘密基地』のアシスタントをしていたのを聞いたからでした。

明るくて可愛くてお茶目で親しみやすい声で元気な竹内さんが好きになり、彼女が結婚して旦那様の仕事の都合でブラジルに住むことになり、TBSを退社した時はとても悲しかったけど、現在は日本に戻ってきて、伊集院さんの朝のTBSラジオ番組『伊集院光とらじおと』(月曜日~木曜日午前8時半~11時)の火曜日アシスタントになっていて、とても楽しみに毎朝、朝の支度(ゴミ出し、食事の用意、その他いろいろ)をしながら聞いています。

昨日、いつものように大好きな竹内さんの火曜日を聞いていると、アシスタントの声が木曜日担当のTBSアナウンサーの伊東楓さん。

え?あれ、今日は木曜日だっけか?と、スマホで曜日確認。

続いて伊集院さんの説明が入り、竹内さんが舞台で新型コロナに感染した人と仕事をしていたので、大事をとって自宅待機。竹内さんと連絡を取っていて、本人は元気という報告。

ニュースで知っていたけど、まさか、竹内さんがその集団感染した人とお仕事されていたなんて!と驚き、どうか、竹内さんに感染していませんようにと祈り、あ、竹内さんには小さいお子さんがいるし、大きくなったとはいえ他に2人の子どもさんもいるし、旦那さんも!皆さん無事だといいんだけどって思った後に、もしも竹内さんが感染していたら、集団感染した舞台関係者、全員、許さないだから!っていきりたっていました。

ちょっと待て!自分。

新宿であった舞台で新型コロナの集団感染があったニュースは耳にしていて、その杜撰でいい加減な新型コロナ対策に眉をひそめていましたが、大好きな人がそういう人と仕事であっていたことを知ると、私の中に怒りと憎しみが舞台関係者の人達に対して持ちました。

その後、一呼吸おいて、ふと、これが逆の立場だったらどうだろうって考えたんです。

もしも、新型コロナのクラスターが舞台関係者ではなく、『らじおと』の関係者だったら、私は『らじおと』の出演者、スタッフを全力で擁護して、許さないっていう人達に対して悲しみと怒りと恐怖を感じていたかもしれないって。

『らじおと』の出演者もスタッフも新型コロナにならないように細心の注意をして番組を作ってくれていることを知っている。

それで万が一に誰かが新型コロナになったとしても、決して責められるものではないし、もしもそこで別の仕事で接触のあった人が新型コロナの疑いになっていたら、きっと心を痛めているだろうから、責めないで、だって、新型コロナになってしまって病気で苦しんでいるんだから、これ以上責めないでってきっと思う。

私は、一瞬でも新型コロナに感染した人を、私が大好きな人を感染させた可能性のある人だと決めつけ、「許さない!」って心の中で責め立ててしまった。

逆の立場だったら、擁護するのに!なんてこと!って恥ずかしくなりました。

新型コロナに対する安易な考えは許せないけど

新型コロナ、コビット19に対する安易な対応や考えを許すことは出来ませんが、感染して苦しんでいる人をそれ以上に追い詰め、人格批判することは許されません。

私はそれを一瞬でもしてしまいました。本当に情けなく恥ずかしいです。

幸い竹内さんはTwitterでも元気であることをファンや関係者にツイートで知らせてくれていて、お元気そうなので現在は安心しています。

一日でも早い復帰を願っています。

これだけ、コビット19が蔓延していて、しっかりした予防をしていても感染する人も出ていると、いつ何時自分が自分の周囲が感染するか分かりません。

感染することが悪になっていて、まるで魔女狩りのように感染者を追い詰める。

コビット19に対する恐怖が必要以上に人の心を蝕み、差別を生み出していて怖いです。

なんとか、感染した方々の早い回復を祈り、また、竹内さんが完全に大丈夫になって再びラジオに復帰して欲しいと一人のラジオリスナーとして祈っています。

野球

昨日、『痛快あばれはっちゃく』ディスク1(1話~7話収録)チェックがてらに視聴して気づいた点を書きました。

もう一つ見ていて気が付いたことがあったので、そちらもメモ書きとして書いておきます。

また、改めてここで書いた記事を元にあれやこれやと妄想を繰り広げていこうかなって思っています。

 

野球

これまで初代『俺はあばれはっちゃく』(1979年2月3日~1980年3月8日)、2代目『男!あばれはっちゃく』(1980年3月22日~1982年3月27日)、3代目『熱血あばれはっちゃく』(1982年4月10日~1983年3月26日)を見てきて、私は『あばれはっちゃく』シリーズにおいては、当時の人気スポーツの野球よりも、まだ、プロ化していない野球よりはマイナーなサッカーの方が長太郎達が遊ぶ、対決に使うスポーツとして話に登場していることを書きました。

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ところが、4代目『痛快あばれはっちゃく』(1983年4月2日~1985年2月23日)になると、野球が出てきます。

信彦と清が入部したクラブは野球クラブ。

信彦と清の野球のユニフォーム姿が見られます。

初代から3代目までにも、野球帽が登場したり、初代『俺はあばれはっちゃく』51話「帰れ鬼っ子」でも野球のユニフォームを着た二郎の兄の姿があり、野球に関連するものは登場しているのですが、レギュラーメンバーがしっかりと野球クラブに所属し野球のユニフォームを着ているのは、3代目までの『あばれはっちゃく』シリーズ内における野球の扱いとしては異例に見えました。

当時の男子が好むスポーツとして見る分には、なんの問題もないし、とるに足らないことですが、私には意外に見えたのです。

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「痛快あばれはっちゃく」4話より


子どもの頃の当たり前

4代目は子どもの頃の放送当時に見ていた『あばれはっちゃく』の中で1番私の実年齢に年が近い代でした。

ちなみに私は子どもの頃は初代『俺はあばれはっちゃく』から4代目『痛快あばれはっちゃく』まで見ていました。

なので、初めて見たわけではなく、子どもの頃にも見ていたのですが、大人になって見直したときに、そういえば初代の1979年代ってそんなにサッカー人気ってなかったのに、初代の長太郎はユヴェントスのロゴの服を着てるし、サッカーボールで遊ぶし、サッカーの試合をしていたりしているな、3代目の長太郎はサッカー少年だしと気になりだすと、4代目で野球のユニフォームをきた信彦と清を見たら、「あれ、『あばれはっちゃく』なのに?」って思ってしまったのです。

当時本放送で見ていた時には、男の子が野球クラブに入ることになんの疑問を持つことなく、当たり前に受け止めていたのだと思います。

その前の代の3代目『熱血あばれはっちゃく』の頃には、『キャプテン翼』(漫画1981年~1988年、テレビアニメ化1983年10月16日~1986年3月27日)の漫画が人気でアニメにもなっていたので、サッカーって今、人気だよねって感覚。

初代、2代目は2代目の後半はともかく、初代、2代目の前半あたりは、特に印象的な話や全体の雰囲気を覚えていても、まだ4歳~6歳あたりで、サッカーとか野球に関してあんまり気に留めていませんでした。

サッカー人気が高くなった頃に

その信彦と清の野球クラブ入部と野球のユニフォーム姿を見て、4代目の頃は先に書いたように『キャプテン翼』の漫画とアニメの影響で、私の小学校でも放課後はサッカーをして遊ぶことが多くなったことを思い出し、それまでマイナースポーツが子どもの間では人気スポーツになったころに、当時は世間的には人気メジャースポーツの野球ではあったにしても、『あばれはっちゃく』を視聴する児童の間では野球人気を追い越す勢いのサッカーではなく、ここで野球を選んだことに、なんとなく、そこまでは考えていないのだろうけども、『あばれはっちゃく』スタッフの反骨精神を見た気がして、私は思わず、クスリとしました。

多分、考えすぎだと思うのですけどね。

また、それを4代目長太郎を野球部に入れるのではなく、信彦と清にしたのが長太郎はそう簡単にはなびかないよって感じて、そんで大好きなまゆみちゃんと同じお料理クラブに入部する長太郎が男でもお料理クラブに入ってもいいじゃん、だって、大好きなまゆみちゃんがいるから!っていう単純明確、独自の道を行く!長太郎らしくて面白いなあって思いました。

そういうとこでも、4話の脚本を書いた市川靖さんは長太郎とはこんな人物なんだって思っていたのかなって思うのです。