柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

年の暮れ

 

アバンタイトル

長太郎が父ちゃんと臼と杵で餅つきをしています。長太郎がこねて、父ちゃんがつく。

「俺、餅つき」

「俺、焼きもち」

とリズミカルに。てるほと母ちゃんは、それを丸めていて、その丸めた餅をドンペイがくわえていくところを取り戻そうとして、父ちゃんがついた餅を持ちながら、慌てているところでドンペイが父ちゃんが持つ餅に興味を持ち、押し倒して父ちゃんが尻もちををついたところで、長太郎がきて一言。お正月が近い桜間家の餅つきの楽しい風景から、アバンタイトルが始まります。

もうすぐ、お正月、今回はアバンタイトルも、本編もお正月の準備の話です。

では、本編

本編

父ちゃんが歌を歌いなバラ、玄関先で大きく立派な門松の準備をしています。てるほと母ちゃんは玄関のライトや扉のふき掃除、門松を飾り付けた父ちゃんに呼ばれて、門松を見に来た2人。門松を見て、正月が来た感じという母ちゃんに、てるほは、お年玉が目に浮かぶといいます。

一方、家から出てきた長太郎。ドンペイの散歩に行くといいますが、大掃除の手伝いをしろと怒られて、窓ふきや荷物の片付けの手伝いをしますが、トラブルばかり。邪魔になるので、外で遊んで来いと言われて、結局、ドンペイの散歩へ。

早速、親友の公一のところに行きますが、八百屋の公一の家は大忙しで、猫の手も借りたいほど、結局、忙しい長太郎に追い払われて、長太郎はドンペイと一緒に河原で遊び、しょぼくれて、他のクラスメイトの名前を挙げては、彼らを遊びに誘おうとしますが、皆に断れるだろうとしゃがんでいると、そこに自転車で巡査の山本さんが通りかかり、長太郎にヒトミちゃんや正彦と佐々木先生の家で遊ばないのか?と声をかけます。

山本さんから話を聞いた長太郎は、佐々木さんのところへ仲間外れにしたと怒鳴りつけますが、実は長太郎が家を出たタイミングで入れ違いになってしまって呼びに行ったのに居なかったということ。ヒトミちゃんが、

「誰もあなたのこと、仲間外れになんかしないわ」 

 って、言ってくれるんですが、11話でみんなで長太郎を仲間外れにしてた話を思い出すと、この言葉にグッとくるものがあるんですね。約、一年かけてヒトミちゃん達の中での長太郎のポジションが大きくなったように感じて。

佐々木先生の家には33話で登場した佐々木先生のお母さんも登場していて、ヒトミちゃん達とお手玉をして遊んでいたのですが、長太郎が来たことで、外で凧揚げで遊ぶことに。佐々木先生も一緒に遊んでますが、途中で帰ってしまいます。佐々木先生が帰った後で、長太郎と正彦は、佐々木先生が教えてくれた喧嘩凧をします。

喧嘩凧は、浜松のもの。佐々木先生は、浜松の出身ですから(33話参照)、子ども時代を思い出して、懐かしく思い出して、長太郎達に教えたのだと思います。長太郎と正彦は、佐々木先生が帰った後に喧嘩凧をしますが、その凧が落ちて、この季節、お蕎麦を出前していた人にぶつかり、長太郎は責任をとってお蕎麦屋さんにお詫びとして、出前の手伝いをします。

事情を知った佐々木先生のお母さんが佐々木先生に、長太郎に責任を取らせてお蕎麦屋の手伝いをさせていいのか?お前がちゃんと最後まで見ていなかったのが良くなかっんじゃないか?と聞き、佐々木先生が責任を取って長太郎の代わりに出前をすることに。

佐々木先生は、公務員。バイトをしている姿を見られたくなくて、目指し帽を被って出前をしています。桜間家では、母ちゃんとてるほがおせちづくり。

てるほが栗きんとんを作っていて、母ちゃんのアドバイスを受けています。栗きんとんって、私も一度だけ作ったことがあるんですが、とても面倒で大変なんですよ。

今では、お節料理も大半は買ったりする人が多いと思うのですが、1979年の暮れの桜間家では手作りで作るのが普通だったんですね。私の家も子どもの頃は、おせち料理は作るものの方が多かったです。

そこへ、佐々木先生が出前に来て、母ちゃんはすぐに佐々木先生と見破り、長太郎に話を聞きます。長太郎は、佐々木先生が出前を変わってくれたことで、また正彦に喧嘩凧で負けないように凧を改造していたのですが、母ちゃんの話を聞いて佐々木先生の事を知ります。

父ちゃんが冒頭で、12月は先生も走る「師走」と言われたことを思い出して、本当に先生が走り回っていると感心しますが。師走の「師」って、先生というよりは、お坊さん、僧侶のことだったりするので、学校の先生とはちょっと違ったりします。

でも、父ちゃんのような勘違いは、普通にされていますね。

今回は、長太郎の代わりに出前をしたり、泥棒を捕まえようとして、非番で泥棒を取り押さえた山本さんを間違えてとらえて、泥棒を逃がしてしまったりして、佐々木先生が酷い目にあったりします。長太郎は長太郎で、正彦に喧嘩凧のリベンジを考え、風もないのに呼び出して、喧嘩凧をしていて、いやいやんながらも、それに付き合う正彦。

なんとか、誤解を解いてお詫びをした佐々木先生が、長太郎と正彦のところに通りかかり、風がない代わりに自転車で走って、凧を上げやすくしてあげたりして、そこにさっき逃がした泥棒がきて、喧嘩凧が落ちて捕まえることが出来て、それで蕎麦屋の宣伝になって、結果めでたし。

佐々木先生が散々な目に合いますが、ドタバタしながらも、最後は楽しく締めくくられます。

佐々木先生にしても、長太郎にしても、母親がもう自分は解放されたんだ、責任を取らなくてもいいんだって、安心をしていても、それによって被害を被った人が苦労しているのをほっておいていいのか?と問いかけて、ちゃんと最後まで責任を取ったり、相手の事を考えるように諭す場面が出てきて、自分が起こした行動の結果、被害を受けた人の事を考える事をさせている、ことがこの話で目立ちました。

不可抗力もありますが、自分のした判断、行動で被害にあう人の事を考えること、それに責任を感じて、フォローすること、起こしてしまった結果は取り戻せないけど、その後始末をする考えを促すことで、人の事を考えるという思考を与え続けるという事は大事なんだなって思います。

今回は、佐々木先生のおっちょこちょいが目立った珍しい話でした。桜間家のお正月を迎える準備の様子も見れて、年の瀬の慌ただしさも感じながら、こうして、来るべき1980年を迎える準備をしていたのを懐かしく思い出しました。

それにしても、蕎麦屋さんが凧にぶつかって、責任をとらなくちゃってなった時に、他人事のように逃げてしまったヒトミちゃん達。ヒトミちゃんの優しさと初期のドラマの非道さが同時に出てきた話でもありました。

一件落着して、泥棒が捕まって、蕎麦屋の配達も終わって、蕎麦屋の宣伝にもなり、長太郎も母ちゃん達とお蕎麦屋さんに行き、外は雪が降りだして、寒さが本格的に。

1979年、最後の『俺はあばれはっちゃく』は、この話で終わります。そして、長太郎の元気な決めセリフ。

「来年もあばれるぞ!」 

 今年一年、ありがとうございました。

また、来年、お会いしましょう。

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