柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

東野さんの思い

以前、3代目『熱血あばれはっちゃく』放映中に出版された東野さんの著書『クラブと恋と夢』について書きましたが、父ちゃん - 柿の葉日記その時に書ききれなかった『あばれはっちゃく』に関連した事を書きます。『あばれはっちゃく』は過去記事でも書いてきましたが当初は2クール(26話)の予定でした。なので、東野さんの本の中にも

「『あばれはっちゃく!』のシリーズも、出発の当時は三カ月も続けばいいといわれていたが、すでに四年間も続き、まだまだこれからも続くだろうといわれるようになった。主役の長太郎役も、吉田友紀、栗又厚、荒木直也と三代目だ。』

と書かれています。それに続いて東野さんが父親役を演じる理由を

「さて、どうして僕がこの『あばれはっちゃく!』の父親役になったかというと、一口でいえば、子ども達と一緒にドラマをつくりながら、子ども達と一緒にいろいろな事を考えていきたかったからだ。それは僕自身に、この番組の企画が始まった当時、小学校に入学したばかりの克という息子がいたからだ。息子の克もこれから成長していくにつれて、いろいろと難しい問題にぶつかってくるに違いない。そんな時に、なるべく子どもの気持を理解出来、会話をしてやれるようになりたいとねがったからだろう」

と語っています。また、以前も書きましたが

「僕はドラマをとおして、自分の子どもの頃を思い出しながら、親と子、特に父親と子に関しての遊びや、生活を再確認したかった」

とも書いています。

それでも、当初は東野英心には出来ない。彼ではドラマが面白くない」と一度は父ちゃん役のオーディションに落ちて落ち込んでもいるのです。これは、本当に以前の記事の感想と重複しますが驚く話です。しかし、運命は東野さんに父ちゃん役を与え、東野さんは希望を叶える事が出来ました。一方で、東野さんはスナックで中年女性から話しかけられて、こんな会話をしたそうです。

『「ねぇ、あんた『あばれはっちゃく!』のお父さんでしょう」
「はい、そうです」
「サインしてくれるかしら」
「かまいませんよ」
「うちの子どもと、パパが毎週一緒になって観ているのよ」
「ああ、そうですか、ありがとうございます」
「私はね、あの番組嫌いなのよね、どこがいいのかしら」
「はあ……」
「それからさ、今度、あんた中学生日記の先生やるんだって」
「ええ」
「ひどいわね、NHKも」
「何故ですか」
「だって、良く考えてよ。あんな『あばれはっちゃく!』のダメオヤジが、学校の先生なんか出来る訳ないじゃないの」
「そう思いますか」
「そうよ。でもさ、うちのパパと子どもに話したらね」
「ええ」
「『いいんじゃないか』っていうのよ」
「ほう…」
「なつかしいおやじを思い出すっていうの。あれはいいおやじなんだって」
「それでお子さんは」
「うちのパパとおんなじだって、だからいいんだって。でも私にはわかんないのよね」
「そうですか。それじゃ、これからは『中学生日記』を観てはくれないんですか」
「そんなことないわよ、こうやってサインもらったんだから」
「お願いします」』。

この会話を読んだ時、この中年女性は随分と酷い事を東野さんに話しているなと思いました。でも、一方で東野さん、『あばれはっちゃく』を好きで認めている旦那と子ども事も伝えていて、それを知って東野さんの気持ちも少しは救われていたのかなっとも思ったりもしました。当時、『あばれはっちゃく』が好きだった人も多かったと思いますが、この中年女性のように否定的だった人もいたと思います。それでも、ちゃんと伝わる人には伝わっていたんだという事も同時に分かります。以前の記事にも書きましたが、

「鍛治昇プロデューサーは、脚本家の人達が書いてきた脚本を何度も何度も訂正しながら、おとな中心ではなく、あくまでも、子ども中心のドラマをつくり上げていっているのだ。」

とあります。そして、以前の記事には書きませんでしたが、作品を見ている子ども達だけでなく、出演している子ども達の事も考えていた事も続けて書かれています。

「例えば、長太郎役が、吉田友紀君から、栗又厚君へ、そして現在の荒木直也君に変わって来ているのもそのためなのだ。感受性がどんなに豊かで、お芝居はどんなに上手な子でも、その子が中学生になってしまうと、学校の勉強があったり、中学生として、また高校生としての人間的な生活を学んでいかなければ素晴らしい大人になる事が出来ないだろう。そういった配慮が制作上のほかの問題にもいろいろとなされているのだ」

(とはいえ、吉田さんだけは途中で中学1年生になってしまっているのですけれど、これは仕方がなかったと思います。)中学生になったばかりの頃?(ドラマを見て分かる設定75) - 柿の葉日記

こうして、東野さんや鍛治さん達の『あばれはっちゃく』に対する思いを知ると、いかに『あばれはっちゃく』が子ども達の事を考えていたドラマだったというのがよく分かります。また、それを知って、『俺はあばれはっちゃく』の『逃げろヒトミちゃん』の話を見るとその時の父ちゃんの言葉

「はっ、何言ってやがるんでぃ。子供のうちからな。働く事なんて覚えなくたっていいでぃ。長太郎、お前は子供らしくのびのびとしろ」

が心に染みてきますし、東野さんが『あばれはっちゃく』のようなドラマをもう一度と活動していた気持ちがこの記事矛盾 - 柿の葉日記を書いた時には分からなかった気持ちが分かったのです。私は、改めて書きますが、東野さんが父ちゃんで本当に良かったと思っています。

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