柿の葉日記

主にドラマ『あばれはっちゃく』について語る個人ブログです。

善光寺

第8話の脚本は田口成光さん。おふでさんの登場で今回初めて長太郎以上に手を焼く人物の登場で長太郎を筆頭に桜間家の人達が振り回される話になっています。
前半は長太郎の通信簿改ざん事件で、長太郎の不正に目をつむるところがお人よしというか父ちゃんも親バカだなって思います。前半と後半の繋がりが薄いのですが、家出をした長太郎と佐々木先生がゲームセンターで出会って長太郎の勉強はできないという短所と面倒見のいい長所を述べていて、後半ではこの長所を中心としたところが話の軸になっていきます。
首吊り自殺をしていたお婆さんを助けて家につれて帰り、さらにはそのお婆さんおふでさんが父ちゃんの知り合いという出来すぎた偶然。
この後は、最初に提示された長太郎の勉強が出来ない通信簿の誤魔化しも流されていき、おふでさんを追い出すために長太郎がいろいろと策をこうじるものの「亀の甲より年の功」とはよく言ったもので、長太郎の作戦の空振りが続きます。
おふでさんの息子が勉強が出来ていい会社に入社できたものの、おふでさんとの親子関係が嫁姑問題も入ってうまくいっていないところをみせるのは、人間勉強だけが出来ればいいのではないということの含みがあるように感じます。
 ただこの『俺はあばれはっちゃく』の中で、単なる勉強虫を批判してその対極にいる長太郎を立てる展開はこの話に限らずついてくるのですが、世の中そんなに甘くないというか、勉強が出来なくても、人の心がわかる子であればいいというのも一理あって、人としてそれが大事ではあっても、あまりに極端に勉強をないがしろにしても、人生、世の中、社会を渡っていけないということもあるんだなって思うのです。
人がみんな佐々木先生のように欠点が目立つ子の長所を見てくれるとは限らないのですから。
おふでさんがお手玉で歌う数え歌の中に「信濃善光寺」という歌詞がありますが、この話を書いた田口成光さんが信濃飯田市の出身で(善光寺長野市で北信、飯田市は南信で離れていますが)あることで、なんとなく信濃、信州で生まれそこで数年育った私は少しばかし、嬉しい気持ちになりました。