柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

木下恵介生誕100周年記念 「わが子は他人」あきら君と一郎君

今年は木下恵介監督の生誕100年として様々な企画が実施されています。その一環として東京国立近代美術館フィルムセンターで木下監督作品が上映されています。木下監督といえば日本の映画監督して有名です。知らない方に説明をする時には『二十四の瞳』映画監督と説明すればすぐに納得される方が多いのではないでしょうか。

木下監督は日本が誇る名監督の一人で戦時中、並びに戦後日本の映画界において『黒澤明監督が剛ならば木下監督は柔』と呼ばれていました。そこに小野安二郎監督を加えて日本の三大監督と呼ばれていた時代がありました。日本映画黄金期を支えた監督の一人として死後名を残し、こうして生誕100年としてイベントをされるほどの映画作品を後世に残してきた監督です。

また、木下監督はテレビ時代になってテレビドラマ界にも進出しTBSで木下劇場(木下恵介アワー)シリーズを手がけ映画監督からテレビの世界でドラマでお馴染みになっていきました。そして、この私が木下監督を知るきっかけになったのは、やはり吉田友紀さんでした。

私が吉田さんが好きで『すぐやる一家青春記』のDVDを見ていた時に昨年他界した亡父が「あ、あの木下監督のか」と言ってきたので「え、知っているの」と聞くと「当たり前じゃないか、あの木下監督だぞ。木下恵介アワーとか凄かったからな」と答えが返ってきました。

そこで私は吉田友紀さんと仕事をした木下監督とはどんな人だろうか?他に吉田友紀さんと一緒に仕事をした作品はないのだろうか。と思い、いろいろと調べていくうちに父が凄いと言っていた『木下恵介アワーシリーズ』に行き当たりました。

このシリーズについては昨年関西地区で再放送がされ、また、今年木下恵介生誕100周年ということで、これまでDVD化されてなかった木下恵介アワーシリーズがいくつかDVD化されていっています。今こそ木下監督生誕100周年という事で木下恵介アワーはDVD化が始まりましたが、人気から言えば遅すぎるDVD化だと私は思います。私の父の個人的な感想ではなく、木下恵介劇場(後に木下恵介アワー)は1964年から1974年の十年間お茶の間で人気シリーズとして続いてきたドラマシリーズでした。

それ以前に木下監督は戦時中、戦後と日本映画界で名監督と呼ばれ人気を持っていた映画監督としての実績があり、木下監督の代表作の一つとされている『二十四の瞳』は今なお語り継がれている名作です。無論、その一つだけでなく、私が木下監督に興味を持ち始めた頃はその監督の映画作品の方が多くDVD化されています。私も当時少ない給料の中から『木下恵介全集第6集』を買って見たのです。

木下恵介アワーシリーズ最終作が1974年の『わが子は他人』でこの作品に当時7歳(放送開始が4月3日なので収録などはそれよりも前に行われていたと単純に考え吉田友紀さんは1966年8月4日生まれでまだ誕生日が来る前なのでドラマに出演されていた時期の年齢は8歳になる手前の7歳となります)の吉田友紀さんが出演されています。このドラマは病院での子どもの取り違えから始まる二家族の家族の葛藤のドラマです。その取り違えられた息子の一人として吉田友紀さんが和泉あきら役で出演されています。

吉田さん演じる和泉あきらと間違えられたのが主人公側の家族の一人息子一郎。この一郎役を演じたのが春田和秀さんでした。この作品をいつか見たいと願い、昨年、関西地区で再放送をされていたのを知った時はこのドラマの為だけに「私は関西に住もう!」と思った程でした。程だけで実際にはいかなかったのですけどね…。

木下恵介アワーが満を持してというか遅すぎるというかDVD化されていくのを見て『わが子は他人』もDVD化されないかなって思っていると、なんと、東京国立近代美術館フィルムセンターで『わが子は他人』の第一回が上映される事を知って浮き足立って見に行ってしまいました。東京国立近代美術館フィルムセンターは、これもまた吉田友紀さん目当てで『教室205号』を上映してくれて、更に私に映画の歴史を教えてくれた素晴らしい所。そこで、また、吉田友紀さんの出演作品が見られる。

しかも、私が見たいと思っていた木下恵介脚本、監督で吉田友紀さんが出演している作品『わが子は他人』が見られるしかも木下監督の監督デビュー作『花咲く港』まで見られるなんて、それもその二本立てがなんとたったの500円で見られるというまさに夢のような企画。ありがとう東京近代国立美術館フィルムセンター。

『花咲く港』とてもこれがデビュー作とは思えない面白さ、かつ、戦時中の国策作品でありながら国の目を掻い潜って反戦をテーマにしているしたたかさ、『あばれはっちゃく』ファンにとっては東野英心さんの父親である東野英二郎さんが出演されていたのも私としては嬉しい事でした。『花咲く港』についての感想も書きたいところですが、この話題はまたの機会に譲るとして、今回のテーマである『わが子は他人』とそれに出演された吉田友紀さんと春田和秀さんについての感想を私の主観を交えながら書いていこうと思います。

『わが子は他人』については自分でも事前に予備知識として、どんな作品か吉田友紀さんはどんな役割をもって出演をしていたかという事を調べてました。取り違えられた二人の男の子、一郎君(春田和秀さん)とあきら君(吉田友紀さん)は対照的な人柄。おおらかで少し乱暴者が春田さん演じる一郎君で、おとなしくてすぐに泣いてしまうのが吉田さん演じるあきら君でした。

私はこのドラマでの二人の役柄と私のブログに書き込みをされてフェイスブックをしているという春田和秀さんのフェイスブックを拝見し『わが子は他人』で春田さん演じる一郎を見て思ったのが春田さんが演じた一郎は春田さんの地に近い役柄だったのかなという事です。春田さん自身が子役時代を吹っ切れたというのもあるのかと思いますが、ご自身が好きな車の仕事に携わっていて生き生きとされている写真を見て、私生活が充実されているのだろうなと感じたのです。

春田さんが演じた一郎君は素直に思った事をはっきりという性格。ただの我侭というより…そうですね、このブログを読んでくださっている方達が主に『あばれはっちゃく』のファンの方が多いという前提で話を進めてしまうと、『俺はあばれはっちゃく』で吉田友紀さんが演じた長太郎の少し小さい頃はあんな感じだったんだろうなという感じでしょうか。

この『わが子は他人』という作品が製作され、放送された1974年春田さんは松本清張原作『砂の器』に主人公の子ども時代の役で出演をされています。私はこの作品を『松本清張傑作映画ベスト101 砂の器 (小学館DVD BOOK)』で見て、また同時に当時の撮影や宣伝、背景も付属していた本で知ることによって春田さんもまた子役として大変な仕事をしていたのだなと感じました。実際に私のブログのコメント欄に春田さん自身が「当時は大変忙しかったと記憶しています」と書き込みをしてくださいました。

『わが子は他人』から話が少し逸れますが、1974年『砂の器』について調べて見ると当時のロケ地や逸話を紹介しているサイトさんに巡り合いhttp://www.highlight.jp/sunanoutsuwa/index.html(現在リンク切れ)そこを読んでいくと撮影の川又さんの言葉で『「竜飛では子役の春田和秀君が泣いてね。裸足にワラジ。私にはなついてくれ、プラモデルを買ってなだめたんです」と川又。』とあり、また同作品で今西栄太郎刑事役の故丹波哲郎さんの思い出話として春田さんについて『「子役の男の子は今どうしているんだろう。少し前にも仲間内で話題になって、いろいろ聞いたけど結局分からなかった。続けていれば、とてもいい俳優になっているんじゃないかと思ってね」』と語っていて、また、この映画を見た人達が「子役の子は台詞はないけどいい目の演技をしていた」と感想を書いているブログサイトも幾つかあり、また、私個人としても春田さんの経歴を追っていって売れっ子の子役だったんだなと感じました。

最近、アンタッチャブルの柴田さんのラジオに生出演したようなんですけど(子役経験のある人という呼びかけをラジオでしてそれに対応する形で電話をかけてきた形でのものだったようです)それを聞き逃したのが残念です。

以上の点を踏まえて1974年を見て、『わが子は他人』というドラマで割り当てられた春田さんと吉田さんの役割、テロップ標示の順序を見てみると、当時は春田和秀さんの方が子役として吉田友紀さんよりも少しランクが上だったんじゃないかなと思うのです。それは二人の演技力の差とかではなくて、映画やテレビドラマを撮る大人達の間で春田さんは自分の作品に使っても恥ずかしくない実績を持っていて表現力がある子役だったという認知があったんじゃないのかなと思うのです。

それは、春田さんが当時何処の児童劇団に所属していたかで、所属劇団の営業の能力もあるとは思うのですが、私は春田さんが在籍していた劇団を把握していないので、そこは空想の域をでません。ただ、吉田友紀さんが所属していた児童劇団劇団日本児童という事は分かっていて、この当時の劇団日本児童児童劇団の中ではかなり有力な劇団だったと記憶しています。

お二人の所属劇団を離れて1974年当時の二人の仕事を私の分かる範囲で比べて見ると、春田さんが『砂の器』に出ている一方で吉田さんは『ウルトラマンレオ』第27話で桃太郎役でゲスト出演している。どちらの作品に出ているからいいとか悪いとかではなくて、この当時(1974年)の社会にいる大人達が木下恵介監督の名前を持って期待してみる当時の視聴対象の大人達が見る中で春田さんの方がその中で認知度、視聴者の安心感を持っていたのかなと思うのです。

また、その前後の二人の活躍を見てみると春田和秀さんが1977年の映画『はだしのゲン 涙の爆発』で主演のゲン役、1978年に『がんばれ!レッドビッキーズ』でメインゲストで牧野源太役で出演していた春田和秀さんと『がんばれ!レッドビッキーズ』の途中レギュラーのオーディションに落ちた吉田友紀さんを比較してみて見ると、吉田さんも地道にキャリアを上げていっているのは追いかけてきたファンとしては分かっていても、春田さんと比較して私は吉田さんは子役としては遅咲きの部類に入るとファンであるが故に思うのです。吉田さんには子役時代に代表作『俺はあばれはっちゃく』の長太郎役がありますが、それも、私は吉田さんが子役の終わりになって出てきた代表作だと感じています。

ある意味、既に書いていますが、『俺はあばれはっちゃく』は期待を持たれて始まった作品ではありませんでした。加えて吉田さんが劇中で小学5年生固定のまま(年度が替わっても小6に他の代と違って進級しなかった事を考慮にいれて)小6の終わりほぼ中学1年生で小学5年生を演じるというのはギリギリだったと思っています。無論、見ていた当時はそんな事は感じてませんでしたし、今見ても吉田さんの長太郎は素晴らしいと感じ続けていますが、客観的に見て子役としてブレイクするのは遅かったほうではないかと思うのです。

その春田さんと対峙する相手役としてのもう一人の子どもも木下監督の下で春田さんと遜色のない演技の出来る同年齢の子役でないと作品として成立しないものだとも考える事ができ、その当時、それに見合う演技の出来る子役として目に留まったのが吉田友紀さんだったんじゃないかなと私は思ったのです。そこで、吉田友紀さんに目をつけたのは誰なのだろうという私の疑問に対して、『わが子は他人』のOPのテロップで目に留まったのが、プロデューサー飯島敏宏さんの名前でした。飯島さんの名前は吉田さんが1977年、10歳(11歳になる手前の)の時に相馬智之役で出演した木下プロダクションの作品『すぐやる一家青春記』のプロデューサーとしても既に見て馴染みのある名前でした。

そこで飯島さんについて調べてみると、飯島さんはTBSの演出部に所属し、『ウルトラQ』『ウルトラマン』などで脚本、監督を務め、TBSから1969年から1970年にかけて木下プロダクション出向に出されその才能を認められて正式に木下プロダクションに所属されていた事が分かりました。また、飯島さんが監督として、演出家として、脚本家として『ウルトラQ』『ウルトラマン』で担当した作品を見て、飯島さんが子役を見極める力、その子役の演技力をしっかりと引き出すことの出来る監督であり、子役に対しての目利きがあり子役の良さを引き出して作品を完成させることが出来る才能を持った方だと認識しました。

飯島さんは木下プロでは主にプロデューサーの仕事を担当し(時に古巣に戻って演出の仕事もされたり、近年ではまた監督して作品を発表をしてたりしてましたが)そこで責任を持って木下監督の名前を汚さないように番組をプロデュースをしていく立場で、また、古巣のTBSでの仕事でもあるわけですから、選ぶ子役にしても下手な子役は選ばないんじゃないかなと推測するのです。

飯島さんの子役を使った作品を見ていますと、あの飯島さんが選ぶ子役なら木下作品、もしくは木下プロダクションの作品にレギュラーとして使っても作品を落とす事のない信頼の置ける子役なんだというお墨付きは出ると思うのです。事実、吉田さんは同じく飯島さんプロデュースTBSで放送された木下プロダクション作品『すぐやる一家青春記』で相馬智之役でレギュラーに使われています。また、『わが子は他人』の前年1973年『鉄人タイガーセブン』に吉田友紀さん青木次郎役で出演されていて上原正三さん、藤川圭介さんとも仕事をしています。

上原さんはTBSの社員ではありませんでしたが、円谷の文芸部に所属され、飯島さんと一緒に仕事をされています。直接の因果関係は窺い知れませんが、飯島さんが自分の盟友の一人、しかも悪条件化の中で上原氏がメインライタ(途中で交代されますが)をした作品に出て活躍した吉田さんの姿が飯島さんの目に留まったのではないかなと思います。

私の中では吉田さんがDVD付録のインタビューの中で「当時子役の子達とあまり仲良くしてなかったんです。みんな、仕事だと割り切っていたというか」という言葉がありますが、春田さんが私のブログに書き込んでくれた文には「吉田友紀君とは仲良くさせて頂き」とあり、それを見て思うのは主役のプレッシャーもあったのだろうと思うのですけれど、吉田さんは自分のほうから積極的に人と交流をするのが苦手なタイプだったんじゃないかなと思うのです。

仕事で責任がある立場である時はそのようにふるまうけれど、そこを離れるとそういうことに無理をしない。それは、ツイッターフェイスブックでの現在の吉田さんのネットでの動きを見て思うのと、同じくDVDの付録で島田歌穂さんが「本当に心根の優しい子で気遣いもできるんだけど、でも、わざと逆に表現をしたりシャイな面がありましたね」と吉田さんの語っていることからも伺えるのです。そして、現在の春田さんがポジティブに動いているのを見ると、本当に『わが子は他人』の活発な一郎(春田和秀さん)泣き虫で大人しいあきらくん(吉田友紀さん)が役で演じているとはいえ、よりその地に近い役で配役されたのではないかなと考えたりするのです。
 
関連記事:春田和秀さんからのコメント - 柿の葉日記 父ちゃん(東野英心さん)が出ているCM - 柿の葉日記 教室205号 - 柿の葉日記 わが子は他人 - 柿の葉日記 吉田友紀さん…かな? - 柿の葉日記 映画 「衝動殺人!息子よ」と「さまよう刃」 - 柿の葉日記 皆勤賞 - 柿の葉日記 あばれなくなったはっちゃく - 柿の葉日記 吉田友紀さんと島田歌穂さんについて思う事 - 柿の葉日記 再び注目される元子役 - 柿の葉日記 迷う時期 - 柿の葉日記 見た目と年齢 - 柿の葉日記 子役同士の関係 - 柿の葉日記

参考ブログ、参考サイト様中島たすく ☆(爽パパ) : 2006年05月(小学生時代の吉田友紀さんについて書かれてあるブログ) http://www.highlight.jp/sunanoutsuwa/index.html(1974年製作『砂の器』についてのブログ)「団塊世代よ! 会社を辞めたら、町に出よ」-映画監督・飯島敏宏さん - 相模原町田経済新聞(2009年飯島敏宏監督インタビュー記事)