柿の葉日記

主にドラマ『あばれはっちゃく』について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

『俺はあばれはっちゃく』最終回

アバンタイトル

公園で花束をもらってるヒトミちゃん。

「お世話になりました」 

 長太郎が正彦を押しのけて花束を渡すと、蜂が出てきて長太郎を刺し、みんながあつまってきてオチ。

最終回のアバンタイトルは、メタ的な要素を含んでいます。

本編

先週からの続き。スキー場でヒトミちゃんの様子が変だと確信した長太郎は、ヒトミちゃんがおかしい原因を探り出そうと決意して登校し、廊下で佐々木先生に真っ先に問いただします。ヒトミちゃんは欠席。長太郎は不注意を佐々木先生に怒られますが、ヒトミちゃんのことを教えてくれないことや欠席しているヒトミちゃんを気にしない佐々木先生に怒りの目を向ける長太郎は、放課後、ヒトミちゃんの家にいきますが、一足違いでタクシーで外出してしまったヒトミちゃん。

ヒトミちゃんを追いかける長太郎ですが、追い付かず、お腹が減ったとへたり込みます。

場面は、河原で長太郎が佐々木先生と歩く場面。枯れた河原に座り、佐々木先生が長太郎に話しかけます。

「人と人の出会いがあるということは別れがあるということだ」 

 長太郎は、ヒトミちゃんの悩みを知りたいのに、そんなことを話し始めた佐々木先生の話に不審な顔をしますが、佐々木先生の話は続き、ヒトミちゃんが北海道に転校することを長太郎に伝えます。

1話からの回想シーン。ヒトミちゃんとの思い出の映像が長太郎の頭の中を駆け巡ります。ヒトミちゃんとの別れを拒絶する長太郎。長太郎は、ヒトミちゃんの家に行き、ヒトミちゃんのパパに転校の取りやめをいいますが、ヒトミちゃんのパパはこれは会社の都合だからと長太郎を優しく諭します。

会社の決めたことだから、転校は取りやめができないこと。

それは、大人の勝手の都合と怒る長太郎。

ヒトミちゃんのパパはヒトミちゃんのママと違って、長太郎に好意的で優しく微笑みながら長太郎の言葉を受け止めてくれるのです。

ここは、原作『あばれはっちゃく』を読んでいると、原作のみに登場する中学生苫村清治との会話を彷彿させます。

苫村清治の父親がヒトミちゃんのパパと同じ会社で、入れ違いにヒトミちゃんの家は北海道引っ越し、苫村の家は長太郎達のいる美玉市に引っ越してきたのです。

苫村はそれを長太郎に伝え、子どもは大人の都合に振り回される存在だからと告げ、長太郎にこう言います。

「僕たちは早く大人になることだよ」

苫村はてるほと同じ中学なのですが、ここで、てるほが中学の放送部で長太郎のことを話していることを伝えいて、これは、24話、50話でてるほが中学の放送部で長太郎のことを話していたエピソードの元になっています。

長太郎は、ヒトミちゃんのパパの会社の社長にもヒトミちゃんのパパの転勤を取りやめに交渉にいくのですが、受付で来月まで社長が戻らないと知り、それじゃ意味がないと怒ります。

なんとかして、ヒトミちゃんの転校を阻止したい長太郎。家に帰ると母ちゃんが喜んでいて、父ちゃんが課長になったことを告げます。額縁に入った辞令の紙を隣にご機嫌で酒を飲む父ちゃん。

会社の人事がその紙切れ一つで決まることを知った長太郎はヒトミちゃんの家のポストに、辞令の紙を入れますが、誤字だらけのその紙はヒトミちゃんのパパに添削されて戻されます。

「長太郎君 ありがとう!」 

 この一文が、長太郎の気持ちを分かってくれるヒトミちゃんのパパの優しさを感じます。ちなみに、父ちゃんがもらった辞令はこれです。

辞令 桜間長治殿 

右の者営繕課課長を命ず 

昭和五十五年三月二十日 

駅前スーパー株式会社 

取締役社長大野正一郎 

 ここで、父ちゃんの勤め先の会社名が判明します。父ちゃんが務めているスーパーは、ダイエーをロケ地にしていたのですが、劇中の会社名は「スーパー株式会社」だったのでした。

長太郎は、ヒトミちゃんの引っ越しが阻止できないことが分かると、今度は自分が北海道に転校しようと、父ちゃんの会社の支店が北海道にあることを正彦に確認して、父ちゃんが転勤することを考えて、父ちゃんの会社に行って父ちゃんの異動を父ちゃんの勤める支店長に求めますが、当然、それは父ちゃんの怒りを買います。

父ちゃんに怒鳴られて、長太郎は自力で北海道に行こうと、北海道に向かいます。

ヒトミちゃんの家に家の前で、一足先に北海道にいくことを心の中で告げる長太郎。

部屋ではヒトミちゃんがスキー場でみんなで撮った写真を見つめています。

翌朝、桜間家に一本の電話が入り、長太郎が警察に保護されたのを知り、父ちゃんと母ちゃん、佐々木先生、ヒトミちゃんが長太郎のいる交番に向かいます。

ヒトミちゃんが真っ先に交番の中にいる長太郎の元に駆け付け、長太郎の頬に平手打ちをします。

「大嫌いよ!長太郎君なんて!」 

 河原の水辺で長太郎とヒトミちゃんの二人。

転校をしないで自分の家から学校に通ってほしいという長太郎に、ヒトミちゃんは別れを受け入れない長太郎は、長太郎君らしくないと告げます。

「長太郎君なら、笑ってさよならいってくれると思っていたのに、それを教えてくれたのは長太郎君なのよ」

って。それは、39話で芸能の仕事の為に東京に転校することを拒絶して、長太郎に助けを求めた長太郎とヒトミちゃんの姿を思い出させます。

この時とは、違う態度をそれぞれした二人。

あばれはっちゃく』はドラマ化された時点で、原作は連載が終わっていたので、ヒトミちゃんの転校に関して、長太郎とヒトミちゃんの態度が違う姿を描いていたことが、ここの最終回で、ヒトミちゃんの転校を阻止する長太郎と、受け入れたヒトミちゃんの言葉に生きてきます。

「長太郎君なら、笑って「さよなら」言ってくれると思っていたのに」 

 39話の脚本もこの最終話を書いた市川靖さんの脚本です。

この脚本の担当の順番は、最初から決まっていたのか?それとも偶然だったのか?どちらにしても、ヒトミちゃんと長太郎の別れに対する態度のそれぞれ、39話と最終話で違う態度にしたのは、とても深いと思います。ヒトミちゃんの気持ちを理解した長太郎に笑顔で「大好きよ」と告げるヒトミちゃんに喜ぶ長太郎。

花が咲いているのを見つけたヒトミちゃんの言葉。

「もう春なのね」

3月になっているとは言え、まだ寒さも残る時期。撮影の時期を考慮すると、まだ冬の時期の頃。

それでも、春はそこまで来ている、小さい春を見つけてたヒトミちゃんの言葉に、別れの寂しさと、もうすぐ来る春の暖かさに希望を感じます。

終に、別れの朝。

長太郎を起こして、空港にヒトミちゃんを見送らないといけないと母ちゃんに言う父ちゃん。でも、長太郎は部屋にいなくて、てるほが出てきて何か朝早くからやっていて、もう外に出たことを告げます。

空っぽの長太郎の部屋の机の上にあるガラスの花瓶。それは、53話で割ったガラスの花瓶と同じもの。53話での話を思い出します。

てるほがガールフレンドのヒトミちゃんの為に動いた長太郎を褒めると、父ちゃんが女のケツを追いかけやがってと言えば、母ちゃんが父ちゃんが自分に結婚を申し込んだ話をして、てるほが両親が恋愛結婚だと知って冷かします。

そんな雰囲気で、桜間家の場面が終わり、羽田空港でヒトミちゃんが佐々木先生、正彦、公一、恵子ちゃん、明子、小百合からプレゼントをもらい、別れの挨拶をしています。

そこには、長太郎がいなくて、長太郎は正彦達がヒトミちゃんへのお別れのプレゼントの話し合いの誘いにも、ヒトミちゃんの転校阻止、父ちゃんの転勤願い、それが駄目なら自分が北海道に行くのに忙しくて、正彦達とは別行動をしていて、最後のお別れの空港にも来なくて、こんな大事な時にも遅刻をするなんて、と正彦達に呆れられます。

ヒトミちゃんも、皆との別れをしながら、目は不安そうに長太郎を探しますが、長太郎の姿はなく、飛行機に搭乗して外の景色を見て、隣に座るヒトミちゃんのママに話しかけます。

「ママ、この窓、曇っているわ」 

 窓は曇ってないので、ヒトミちゃんのママは少しだけびっくりしますが、ヒトミちゃんの目を見て、泣いていることに気づいていいます。

「そうね、曇っているわね」 

 娘の悲しみを素直に受け止めてくれるヒトミちゃんのママ。ヒトミちゃんのママは長太郎に偏見を持っていて、長太郎を大根で叩いたり、嫌味をいってきたりもしましたが、こうした優しさも持ち合わせていたんだなって。

ヒトミちゃんが窓の外で見つけたもの。

長太郎の最後のヒトミちゃんへのメッセージ。それは、あばれはっちゃく、長太郎らしいものでした。

長太郎が朝早くからしていたこと、飛行機から見えるようにヒトミちゃんへ書いた大きなメッセージの文字。

それは、幼かった視聴者の私たちへのメッセージにも感じました。

「はっちゃく、暴れようね。いつまでも…」

 ヒトミちゃんが乗る飛行機にいつまでも、手を振る長太郎。大きな声でヒトミちゃんに約束をします。

「ヒトミちゃん、約束するぞ!俺はあばれはっちゃくだ!これからも、ジャンジャン暴れるぞ!やあ!」

飛行機にいるヒトミちゃんと長太郎は離れていて、二人は直接に会話を交わしてないのですが、長太郎とヒトミちゃんが実質最後の会話をした時に既に気持ちが通じ合っていて、この二人の離れた距離での会話、思いのやり取りが実現しています。

長太郎の最後の言葉に、ドラマのタイトル『俺はあばれはっちゃく』が入っていて、「あばれはっちゃく」がどんな人物かということを、この1年間の中で伝えてくれました。

今は、このドラマを知らない若い世代がやんちゃをすることや、羽目を外すことなどで、「はっちゃける」と使いますが、人に迷惑をかけるだけではない、義理人情というか、生きるエネルギーに溢れ、辛いことも乗り越えていくバイタリティーのある生きる力があり、自分の為にも、家族の為にも、人の為にも力の限り生きる長太郎の生き方を知ってほしいなって、『あばれはっちゃく』で育った私は思います。