柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

予期せぬ人気と延長がもたらした長太郎役の変遷理由(推測)

オーディションなし

『俺はあばれはっちゃく』の長太郎役は、オーディションなしで吉田友紀さんに決まりました。プロデューサーが吉田友紀さんを指名したことは、『俺はあばれはっちゃく』DVDBOX2の解説書にある吉田友紀さんのインタビューの中で、吉田友紀さんが答えています。

ーー主役はオーディションで決められたのでしょうか?

吉田:当時『気まぐれ本格派』というドラマに出ていたんですが、それが終わった頃に母親から「主役の話が来ている」と言われまして、それでやってみることにしたんです。プロデューサーの方は主役を僕にきめていたそうで、「鼻があぐらを掻いているからお前に決めた」と言われました(笑)。ですから、オーディションは受けていません。

インタビューでは、『俺はあばれはっちゃく』が当初2クール、26話で終わる予定だったことも話されていて、クランクインした1978年12月時点で、1966年8月4日生まれの吉田友紀さんは12歳。

半年後に終了して中学生になったとしても、中学1年生の1学期で撮影が終了するとして、吉田友紀さんが小学5年生の桜間長太郎を演じるのに無理はないと判断と、それまでの吉田さんの実績から、長太郎役に指名したのだと考えられます。

しかし、予想に反して『俺はあばれはっちゃく』は10話を超えた頃から視聴率が10%に届き、20話の頃には20%近くの人気番組となり、放送の延長が決定して、全56話約1年間と一ヵ月(1979年2月3日~1980年3月8日)の作品となりました。

この間に吉田友紀さんは13歳の誕生日を迎え、声変わりもしていき、身長も伸びていきます。この成長は吉田友紀さんがこれ以上、小学生の長太郎を演じることが出来ないことを意味します。

予期せぬ人気と延長

人気番組になった作品を止めてしまうのはもったいない、主役の吉田友紀さんは小学生の長太郎を演じるのには無理が出てきた、そこで新たなシリーズとして続けていくことにし、2代目長太郎役を探し始めた結果、栗又厚さんを2代目長太郎役にした新シリーズ『男!あばれはっちゃく』を始めたと考えられます。

あばれはっちゃく』は最初から長期ドラマとして始まった作品ではなく、人気が出た結果、延長が決まった長期ドラマ作品です。

ですので、制作側が吉田友紀さんの成長を考えずにキャスティングしたという説は否定されます。また、元々は半年で終わる予定のドラマだったことであることから中学生になった吉田友紀さんを1年しか使えなかった教訓として、後のシリーズの長太郎役の配役に生かしたという説もいささか信憑性に乏しく、結果、長期ドラマシリーズになった『あばれはっちゃく』を後年から見て唱えた説に見え、当時の事情を見ていない説に思えます。

吉田友紀さんが成長によって1年しか使えなかったから、後のシリーズの長太郎役が役と同い年、年下の子役にしたのではなく、人気作品になった結果、長く続けていけることが分かったからそうなったと考えるのが自然のように思います。

吉田友紀さんのインタビュー記事から『俺はあばれはっちゃく』の延長が決まり25話の伊豆のロケがご褒美ロケだった事実、2代目に長太郎のライバル役、初代の正彦にあたる邦彦を演じた長野昇一さんがヒトミちゃんの従弟のサトル役で27話に出ていて、それがカメラテストであったという吉田友紀さんの証言から、当初の予定だった2クールを迎える頃、あるいは過ぎた頃に2代目の準備はその頃に始まっていたことが考えられます。また、本格的な2代目の主役探しは10月から始まっていたことが6年前の浮草さんのブログから分かっています。

制作側の配慮

長太郎役は吉田友紀さんのはまり役でした。吉田友紀さんが中学生になり、小学生の長太郎を演じられなくなったのなら、中学生の長太郎の話にしても良かったように思います。

でも、『あばれはっちゃく』は小学生が主人公の物語であり、子どものためのドラマであったこと、小学生を中心とした子どもに向けて制作されていた作品であったこと、主演で出番が多い子役の学業への負担への配慮もあって、山中恒先生の原作の小学5年生~6年生の長太郎を演じるのは、その長太郎に近い年齢の子どもである必要があったのだと思います。

鍛治昇プロデューサーは作家の人達が書いて来た脚本を何度も何度も訂正しながら、おとな中心ではなく、あくまでも子ども中心のドラマにつくり上げていっているのだ。例えば、長太郎役が吉田友紀君から、栗又厚君へ、そして現在の荒木直也君へと変わって来ているのもそのためなのだ。

感受性がどんなに豊かで、お芝居がどんなに上手な子でも、その子が中学生になってしまうと、学校の勉強があったり、中学生として、また高校生としての人間的な生活を学んでいかなければ素晴らしい大人になることが出来ないだろう。

 そういった配慮が制作上の他の問題にもいろいろとなされているのだ。

これは3代目『熱血あばれはっちゃく』放送中に父ちゃん役の東野英心さんが書いた本『クラブと恋と夢』にある言葉です。

子ども中心のドラマ作りは、初代『俺はあばれはっちゃく』の企画段階からあったと作品を見て思うのですが、長期シリーズになって、見ている子ども達だけでなく、そこに更に演じる子役に対しての配慮も生まれてきたのではないか?と、私は東野さんの本を読んで思ったのです。

あばれはっちゃく』の人気と終わり

2代目『男!あばれはっちゃく』で最高視聴率21.7%、全102話の平均が15.7%だったのが、3代目『熱血あばれはっちゃく』になると最高視聴率19.7%、全49話の平均が15.7%になり視聴率の面から見て人気に陰りが見えてきます。

4代目『痛快あばれはっちゃく』で微妙なマイナーチェンジをしたことは、以前も書きましたが、これも過去に書いていますが、5代目『逆転あばれはっちゃく』は大きな変更をしています。

kakinoha.hatenadiary.com

設定年齢よりも年齢が低い酒井一圭さんを長太郎役にしたのも、4年生から話を始めたのも、5代目以降もDVDの解説書にある当時の企画書を参考に書いてある企画概要を読むと『あばれはっちゃく』を続けていこうという作り手の気持ちがあったと感じられます。酒井一圭さんに決まったのは、実年齢よりも体が大きかったのも理由の一つだったようです。

初代は、思わぬ形で延長になり、当初の予定と違った形で番組が続きましたが、5代目はこれからも続けていこうとしたのが、予想に反してこれまでの視聴者や新たな視聴者の支持を得ることが出来ずに、半年で終わってしまったのだろうと思います。

短く終わるつもりで作った作品が長期作品になり、長期作品にするつもりでマンネリを打破して続けていこうとした作品がシリーズ最終作になってしまったというのは、皮肉な話です。

憶測『あばれはっちゃく』を支えた世代

私は放送当時の子どもの頃は4代目までしか見た記憶がないのですが、5代目の制作側にとって予想外の終了になったのは、『あばれはっちゃく』の主な視聴者であった小学生の大半が中学生になっていて、対象となる視聴者が離れていったのではないかと推測します。

私は1974年生まれですが、第二次ベビーブーム世代で子どもの数が多かった世代です。この第二次ベビーブーム世代が『あばれはっちゃく』の中心視聴者だったのではないでしょうか。その世代が成長して離れ、下の世代が『あばれはっちゃく』を選択しなくなっていき、『あばれはっちゃく』は終わってしまったのではないかと私は思います。

あばれはっちゃく』の原作小説は1970年~1972年読売少年少女新聞に発表されて1970年6月2日~1972年3月30日まで連載された作品で、1979年にドラマ化した時にも、今の時代に流行るのだろうか?と『俺はあばれはっちゃく』のメイン監督であった山際監督は話されていました。

その『あばれはっちゃく』が受け入れられ、1979年2月~1985年9月まで続いたことこそが奇跡であり、その奇跡の時代を『あばれはっちゃく』を受け止める子どもとして過ごせたことは、とても幸せだったのだと思います。

もしも、ドラマになってなかったら、原作の『あばれはっちゃく』もというよりも、『あばれはっちゃく』の世界を知らずに大人になっていたと思うと、私が幼児の頃から小学生時代までの間にドラマにして見せてくれた全ての『あばれはっちゃく』を生み出してくれた方々に感謝をしています。

ありがとうございました。

今日も私は、なんとか生きています。