柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

脚本家について

私が1番好きな『あばれはっちゃく』の脚本家山根さんは、1986年12月9日に他界されています。(山根さんの他のテレビドラマ作品は『泣いてたまるか』(1966年)『日本沈没』(1974年TV版)、少年ドラマシリーズなぞの転校生』(1975年)『その街を消せ』(1978年)『サンキュー先生』(1980年)等)山根さんは1932年のお生まれ。誕生日が分かりませんが、54歳でお亡くなりになられたという事になります。

もしかしたら、1982年の放送の『春休みスペシャル・男三人!あばれはっちゃく』のスペシャルが脚本家としての最期の仕事だったかもしれません。そうではなくても、山根さんの『あばれはっちゃく』での脚本家の仕事はこの『男三人!あばれはっちゃく』が最後の作品になっています。

追記(2020年5月5日追記)

『熱血あばれはっちゃく』26話のOPの脚本家の名前が山根優一郎さんなので、上記を訂正します。

山根さんの作品は、纏まりが良く、起承転結がしっかりとしていて、原作をベースにした話を基盤にしながら、無理なく纏まられているという印象があります。特に、それが一番分かるのは『俺はあばれはっちゃく』第1話ではないでしょうか。

登場人物紹介も日常会話の中、日常生活の中で、長太郎の自然に桜間家の家族間の立ち位置、学校での佐々木先生との関係、ヒトミちゃんへの思い、長太郎とヒトミちゃんの関係性なども第1話を見るだけで、良く分かるのです。

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桜間家での家族関係は朝の食卓を見ると、父ちゃんが大工仕事をしていて、長太郎とてるほの喧嘩が始まります。長太郎とてるほの喧嘩から、てるほがでべそな事、父ちゃんと母ちゃんの会話から、てるほが優秀で長太郎がご近所から『あばれはっちゃく』と呼ばれていて、それを父ちゃんは嘆いていても、長太郎はその呼称に嫌な感情を抱いておらず、寧ろ誇りに感じている事が分かります。

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その後、学校へ向かう長太郎が元気良く走りながら、登校中のクラスメイトに挨拶をしているのを見ると、長太郎が学校の中で活発に存在している事が窺い知れます。また、登校中の佐々木先生に張り紙をつけ、それに気づいた佐々木先生が「長太郎の奴」と苦笑いをしていても、その目は、また、いつものいたずらをしてしょうがない奴だなという、温かさを持っていて、佐々木先生が長太郎に手は焼くが、憎んではいない感情を持っているという事が分かります。

その後、校門近くでヒトミちゃんを見つけた時の長太郎の顔と素っ気ないヒトミちゃんの言葉と態度から、長太郎のヒトミちゃんへの思い、ヒトミちゃんの長太郎への感情、合わせて二人の関係性も分かります。

また、その後で、顔を出す公一の的外れな質問に毒づく、長太郎の態度から二人の関係性と価値観の違い、教室でヒトミちゃんの声にうっとりし、それを注意する佐々木先生、クラスメイト等、長太郎が家で、学校でどういうポジションにいて、どのように周囲から思われているか、という事をこの第1話の前半で全て物語っています。そこには、無理で不自然な説明台詞はなく、日常会話の言動から、自然に登場人物達が紡ぎだす流れの言葉から、出ている所が、見ている方にストレスを与えません。

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父ちゃんが長太郎に呆れて「周りのご近所から、お前がなんて呼ばれているか知っているかい」という部分と、公一がお爺さんの説明をする部分が解説的、説明的な台詞と言えますが、それが、とってつけたものではなく、会話の流れの中で、必然的に出てきておかしくない状況で、長すぎない会話の中で出てくるので、無理がありません。

山根さんは、必要で聞かせる、聞いて欲しい部分は、やや台詞が長くなるところはありますが、ここでちゃんと伝えたい「核」の部分と日常会話をメリハリを持たせているので、長い台詞に対して長さを感じさせません。肝心な話をちゃんと聞かせるように物語を展開させ、静と動がはっきりしているので、しっかりと聞き入る事が出来るのです。

私が好きな初代の話の1番と2番は共に、山根さん脚本の第50話(ドラマオリジナル)第14話(原作ベースの話)ですが、この2作品も、50話で、てるほがカセットに吹き込んだ長太郎への思いの言葉も、同じ話の中で長太郎の野宿に付き合ったお坊さんの話も、長太郎と同じように静かに集中して、見ている私も、また、聞き入ってしまう事が出きます。これは、14話でも同じで、長太郎の部屋に布団を並べて寝た大熊先生の長太郎への語りかけも、やはり耳を立てて聞いてしまうのです。
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長い話、台詞に視聴者を集中させるというのは、そう、簡単な事ではないと思います。まず、注意力を維持する時間、当時の視聴者の年齢層を考えても、そこで、ちゃんと集中させる(チャンネルを回さない)には、そこに至る過程で、しっかりと話に惹きつけるだけの話し運びと、その後での見せ場、見せ場を得た後でのカタルシスがないと面白かった、心に残ったという感情を抱く事は出きないと私は思います。

そして、山根さんが『あばれはっちゃく』シリーズで書いてきた作品は、そのいずれもがちゃんと含まれていて、しっかりと心に残っているのです。山根さんはドラマオリジナルの話も書く一方で、初代は原作をベースにした話も元にした話も書いていますが、原作の核になる部分を壊さないように、25分以内で収まるように話を放送される季節に合わせて、再構成して話を作り出しています。

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一度、話を解体し、表面上は違うように見えながら、所々、原作を思わせる部分を巧みに取り入れる事に関しては、歴代の『あばれはっちゃく』シリーズの脚本家の中では、山根さんが一番ではないでしょうか。山根さんが早くにお亡くなりになったのは、とても、残念です。

また、『あばれはっちゃく』シリーズの脚本家で、ほぼ、私の中で同立2位で、安藤さんと並んで好きな脚本家市川靖さんも既に他界されていた事を知り、市川靖さんも既に故人であったのを知ったのは、淋しかっです。

市川さんの事を調べていく内にお弟子さんの高梨安英さん(伊沢慎吾さん)の存在を知り、市川さんがピンク映画、産業映画、テレビの構成台本をやりたがらなかった事を知りました。

協同組合日本シナリオ作家協会

市川さんの脚本に関しては、初代の5話を以前も取り上げましたが、市川さんが書いてきた『俺はあばれはっちゃく』の話を振り返ると、男の意地と寂しさ、誤解をされても貫く精神を長太郎の日常の出来事を通して書く事に長けていた様に感じます。

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言葉だけで終わらせる事なく、そういう状況に追い込まれた長太郎がどんなひらめきで、それを突破するか、これは、安藤さんにも言えますが、長太郎の行動力を描いてきたのが、市川さんだったかなと作品を脚本家単位で意識して見ると、そう感じてしまいます。

紅一点の三宅さんの長太郎の行動の原動力は、母親を思う気持ちからが出発点になる事が多いように思います。(初代15話、初代29話)三宅さんの話には終わり方がしっくりこないと感じた話(初代24話)もありましたが、三宅さんは主婦から脚本家になった経緯と女性としての目線から、女性である母ちゃんやてるほを中心に据えた脚本を多く書いていました(初代3話など)。

三宅さんは、女性心理を現実とかけ離れる事なくしっかりと書かれているので、女性に対して過度に夢見がちにならない世界観を作り上げていたと思います。レギュラーの女性の夢を壊さない程度の現実的な考えの持ち込みは、作品世界をより視聴者に身近にさせた功績だと私は考えています。

田口さんの場合、書きたい主題が先走って、最初に出した複線が話の流れの中で消えてしまい(初代8話)細かい部分での取りこぼしが作品を雑にさせている部分が勿体無いと感じてしまいます。また、着地点を失って、冗長気味な印象を受ける話も多いのですが、伝えたいメッセージ性は強く、田口さんの書かれた初代の34話は好きな話の一つです。

あばれはっちゃく』シリーズは当初、5人の脚本家(山根さん、安藤さん、市川さん、三宅さん、田口さん)から始まり、3代目の『熱血あばれはっちゃく』から名倉勲さん、山崎晴哉さん、桜井正明さん、山本優さんが新たに脚本参入されます。

そのうち、名倉さんは4代目も引き続き参加し、山崎さん、桜井さん、山本さん達は5代目で再び戻られる。2代目で既に『はっちゃく』カラーが出来上がり、当時の認知度と人気が安定した中で始まった3代目。その3代目から、新しく加わった脚本家陣の中で、『あばれはっちゃく』シリーズがどのように作風が変化していったのか、それを徐々に追いかけていきたいなと思います。

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